千日回峰より難しい毎日の反省

昨年の 大晦日に一年間の反省をするために来られたEさんが、再度、年末に来られました。
以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 お助けマンさんから一年間の反省をしなさいと勧めていただいてからちょうど一年が経ったのですね。

【お助けマン】 そうですね。あっと言う間の一年でしたね。この一年はどうでしたか? 昨年末の予想通りでしたか?

【Eさん】 いいえ、予想を超えていたものばかりでした。

【お助けマン】 例えば、どういう点ですか?

【Eさん】 はい、まずは経済的なことですが、アベノミクス効果によって株価がここまで上がるとは思っていませんでした。 一時、春ごろに株価が大きく値を上げた後、下落しましたが、そのまま下落が続いていくものと思っていましたから・・・。 それと、異常気象や災害が強く記憶に残っています。 世界中で、洪水などの異常気象が報告されて、特に、あのフィリピンの台風の被害は衝撃的でした。 日本でも豪雨によって 京都の嵐山に洪水があったことにはびっくりしました。

【お助けマン】 そうだったですね。 今年の一年を振り返りますと、何か、段々と地球全体の運命が暗くなっていくように感じられたのではないでしょうか。 これも、天からの警告だったと思います。

【Eさん】 そうですね。早くこの警告に気づいて、人類が反省しないといけないということでしょうね。

【お助けマン】 そうです。そのとおりです。ところで人類の反省はさておき、Eさんの反省行の実践は、どうですか?

【Eさん】 あー、そうでしたね。 先回のAさんとの対談も読ませていただきました。 たとえ、千日回峰を二度も達成した大阿闍梨であっても、「反省なくして悟りなし」は本当にいい勉強になりました。 私は、お助けマンさんが教えてもらったとおり 反省の実践を続けるようにしていますし、 また、精舎に行って生涯反省もさせていただきました。

【お助けマン】 それはすごいじゃないですか・・・。

【Eさん】 そうなんですが、でも、その反省を毎日続けるのが難しくて・・・。

【お助けマン】 やっぱりそうでしたか。 誰でも悟り初めのときは求道心も強く、反省の修行に打ち込めるのですが、 それを続けるのが難しいのです。 これを「悟後の修行」と言って、本当に大事な修行なのです。 実は、先回、あまりにも力んではいけないと思って言わなかったのですが、 毎日、反省をすることは極めて難しいことなのです。 後から言って申し訳ないのですが、実は、 『釈迦の本心』の第3章「六波羅蜜多」の「8禅定波羅蜜多」のところで、次のように説かれています。

たとえば、日曜日などの閑暇(かんか)が訪れたときに過去を振り返るのは、 そう難しいことではないかも知れません。しかし、毎日を忙しく過ごしていながら、 日々、みずからの心の内や行動を振り返るのは、容易なことではありません。 こうした日々を積み重ねていくのは大変なことなのです。(中略)
現代でも、禅宗においては、人里離れた庵(いおり)や寺の中で、 人びとが座禅を実践していますが、日常性から脱却して心の世界を探究するのは、 そう難しいことではありません。しかし、日々の仕事をしながら、 その中で禅定の状態を続けるというのは、非常に困難なことなのです。

とあり、日々、仕事をしながら反省などの禅定をすることがいかに困難なことかが述べられています。

【Eさん】 えー、そうだったのですか。 お助けマンさんも意地悪じゃないですか。初めから言ってくれればいいのに・・・。

【お助けマン】 ごめんごめん。あまり初めから言うと変に構えると思って言わなかったのす。 でも、日々の反省を継続することは難しいからこそ、また、その効果も大きいということだと思います。
むしろ、千日回峰のようにそれだけをすればいいなら、そのほうが楽なのです。 ですから、日々仕事をしながら、1日10分でも15分でもいいから反省をすること、 このほうがスパーマン的に千日回峰するよりも難しいということです。 逆説的ですが、1日10分でもいいという易行道だからこそ、その実践は難行道より難しいのです。

【Eさん】 そうだよね。逆説的に簡単だからこそ難しいということもあるということだよね。

【お助けマン】 そうです。人は、自分が人からもてはやされることには熱心に取り組みますが、地味なことに対してはあまり力を入れない、いや、手を抜く傾向にあります。ですので、かえって千日回峰のほうが実践は、楽は楽なのです。ただ、誰も見ていない、しなくてもとがめられることはない、そのようなことについては、ついバカにして手を抜いてしまう傾向にあるということです。

【Eさん】 なるほど。千日回峰のように人々からもてはやされるような修行には、自分が自分がという自我があるんだね。

【お助けマン】 誰も見ていない、誰からも賞賛されない、やらなくても怒られない、そのような環境において継続できるか、これこそが大事なことなのです。

【Eさん】
 そうだよね。自分も、誰からも見られていなくて、継続的に続けられるかと言えば、それこそ、ちやほやされる千日回峰のほうが楽ということは、よく分かるね。

【お助けマン】 だから、やらなくても怒られない、やっても褒められない、その日々の反省こそが難しいということなのです。

【Eさん】 いやー、よく分かったよ。それだけ難しいことだからこそ、功徳も大きいこともよく分かったよ。本当に1歩1歩、カメのごとく進むことこそが難しいんだよね。今日もありがとう。それでは、これで帰ります。

と、言ってEさんは帰られました。
大川総裁は、その実践が難しいからこそ、それに対する克服策まで示して下さっています。それは、「習慣化」です。そういえば、幼いころ朝晩のハミガキは本当にいやなものでした。しかし、それを続けることによって習慣化されれば、今度はハミガキをしなければ気持ちが悪いというところまでいくのです。この難しい日々の反省の実践を解くカギは「習慣化」にあるということではないでしょうか。

では、次回も問答が続きます。  主エル・カンターレに感謝。

(終わり)