「祈りの力」のすごさ

Gさんがやってこられました。今、支部で「復活の祈り」を続けていますが、その祈りについて聞きに来られたのです。

【Gさん】 こんにちは!
私も古い会員なので、幸福の科学の歴史をある程度知っていると思うのですが、ここのところ「信仰心」と「祈り」の大切さが強調されているとお聞きしています。信仰心については分かるのですが、祈りの大切さについてお伺いしたいと思って来させていただきました。

【お助けマン】 私も一会員ですから、その深い意味は分かりませんが、確かに昔は、真理を勉強する教学と、反省や瞑想による修行のほうがが重んじられていたと思います。

【Gさん】 それがなぜ変わってきたのですか?

【お助けマン】 それは、変わってきたのではなく、以前の教学と修行の重要性の上に、「信仰心」と「祈り」が加わってきたということだと思います。仏教路線から始まった宗教スタイルが、そのあとに救世主的なる部分が強く出てくるようになって救済色が強くなり、それにともなって「信仰心」や「祈り」が強調されるようになってきたと思います。

【Gさん】 なるほどね、教えが変わったのではなく、どんどん進化しているということなんですね。じゃ、信仰心は当然として、では、今なぜ祈りなのでしょうか。

【お助けマン】 それは、もちろん、自分でできることは自身を鍛えて成し遂げていくことができますが、自分には到底無理だと思われることは、ギブアップするか、あるいは、もう他の力を借りるしかないのです。その他の力を借りる手だてが「祈り」ということなのです。

【Gさん】 そりゃそうですね。主の復活は自分の力だけでは無理ですもんね。

【お助けマン】 祈りには電話かけと同じように、たとえ普段には会話ができない相手であっても、電話番号という手だてさえ知っていれば、直接に通じることができるという性質があるのです。ですので、「波長同通の法則」(*1)を超えて、自分より霊格の高い高級霊の方に直接お願いすることができます。その電話番号に当たるのが、「祈りの言葉」と言うことなのです。

【Gさん】 でも、祈りは何か儀式みたいで、作法だけのような気もしますが・・・。

【お助けマン】 とんでもない!
小説『ゆらぎ』」についての対談が会内経典になったその説法の中に、祈りのすごさについて大川総裁の分かりやすいお言葉がありますので、そこを読んでみたいと思います。86ページからです。

それから、『聖書』を読めば、イエスが悪魔と戦うときに、「この手のものは祈り以外にもうない」という言葉を言っているところもあります。普通のエクソシストでできるものと、できないものがある。「この手のもの」というのは、そうとう強すぎて、どうにもならないようなものですね。
「これはもう祈りしかない」と言っていますけれども、これは意外に、非常に重要なことでして、この小説で書かれていることは、「祈りの力は、現在ただいまの世界にも届くし、あるいは霊界にも届くし、霊界を貫いて併行宇宙(パラレル・ワールド)やマルチバース(多宇宙)にまで、祈りは届く可能性がある」ということです。そういうことを言っています。特に、集団でみんなが真剣に祈った場合は、届くことがあるのです。
だから、併行宇宙のなかで、毒蜘蛛のとりこになって糸で縛られている、そういう状態でも、みんなで祈ったら、その糸が切れてしまうようなこともある「こういう力があるんだよ」ということです。現在ただいまについては、そういうことが言えます。
この祈りはさらに、未来にも通じるものがあるのです。
みんなが未来に対して、強い祈りを共同して持てば、未来に対する強い光になるのです。「未来を変えることも可能だし、過去を変えることも、ある意味では可能になることがあるのだ」ということですね。「過去をも変える力になるのだ」ということを、これは暗示的に説いています。

と、あります。

【Gさん】 ちょっと待って下さい。祈りによって未来を変えるということは、これからのことですので、あり得るかなと思うのですが、過ぎてしまった過去をも変えられるということは、なかなか理解できないのですが・・・・。

【お助けマン】 そりゃそうでしょうね。起きてしまったことは常識的には変えることはできませんものね。
でもね、長くなって申し訳ないけど、大川総裁は、続けてこのように述べておられるのです。

みなさんは、まだ「祈りの力」について本当に解明ができていません。祈りの力こそ、本当は三次元的なるものを超える力であり、肉体に宿る人間であるけれども、肉体人間が異次元存在であることを自分で自己認証したときが、祈りのときなのです。祈りに力があると確信できたときに、実は、肉体人間が三次元的なるものを超える力を持つことができるのです。祈りは、「過去・現在・未来」に届くわけです。

さらに、イエス様の復活についても述べておられます。

「イエスなら、ゴルゴダの丘で十字架に架かって死んだだけなのかも知れないが、後世にキリスト教徒が二十何億人とも言われるほど広がって、イエスを信じる人たちがそれだけ居て、それだけの思いが集まったら、二千年前のイエスだって復活するでしょう」ということです。「そういうことが言えます」ということで、この祈りの力のところは、もうちょっと知ってほしいです。

とあり、キリスト教信者の二十億人が現在祈るならば、二千年前のイエス様の復活に影響をも与えるとおっしゃっています。それだけ「祈りの力」はすごいということなのです。

【Gさん】 ほんとだ。と、いうことは後世の信者たちが主エル・カンターレに対して熱心に祈ったならば、現在において奇跡が起きると・・・。

【お助けマン】 そういうことです。
ただし、私たちが、今、世界に「エル・カンターレ信仰」を広めていかなければ、後世の人々の祈りによる奇跡は起きないということでもあるのです。

【Gさん】 分かりました。要するに、私たちがエル・カンターレへの信仰をさらに強くし、皆で共同して祈り、そして、さらに後世にエル・カンターレ信仰を伝えなければ、現在において奇跡も何も起こらないということですね。
祈りは他力だと思いましたが、やはり自力あっての他力でなければ、真なる力ではないということも分かったように思います。祈りは単なる「お任せ」ではないということですね。
それでは、私も自力を強くして、これから午後7時の支部の「復活の祈り」に間に合うように、これにて失礼いたします。

と、言ってGさんは、支部に向かわれました。
それにしても、祈りは単なる儀式にあらず、この宇宙で最大の力を持つ光の武器であることをしっかりと確認できたと思います。大川総裁の「この祈りの力のところは、もうちょっと知ってほしいです」というお言葉が胸に響いた人は、おそらく私たちだけではないと思います。イエス様が十字架に架かられたときよりも、もっと多くの熱心な信者が現在います。祈りの力のすごさを確信して「主の復活」を祈りましょう。

主エル・カンターレに感謝

(終わり)

(*1)『黄金の法』3「想念帯の秘密」の仏光物理学の第三テーゼに、「仏の光は、周波性を持つ」とあり、自分と同じ心の波長を持つ相手とは通じ合うことができるという法則を「波長同通の法則」と言う。この法則によって、波長が異なる高級霊とは通じ合うことはできないが、その法則を超えて通じる手だてが「祈り」と言われる。