主を護る真の信仰者として今こそ脱皮せよ

法友のMさんが来られました。実は、Mさんは、教団発足の早い時点で会員となられた古い会員さんで、また、一時、出家もされて職員になられた方ですが、出家後10年余りで在家に戻り、今は、一会員として地道に活動を続けておられる方なのです。
そのMさんが、今回、主が肉体的死となられたのを機に、これも原因かも知れないと言ってやって来られたのです。

【Mさん】 びっくりしましたよー。たまたま2019年12月に発刊された『イエス ヤイドロン トス神の霊言』を読んでいたところ、第2章の「ヤイドロンの霊言」で、何かはっとしたのです。

【お助けマン】 Mさん、何かあわててどうされたのですか?

【Mさん】 いやね、今回、主が肉体死をなされて、今、三次元の地上世界からお離れになっていて、その原因は、もちろん直接的には妖怪・妖魔の執拗な攻撃だと聞いているんだが、ヤイドロンさんのお言葉を読んで、それを撃退できなかったことこそが本当の原因ではないかと、それで気になってここに来たのです。

【お助けマン】 その気になったということは、どういうことですか?

【Mさん】 実はね、私たちが主を十分にお護りすることができなくて、宇宙存在であるヤイドロンさんたちに任っせきりになっていたということが、今回の原因かも知れないと思ったんですよ。そこのところを読んでみますね。59ページです。

教団としては、私は、幸福の科学っていうのは、「総裁を護る組織」になっていないのではないかなあと思っています。どちらかといえば、信じたら、何て言うか、「養ってもらっているような感じ」になっているのではないか。そういうある意味で、言っていることとは裏腹の”弱者連合”になっている面もあるのではないか。特に、弟子、幹部等の、そういう自己保身とか、セクショナリズムとか、損得感情とか、そういうものがとても強く、教えを押し広げていこうとする力とか、反対の勢力や間違った考えを持っている者を説得し、押し込んでいこうとするような力とかが、とても弱い感じで。それは、すべて主にお任せするような感じになって、やや、”おすがり型宗教”になっているのではないかと思いますね。まあ、この意味で、ちょっと残念な面があるのではないかなあと思います。あるいは、みなさん、あまりにも自分たちがいい子になろうとしすぎているのではないかなあと思うことがあります。

と、びっくりするようなことが述べられているのです。これは、もう一般の会社でよくあることと同じで、世の中を救済していこうとする宗教組織とは思えない内容でびっくりしたのです。さらに72ページには、こうあります。

この十年の努力、広げる努力はしましたが、知名度としては上がったかもしれないけれども、現実の戦力としてはごく微々たるもので、もう一段、率先垂範だけでない、勇気ある指導者が、いろんな部門で出て来なければだめなんではないでしょうかね。だから、「頭一つ潰せば終わり」と思う考え方で、ずーっと、この三十年間、いつも狙われているように思うので、現実に総裁の力が大きいことは事実ではあるけれども、それでも、弟子のほうはぶら下がっているように、私には見えなくはないですね。

とあって、弟子は、総裁先生にぶら下がっているとー。またさらに、76ページには、

現実的な解決能力、説得能力、処理能力が極めて低いように見えてしかたがありません。私たちが電撃一閃をしなくても、やっぱり、ちゃんとそれを説得し、解決する能力を持たなければいけないんじゃないでしょうかね。だから、組織として危ういように思えてなりません。

と、これまた厳しくご指摘があるのです。

【お助けマン】 読んでいただいてありがとうございました。
いやー、これは通常の会社と同じじゃないですか。やはり都心の大きなビルに入って、仕事も皆パソコンで情報を得たり、メールやLINEで連絡を取ったりしていると、ふと、ビジネスマンやOLと錯覚する時があるということでしょうか。

【Mさん】 はい、私も一時期、教団の職員でおりましたので分かるような気がします。当初は、職員の顔は皆分かっていたし、皆、元の職場を捨てて、この活動に命を懸けるという気概がありました。もちろん、今でもその気概を持ち続けておられることと思うけど、しかしながら、私は、その後在家に戻ったので、それほど感じなかったですが、幸福の科学は、組織も大きくなり精舎も建てて、また、この世的なハイテクを十分に使いこなせる、いわば、この世的にも非常に最先端のアドバンスド宗教になったと思います。

【お助けマン】 そこを誤解すると危ないところなんでしょうね。
もし、外から来た人が職員の仕事ぶりを見れば、最先端の企業に来たと思うでしょう。その錯覚が、外部の人だけのことだけであればいいのですが、内部の職員でも、もし錯覚している人がいるならば、それは大変なことです。それが、悪く育ってくると「サラリーマン根性」となって、宗教者とは到底思えないマインドとなるのではないでしょうか。
そうなると、通常のサラリーマン世界によくある地位の昇格や、人事異動が気になったり、あるいは、休日の取得などをサラリーマンと同じように気にするようになるのではないでしょうか。

【Mさん】 なるほどね。だから永平寺では、あえて近代兵器を使わず、今だに墨染の衣をまとったり、マキ割りをしてそれで御飯を焚いたりしているんだよね。

【お助けマン】 そうだと思いますよ。形を誰が見ても分かる宗教型にしないと、背広だとサラリーマンと錯覚するので修行にならないのでしょうね。永平寺の修行僧が、ビルに入って、背広を着て、通勤して修行すれば、それはサラリーマンになるでしょう。

【Mさん】 と、いうことは、幸福の科学の職員たちは、過去の修行僧と比べても、さらにきつくて厳しい環境での修行をしていると言うことなんですかね?

【お助けマン】 そうです。いいところに気が付きましたね。
背広を着て、精舎は別として、都心のビジネスビルに入り、コンピュータなどを駆使し、それでいて過去、いやそれ以上の宗教の心の修行をする、これほど難しい修行スタイルはないということだと思います。千日回峰や滝に打たれるほうがもっと楽ですから・・・。

【Mさん】 そうすると、同じように私たち在家にも問題があるかもしれませんね。

【お助けマン】 と言いますと?

【Mさん】 いやね、この間、ある精舎に研修に行ったのですが、受付に居た職員の方から、「お客さまのお部屋はここでございます」と言われたのです。言葉はきれいで、それは丁寧で親切でありがたかったのですが、私は、自分を鍛えるために修行に来たのであって、決してホテルのようにサービスを受けるために来たのではないと、だから、何か、違和感を感じたのです。

【お助けマン】 なるほどね。それだと、修行に来た修行者が、単なるホテルの「お客さま」になってしまいますよね。

【Mさん】 私自身は、仏道修行や布施行が目的であって、決してお客さまとは思ってないんです。でも「お客さま」と言われると、「自分は客なんだ。お客さまは神様なんだ」と誤解する修行者も出て来るのではないかと心配になってきたんです。そういえば、研修生においても、精舎の宿泊で朝の作務をしっかりとやらないで帰る人もいると聞いて、これまたがっかりなんです。これはもうホテルにお客様マインドということではないでしょうかね。

【お助けマン】 やはり、精舎はホテルではないのだから、職員自体が来山者を「お客さま」扱いにしないで、「修行者」なんだとしっかりと認識する必要があるでしょうね。これも、これからもう一段、会が脱皮するためには必要なことと思います。やはり、在家のほうも、「お客さま根性」「お客様波動」にならないように気をつけないといけないということでしょうね。

【Mさん】 それはそうとして、最後に、私の胸にぐっと来たヤイドロンさまのお言葉がありますので、そこを朗読させていただきます。さきほどの76ページの続きからです。

あえて私が進言するとしたら、国家レベルでの対決問題までもう入ってきているので、総裁を、”天草四郎”にしないためには、やっぱり、もうちょっと控えるように言うしか、私のほうとしてはもうないんですけれども。あくまでも担(かつ)いで戦いたいですか。どうなのでしょうか。‥‥自分たちで、もうちょっと教線を伸ばす力はないんでしょうか。‥‥これ以上になりますと、私も三百六十五日、二十四時間体制になっておりますので、もうちょっと仲間を呼んでこなければいけないことになるんですが。ええ。あなたがたは、そういう態勢にはなっていないですよね? みんな、やっぱり、会社に勤めている人の体制ですね、ほとんどがね。「宗教としては立っていない」と思います。何かがおかしいような気がします。‥‥略‥‥
根本においては、やっぱり「信仰心が弱い団体だ」というふうに思います。多元的な価値観を標ぼうはしているけど、それは「信仰心の弱さ」ともつながっているんではないでしょうかね。

と、これまた厳しく、また、問題の核心をつくお言葉でした。

【お助けマン】 ここまでズバリと言っていただいたことはなかったかも知れません。この経典が出されて3年以上が経っても改善されなかったということです。主が、今回、天上界にお還りになったという原因の中には、ヤイドロンさまのご指摘の内容もあるのではないでしょうか。

【Mさん】 はい、私自身、今回の復活の祈りを通して信仰心の立て直しをし、主に、この三次元世界にお戻りいただきたいと思っております。そして、間違っても「お客様根性」を持つことが無いように頑張っていきたいと思っています。

【お助けマン】 いや、本当に今が正念場ですね。
もしですよ、もしも、これらが改善されなかったならば、これは考えたくもありませんが、主がお戻りになられないこともあり得るということでではないかということですよ!

【Mさん】 いやいや、それは考えたくもありません。私は、何としても古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分に生まれ変わりたいです。これは絶対にできると思っています。では、今日は、これにて帰らせていただきます。

と、言ってMさんは、厳しいお顔でお帰りになりました。それにしても3年以上前にヤイドロンさまから既にお答えを頂いていたとは・・・。職員の方はもちろんですが、私たち在家信者も、今回を機に猛反省して、職員の方々には、「サラリーマン根性」を、在家の私たちは、「お客様根性」を払拭して真の信仰者に脱皮し生まれ変わるしかないと思った次第です。

主エル・カンターレに感謝。

(終わり)