主への信仰を説くは弟子の仕事?
Gさんがやって来られました。なんでも、主がご自身で、ご自分の偉大さや自分への信仰の大切さをお説きになっている説法を聴いて、これは、本来、弟子の仕事ではないかと思ってやって来られたのです。
【Gさん】 いつもおじゃましてすみませんね。復活の祈りに参加し、支部で主のご法話を拝聴させていただいているのですが、そこで少ししっくりこないところがありまして、やってきました。
【お助けマン】 いやいや、いつでも大歓迎ですよ。
ところで、しっくり来ないところとは何ですか。
【Gさん】 それがね、主のご法話ビデオが流されるのですが、その多くは、やはり、今、復活の祈りをしているからと思うのですが、主への信仰への大切さの内容が多いのです。それはそれでありがたいのですが、主への信仰は、本来、弟子が言わないといけないんじゃないかと・・・。
お助けマンさんならどう思う?
【お助けマン】 それは難しい問題ですよね。幸福の科学は、「法」を非常に大切にするところなので、特に弟子が法を創造したり改変することに対しては、厳しく禁止されていますので、講師が自分で言えないのでしょうね。もし、法の創造をしたならば、それこそ無間地獄に堕ちますからね・・・。
【Gさん】 だからかね、講師の皆さまは、非常に法に忠実で、一字一句、主のお言葉を間違えないように述べておられます。
それで、ほとんどがご法話抜粋になっているんだけど、ビデオの中で主が、自分を信じて下さいとか、自分に帰依してくださいとおっしゃっていますが、本当はなかなかご自分では言いにくいことではないかと。でも、弟子が言えないものなんで、あえてご自分でおっしゃっているのではないかと思ったのです。
【お助けマン】 なるほど、そう思いましたか・・・。
確かに、昔は主は「私を信じなさい」とはあまり言ってこられなかったと思います。そのことは経典にも残っています。会内経典の『君よ、涙の谷を渡れ』の第一章「純粋な信仰」の18ページにありますので、少し読みますね。
当会では、「仏・法・僧」の三宝への帰依がよく言われますが、「仏」については、あまり「私を信じなさい」と言わなかったので、‥‥(略)‥‥
とあって、主は、ご自分で「私を信じなさい」とはあまり言ってこられなかったのです。
【Gさん】 だから、法に忠実な講師の人も言えなかったんだね。
【お助けマン】 そうだと思います。
ただね、三宝帰依の「仏」への帰依は、30年以上前に発刊された経典『仏陀再誕』において強く出ていましたし、それも99%の信仰は0%で、信仰は100%を要求するとも当初から学んでいました。
さらに、経典『永遠の仏陀』では、大川総裁が、1000億年の昔から存在していた造物主であり始原の神であることが既に明確に示されていたのです。
【Gさん】 えーっ、そうなのになぜ大川総裁のへの信仰をもっと弟子が出して来なかったのでしょうかね。
【お助けマン】 それは、先ほど会内経典の一部を読みましたが、自分を信じよというお言葉があまり経典になかったので、弟子たちが言えなかったからだと思いますよ。
【Gさん】 あーっ、そうか。もし無いことを言えば、法の創造になるかも知れないんだ。
【お助けマン】 そうです。おっしゃるとおりです。
でも、すでに会内経典の『君よ、涙の谷を渡れ』には、たくさんお言葉を頂いていますので、これからは何度も言えるかと思います。
【Gさん】 でも、やはり講師さんご自身の信仰の念いをご自分の言葉で聞きたいですよね。
【お助けマン】 私もそう思います。そのほうが聴くほうの心に響きますからね。
信仰とは、やはり上司から指示されて行うものではなく、その人の魂の底から湧き上がってきた念いのはずです。ですから、主の偉大性や主に対する信仰の念いは、その人が今持っているその念いをそのまま素直に言ってもいいと思います。要は、レジュメや台本がなくてもかまわないということだと思います。そのほうが聴く人たちにとっても心に響くのではないでしょうか。
【Gさん】 そうですよ。台本なしで、あなたはどう思っているのか、ということを聴きたいのです。
【お助けマン】 やはり、これからは菩薩の法をどんどんと講師が出して、伝道していくときに来たと思います。もちろん如来の法は変えてはならないし、ましてや作ってはいけませんが、「如来の法」をもとにして、その応用型として「人・時・所」にあった「菩薩の法」、つまり、実践段階での説法などが、これからさらに必要になるのではないかと思っています。なぜなら、「法を説くは師にあり、法を広めるのは弟子にあり、弟子の仕事」だからです。
実は、経典『信仰と情熱』の第1章「信仰と情熱」の32ページには、主のお言葉があります。少し長いですが読みますね。
そのなかに盛られている思想の一つひとつを深いところまで理解し、心のなかのダイアモンドに変えていかなければなりません。心のなかの真珠に変えていかなければなりません。そして、そうした財宝を数多く持っているからこそ、人々の心のなかに宝石を宿していくことができるのです。人々の心のなかに真珠をつくり、ダイアモンドをつくっていくことができるのです。
もし、自分自身の心のなかに持っている光がイミテーションの光であるならば、まがい物の光であるならば、他の人々を指導したところで、その心のなかから導ける光もまた、模造真珠の光であり、模造ダイアの光でしかありません。
と、厳しいお言葉を頂いています。でも、これが、当会が本物であることの証明でしょうね。
【Gさん】 びっくりしました。きちんとおっしゃっているじゃないですか。
分かりました。では、これからは講師さんのそれぞれの個性にあった信仰心の高め方を、もっともっと聴きたいと思います。
【お助けマン】 ですから、法は変えたり創造していけないのは当たり前ですが、主の偉大性を講師の感じ方で述べたり、主への信仰の大切さを述べることは、これらは弟子の仕事ではないかと思います。そうであってこそ、後から続く私たち信者も身近な精進の目標ができますので、ありがたいのではないでしょうか。
【Gさん】 分かりました。
これですっきりしました。今日は、たくさんの気づきをいただきありがとうございました。それでは、今日は、これにて帰ります。
と言って、Gさんは帰られました。これからは、指示を受けてから動くのではなく、また指示がないから動けないという会社型のスタイルから脱却し、この救世運動を使命として生まれてきたからには、本当に命をかけてこのエル・カンターレ信仰を広めていかなければならないと思いました。
私たち仏弟子は、このたびの主の一時帰天で目覚め、ヤイドロンさまがおっしゃっているように、すべてを主にお任せするスタイルから脱却して、自分の責任でエル・カンターレ信仰を全世界に広めていかなければならないと強く思った次第です。
主エル・カンターレに感謝。
(終わり)