信じることと奇跡との関係とは

法友で主婦のEさんが、久々にやって来られました。奇跡と信仰心との関係が今ひとつ分からないので、分かりやすく説明して欲しいとやってこられたのです。

【Eさん】 お久しぶりです。今、子供を幼稚園に送ってきました。それで来させていただきました。
実は、毎日、支部に行って復活の祈りをさせていただいておりますが、自分で何か形式的になってしまっているのではないかと心配になってやってきたのです。それで、私たちの信仰心は、復活の奇跡と関係があるのではないか、と思ってやって参りました。どうぞよろしくお願いいたします。

【お助けマン】 いつでも大歓迎ですよ。信仰心と奇跡との関係ですよね。両者には関係が大有りだと思いますよ。
少し待って下さい。本棚から今、経典を探して参りますので・・・。
あっ、ありました。会内の経典で、『君よ涙の谷を渡れ』の中に、第5章「もう一段の信仰を」の中の「➁ほんとうの自信を持てば奇跡はもっと起きる」のところが参考になるかと思いますので、読んでみますね。

今後、当会に宗教として実績がついてきたら、みんさんは、もっと自信が出てくるでしょう。そうすれば、奇跡がもっと起きるようになります。いまでも、奇跡は、当会のあちこちで起きていますが、本来は、この程度ではありません。ほんとうの自信が出てきたならば、もっと、いろいろな奇跡が起きてきます。現在の十倍、百倍もの奇跡が起きてくるはずです。みなさんには、まだまだ、本当の意味での信仰心が足りません。まだまだ信仰心が低いのです。まだ、十分の一も百分の一も信じていないのです。

と、あります。

【Eさん】 えっ、私は毎日お祈りもしているし、支部にも行っているし、十分の一も百分の一も信じていないと言われても・・・。

【お助けマン】 いやね、形も大事だけど、形だけではだめだということだと思いますよ。やはり、本当の意味での信仰心が備わっていないといけないのです。

【Eさん】 じゃ、その本当の意味と言われる信仰心があるのかどうかを、どうチェックすればいいのでしょうか?

【お助けマン】 それは、以前にも、「信仰心には必ず精進と感謝が伴う」とお話しをさえていただきましたが、さらに、経典『君よ涙の谷を渡れ』の中の第1章「純粋な信仰」の中に次のようなお言葉があります。

言いにくいことではありますが、私より父や母を信じ愛する者、私より夫や妻、あるいは自分の子供を信じ愛する者、私よりも友人・知人や学校の先生を信じ愛する者、あなたがたには光の天使になる資格はありません。ただ、天国に入ることは可能かもしれません。そかし、光の天使の世界、菩薩や如来の世界に入りためには、あなたがたの最も身近な人たちを信じ愛する以上にあなたがたの主を愛さなければいけません

と、あります。

【Eさん】 だって、今、読んでいただいたのは菩薩や如来の世界に入る人たちのことでしょ。私にはとてもそのような高いところに還れるとは思っていないし、それと、それが信仰心のチェックとどう関係があるんですか?

【お助けマン】 実は、霊格と信仰心とは一致するものなのです。ですから、信仰心がそれだけのものであったならば、霊格もそれだけのものであると言えるのです。
そこで大切なことですが、主は私たちが、今世、出来る限り菩薩以上の世界へと還って欲しいと願っておられるのです。菩薩になるためには、我を捨てて、無我となって主と一体となることが必要と言われていますが、その主と一体となることが、主を信じることであり、主を愛することでもあるのです。

【Eさん】 でも、自分の子供だったら、いろいろと私以上に気をつかって毎日過ごせるけど、でも、それ以上に主を愛しないと言われると・・・。

【お助けマン】 そこです。そこが大きな分かれ道なのです。

【Eさん】 今までは、幸福の科学にいいことが書いてあって、いいなぁー、と思っていましたし、祈願祭には家内安全祈願などをさせて頂いて、それはそれで満足していました。もちろん、私のママ友もお誘いし、結構会員になってもらいました。

【お助けマン】 はい、今や、まさしく会が、かつてない偉大なるステージに向かって行こうとしている時なのではないかと思います。そこに居あわせた私たちは非常に恵まれていると思うのですが、それに伴って私たちも脱皮するときに来たということだと思います。

【Eさん】 なるほど、そういうことですか。そう言ってもらえば分かります。世の中によくあるご利益宗教ではないですものね。

【お助けマン】 そうです。その脱皮のカギを握っているのが、この「信仰心」なのです。つまり、今までの全ての価値観以上に、また、自分の子供を思う以上に、主を常に念うこと、主を愛することを置くという自分の心の変革が求められているということなのです。

【Eさん】 分かりました。具体的に言ってもらってありがとうございます。
いつも自分の子供のことを気にかけていますが、それ以上に、主を念うということですね。やってみます。できなくはないと思います。だって、私は心の底から主を信じているからです。では、今日はこれで帰ります。

と言って、Eさんは帰られました。自分の愛する子供以上に主を愛すること、ここまで具体的に主を愛することの意味を出して頂いたおかげで、抽象的な言葉ではなく、より、実質的で力の入った信仰心へとこれから昇華していくのではないでしょうか。また、それにともなって、今までの常識は「揺らぎ」、人々が信じられないような「奇跡」が起きるのではないかと思う次第です。
主エル・カンターレに感謝。