「信じる力」は山をもくりぬく


三帰誓願して3年というFさんが、質問があるというので来られました。何でも、「信じる」というのは、霊的なるものであるということは分かるのだけど、それに、どのような意味があるのかが分からないということでした。

【Fさん】 初めまして。私は三帰誓願をしまして、まだ3年ぐらいしか経ってないからだと思うのですが、信じることの意味がまだ今一つ分からなくてやって参りました。それで、法友から、お助けマンのところに行くと教えてもらえるかも知れないよ、と言われて来させていただきました。

【お助けマン】 ようこそおいで下さいました。いつでも大歓迎ですよ。信じるということの意味を教えて欲しいということですね。分かりました。私の分かる範囲でよければ、お答えさせていただきます。

【Fさん】 それで結構です。よろしくお願いいたします。

【お助けマン】 まず、信じるという行為は、この3次元世界において、証拠なくして確信することと定義している人もいます。しかしながら、それだけではもちろんありません。

【Fさん】 それだけではない。と、申しますと?

【お助けマン】 というのは、かつて、ここの問答でも答えましたが、書籍 『神秘の法』の第5章「信じるということ」の325ページに次のように述べられています。

信仰とは、この世とあの世の壁を超えるための力であり、この世とあの世の壁を超えるための武器です。
信じるということによって、次元の壁が破れるのです。信じる力によって、次元の壁を超え、 いろいろなものが行き来するようになるのです。 いろいろなパワーがよみがえってくるのです。この世とあの世が一体化するのです
強い信仰心のなかに生きているとき、みなさんは、三次元世界に生きていながら、 多次元世界に生きているのと同じなのです。強い信仰心のなかにいるとき、みなさんは、 如来界、菩薩界、光明界、善人界など、天国の世界にいるのです。

と、あります。 つまり、強い信仰心のなかに生きているときには、 次元の壁を超えてあの世の霊界の高次元の世界が一体化し、そこにいるのと同じだとおっしゃっているのです。

【Fさん】 ということは、信仰心を持って生きているということは、あの世にいることと同じということなんですね。それは本当にありがたいことです。でも、この世の世界は、変わりなくそのままだということですよね。

【お助けマン】 そうではないのです。Fさんは、思いの力にはどういうものがあるかご存知ですか?

【Fさん】 そう言えば、『太陽の法』の第2章 の8節「心の作用」のご説明の中で、心には創造作用があって、創る力があるのだと。そして、その「おもい」には、「思い」と「想い」と「念い」の3種類があって、あとのほうが創造性が大きいとも学びました。

【お助けマン】 そうです。この世の3次元の世界では、野球のバットやテニスのラケットように実際にボールを打たない限り、ボールは動きませんよね。心で動けと思ってもボールはまったく動きません。だから人々は、心の「おもい」には力がないと思っていますが、本当はそうではないのだと。大川総裁は、そのようにおっしゃっているのです。
同じく、『黄金の法』の、第1章「黄金の人生を創る」の3節「想念帯の秘密」の中の「仏光物理学」の第二テーゼに、「仏の光は、その凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行う」とあって、「おもい」には創造もできるし、破壊もできるともあります。

【Fさん】 昔、ガラスのビンに中につるされたコインを念力で動かす超能力者をテレビで見たことがありますが、それ以上の力はないと思うのですが・・・。

【お助けマン】 いえいえ、それがすごいのです。『信仰の法』第1章「信じる力」第4節「信じる力が、奇跡を起こす」の中で、おしゃっていますので、少し読んでみますね。

「信じる力」の持つ本当の意味とは
まだ、「信じる力」の本当の意味を分かっている人はそう多くないかもしれませんが、「信じる力」とは、心の中の気休めだけではありません。「信じる力」というのは、本当に物理的な力を持っており、この世において生きる上で各人の道を妨げているものを打ち破り、貫いていくだけの力があるのです。・・・(中略)・・・
この「信じる力」をレーザー光線のように結集していけば、どのような山でもくりぬくことができます。今こそ、そういう時が来ていると思うのです。

と、あります。
昔は、このようなことを言っていただけなかったのです。おそらく、皆の私たちの信仰心がそれほど強くなかったのではないでしょうか。でも、今が、その時であると。

【Fさん】 本当だ。ありがたい! 認めて下さったのですね。今、まさに、私たちは主の復活を祈っていますが、何か信仰心と関係があるのでしょうか。

【お助けマン】 あると思いますよ。主は、今、天上界から見ておられるのではないかと思います皆の信仰心がどれほどのものであるのかと。だからこそ、今、自分の信仰心がどの程度のものであるのか再度確認し、それを堅固なるもににする必要があるのではないでしょうか。

【Fさん】 分かりました。さっそく、自分の信仰心を点検して、「レーザー光線」に加えていただけるよう、再度、自分をみつめて見てみたいと思います。
今日は、色々な気づきをいただきありがとうございました。それでは、これで帰ります。

と、言ってFさんは帰られました。問答にもあったように、「おもい」の力は、バットやラケットなどでボールを打つ力もないと思っている唯物論の社会にあって、「いや、そうではないのだ、本当は、それ以上、山をもくりぬく力があるのだ」という主のお言葉を信じることが、それこそ本当の力ではないでしょうか。
今、主の復活を願い、「復活の祈り」を続けている私たちの信仰心は、やがて光の束となって、大きな奇跡をこの世に現わしてくると確信する次第です。

主エル・カンターレに感謝。

(終わり)