仏陀の時代でも3か月間この世に不在があった

 大変ご無沙汰いたしました。最後の投稿が、2014年の6月でしたから、あれから約9年の月日が経ちました。
 その間、本サイトのメンバー全員が、この世的に大変忙しい毎日でした。それで、最近、大川総裁の肉体的死のニュースを受けて、これは何かお手伝いしないといけないと思って支部に行った次第です。
 そのとき、法友のKさんにお会いし、色々とお話しをすることができましたので、そのときの内容を以下に紹介させていただきます。

【お助けマン】 Kさんこんちには。先日、ニュースで大川総裁がお亡くなりになったとの報道があって、これは大変なことだということで、さっそく支部に来たのです。

【Kさん】 イヤー、お助けマンさん、お忙しい中よく来て下さいました。
 いやね、今、教団にとって大変なときなんですよ。過去2004年5月に、大川総裁が、心筋梗塞で心停止していたことが判明し、医者から「あなたは死んでいるはずだ」と宣告されたことがありましたよね。でも、そのときは、総裁は、ベッドで本を読んだり、また、執筆のお仕事もされていたようですが、今回は、どうも、ずっと横になっておられるような感じで・・・。

【お助けマン】 いや、私だって新聞やネットのニュースなどで知って、腰を抜かすぐらい驚いていますよ。聞いた当初は、誤報だと思っていましたから・・・。

【Kさん】 それで、3月2日に肉体的にお亡くなりになってから、もう、2ヶ月余りが経つので心配になってしまったのです。だって、小説『揺らぎ』の119ペーから120ページを読ませてもらうと、

校長宅には、『UMA研究会』のメンバー八名と、家族と校医が集まっていた。校医の鴨大吉先生は、五十歳。令和校長の肉体を診察したが、「病院に連れていくと死亡判定されるでしょう。心臓が動いてないし、呼吸もしていない。ただ『HCS』学園の校医としては、魂が幽体離脱していることを認めざるを得ないので、何日ぐらいこの状態で持つかですな。プラトンの『国家』篇では、エルという青年が、死亡して二週間目に、たき木を積み上げて、まさに火葬に付そうとされようとした時、息を吹き返し、あの世の見聞録を語ったとされるので、MAX二週間かな。北欧の霊能者スウェーデンボルグで、一週間ぐらいの幽体離脱の記録はある。・・・略・・・病院では、即死体判定になるので、息を吹き返すよう、皆で祈るしかないですな。」とのことであった。

とあって、二週間ぐらいが限度と思っていましたので、心配で、心配で、・・・。

【お助けマン】 そう”慌てなさんな”というところでしょうね。  小説『揺らぎ』では、心臓が止まったのは令和校長さんですよね。大山雄法老師でもないし、おそらく校長さんでは悟っておられると言っても二週間が限度だったんでしょうね。
 でもね、仏陀が2600年前に幽体離脱して、実際に天上界に行って摩耶夫人に説法したことがあったということなんですよ。それも、当会の経典には3か月の間、天上界に居られたとあるので、まだまだ忍耐が必要ということだと思っていますよ。

【Kさん】 えっ! それは知りませんでした。それは一体どういうことなんですか?

【お助けマン】 だって、大川総裁の経典に書いてあるでしょ。あなたは『神秘の法』を読みましたか?

【Kさん】 もちろんですよ! 法シリーズでしょ。法シリーズは、各書最低5回は読んでいると思います。

【お助けマン】 その『神秘の法』の207ページに、3か月の間、仏陀は天上界に還って摩耶夫人(まやぶにん)に説法したとの記述がちゃんとありますよ。

何か月か、おこもりしてしているうちに、この世から遊離してきて、この世のものに邪魔されない状態になります。この世のものが、いろいろと入ってくると、やはり、「深い禅定に入って霊界に長く居る」ということができないので、この世から隔離された形を取るのです。
仏陀は、その三か月ぐらいの間に、天上界に還って、母である摩耶夫人(まやぶにん)に説法をした。幼いときに亡くなった母に会って、仏陀としての悟りを説いた」という記録も残っています。


というように、大川総裁が記録が残っているとまで言われていましたので、インターネットで検索してみました。すると、この仏陀が天上界に3か月の間、天上界に登られたことは有名で、、Wikipediaには、仏陀が摩耶夫人がおられる天上界の忉利天(とうりてん)で説法されたとの記録が紹介されていました。また、そのwikipediaには、さらに詳しい仏教学者の論文へのリンクまでありました。

【Kさん】 なるほど。そこに書かれているとは知りませんでした。『揺らぎ』の小説では「MAX二週間かな」とあったので心配していたのですよ。

【お助けマン】 また、そのWikipediaには、仏陀が地上に降りて戻るために、宝石で飾った三道宝階という階段を降りて来られる様子も仏教絵画で掲載されていました。それがこれです。


【Kさん】 あ、本当だ。仏陀が階段を降りている。それだけ有名なことだったのですね。

【お助けマン】 またまた、さらに、日本の今昔物語にもそのときの様子が記載されており、仏陀は、三か月間摩耶夫人のために天上界の忉利天(とうりてん)に居たところ、人々の「仏よ、私たちのために法を説いてください」という願いを受け入れられて、閻浮提(えんぶだい、人間世界)に階段を降りて祇園精舎に戻られたとの記述もあります。
 ただ、その記述で気になることは、『そのとき、世界は大きく揺れ動きました(仏の説法にともなう震動、六種震動)』という記述もあって、もしかすると天変地異を意味していると取れるところもあることです。

【Kさん】 そう言えば、5月5日の午後2時半過ぎに石川県の石川県珠洲(すず)市で震度6強の地震があったところだよね。

【お助けマン】 でも、今世は、仏陀のご本体であるエル・カンターレであられるので、3か月間という長さがどのようになるのかは分かりません。3か月ぐらいのままかも知れないし、4か月,5か月,あるいは、6か月かも知れないのです。
 また、昔の人たちには、仏陀が宝石の階段を降りられたように見えたかも知れませんが、それはUFOによる美しいビームによって現れた階段だったということかも知れないのです。

【Kさん】 本当だね。当時、人々はUFOなんて知らなかったもんね。

【お助けマン】 そうです。だから大切なことは、小説の鴨大吉先生の言葉にもあったように「皆で祈るしかないですな」ということだと思いますよ。祈りには力がありますから・・・。

【Kさん】 いやー、よく分かりました。
 これで「復活の祈り」がいかに大事か分かりました。今まで毎日支部でのお祈りをしていませんでしたが、休みの日なら日中、仕事の日なら7時からのお祈りに必ず出るようにします。教えてもらってありがとうございました。

と、Kさんはおしゃって別れました。直近に出版された経典の『揺らぎ』の小説では「MAX二週間」と書いてありましたが、経典『神秘の法』に書かれていた仏陀が3か月間、天上界の実母である摩耶夫人に説法をしたという記述があることを忘れていた人もおられたのではないでしょうか。
 今回、また経典から学ぶことの大切さと、信仰心の大切さを学ばさせていただいた次第です。主エル・カンターレに感謝。

では、問答はまた次回にも続きます。

(終わり)