信仰心の維持はどのようにすればいいですか?
先回に引き続き、古い幸福の科学の会員さんのGさんが来られました。Gさんは、 会員歴が長いがゆえに、信仰心をどのようにすれば末永く維持できるのか、 これを聞きに来られたのです。
以下は、Gさんとの会話の内容です。
【Gさん】 先回は、 自分の信仰心の程度を知る方法を教えていただきありがとうございました。 おかげ様で、自分の信仰心がどの程度のものかを知ることができました。
それで、今日お伺いしたのは、ではどのようにすれば、信仰心を一生高く維持し続けることができるのか、 これを聞きにやって参りました。
【お助けマン】 いや、それが全て分れば私だって大喜びですよ。 信仰心の維持については、やはりそれぞれの人に適した方法があると思いますので、 一概に、これですと言うような紋切り型で、お話しすることはできないと思いますが・・・。
【Gさん】 それもそうですね。 でも、今日は、お助けマンさんにおける信仰心の維持の場合という設定で結構ですので、 お話しして頂けるでしょうか?
【お助けマン】 分りました。信仰心を維持するためですね・・・。
うーん、そうですね、私が実践しているポイントとしては、何点かあると思います。
まず、第一点目ですが、先回の信仰心の程度を知ること とも関連しますが、 やはり、「道に精進してること」が信仰心の維持に必要ではないかと思います。 それも、その精進が「苦行」にならず、喜びになっていることが大事と思っています。 つまり、私は、真理を知ることによって、昨日の自分より智慧を得て悟りが向上したという自覚が、 すなわち信仰心を高め、かつ、維持するのではないかと思っています。
そこで、 『仏陀再誕』の第6章の中にある「日々の発見 日々の感動」のところを読ませていただきます。
一時的に身命を賭すという気持ちになることは、
そう難しいことではない。
ただ、おそらくは十中八、九の人間は、やがてその感激を忘れ、
平凡な生活のなかに埋没していくということだ。
その感激を忘れ、その尊さを忘れた時、また自らも転落し、
平凡なる河原にて、石を数えているということを忘れてはならない。
よいか、
修行への道は日々の発見であり、日々の感動である。
もし、そのようなものを感じなくなったとするならば、
もはや慢心していると言わざるをえない。
慢心したる者は、悟りへの入り口をくぐることはできないのだ。
慢心したる者は、その門より追い出されることとなる。
その門から転げ出、そしてやがて、
元いた道を引き返さざるをえなくなる。諸々に比丘、比丘尼たちよ。
およそ、人生の勝利とはこのようなものだ。
一時的な決意は、すべての者がすることができる。
しかし、その決意を堅持することは難しい。
その決意を堅持することができた者は、
さらに大いなる境地に達することができるであろう。
その不退転の境地に達した時に、
天も地もこれを祝うであろう。
とあり、毎日、何かを発見して感動することが、 自分の信仰心の維持にとって非常に重要なことではないかと思っています。
【Gさん】 だからお助けマンさんは、 毎日、真理の書籍を読まれているのですね。
【お助けマン】 読まなければならないという訳ではなく、 今では、自然に読んでいるような気がします。 通常、小説などの本は一度読むとあまり読む気がしません。 しかしながら、真理の書籍は、何回読んでも飽きることはありません。しかも、また新しい発見があるのです。 不思議なことですが、ここは以前に読んだところだと思っていても、新しい発見が、その都度出てくるのです。 その発見の喜びが、信仰心の維持に非常に関連しているのではないかと思っています。
【Gさん】 それは、私にも分るような気がします。 真理の書籍は、自分で分ったようなつもりでいても、 自分の心境によって感じるところが違うようなことがありますからね。
【お助けマン】 そうです。菩提心の言葉 『修行の誓い』 の中に、
心を 照らす 鏡なり
と、ありますが、まさに真理の法は、自分の心を照らす鏡なのです。 したがって、法を学ぶことによって、その都度、自分の心境が照らされて気づきがあるということではないでしょうか。
【Gさん】 なるほど、「日々の発見 日々の感動」の意味がよく分りました。
ところで、信仰心を維持するための第二点目は何ですか?
【お助けマン】 はい、その第二点目は、支部や精舎に行くことです。
これは、まさしく自分の信仰心維持のチェック・ポイントとなります。 もし、足が遠のいていたとするならば、信仰心が落ちていることを意味します。 そして、支部や精舎に行きますと、もちろん、光の磁場の中でご法話を聴いたりお祈りもできますが、 法友とお話しができるということが重要なのです。 法友と、法についてのお話しをするとか、活動についての話しをするとか、 あるいは、個人的な悩みがあれば相談にも乗ってもらい、 自分が一人ではないことを実感できるからです。
【Gさん】 それはよく分ります。 元気をもらうということですね。 ですから、私もエネルギーが低下したなと思ったら、精舎研修に行くことにしています。 実は、私は、世界の中で最大のパワー・スポットは、幸福の科学の精舎であると思っています。
【お助けマン】 さすがGさん、よく分っていらっしゃる!
【Gさん】 ところで、信仰心維持のための第三点目はあるのですか?
【お助けマン】 はい、あります。それは、「習慣化」だと思います。
何をするにも継続は難しいものです。でも子供のころに、あれだけ嫌だった歯磨きが、 大人になっても続いているのは、それが習慣化されたからではないでしょうか。 たとえ、つらいことであっても継続して習慣化すれば、 慣性の法則のように続いていくものだと、私は思っています。
ですから、私は、真理の書籍を読むことや、『正心法語』などの経文を読誦をし、お祈りをすること、 また、反省をすること、 そして、布教誌などの配布をすることを習慣化するように努めてきました。 まだまだ完全ではありませんが、 習慣化されたものは、やらなければ気持ちが悪いというように、 段々となってきているように思います。
【Gさん】 そう言えば、イスラムの世界では、毎日の習慣として、お祈りの時間が決まっていて、皆さん一斉にお祈りをされますし、 また、キリスト教でも日曜礼拝のために、毎週、日曜日には皆さん教会に行かれます。
【お助けマン】 そうです。信仰心は個人に帰するものではありますが、 連帯して皆で助けあうことが大事だと思います。 自分一人では難しくても、皆が一緒ならできることも多いと思います。 例えば、一人でマラソンのコースを走るよりも、大勢で一緒に走ったほうが楽に走れるでしょう。 これと同じと思いますよ。
【Gさん】 なるほどね。 そういう意味では、伝統的宗教がなぜ長く続いているのか、学ぶところもあるということですね。
【お助けマン】 そうです。ただ、ここで重要なことは、 信仰生活はやらされているのではなく、そこに自分の喜びがなければ、本物ではないと思っています。 信仰のもとで生きることは、実は、喜び以外の何ものでもないからです。
じゃ、その喜びとは何か。やはり、「仏のお役に立っているという喜び」、 「人びとの幸せに貢献しているという喜び」、そして、「自分の魂が向上していると言う喜び」、 これらの喜びがなければ、本当の喜びにはならないと思っています。
【Gさん】 そして、最後に重要なことは、 「神仏から与えられた使命を果たす」という目的に向かって行かなければならなということですね。
【お助けマン】 そうです。だって、私たちは、「神の子、仏の子」ですから!
【Gさん】 よーく、分りました。
今日もいいお話しを、本当にありがとうございました。 私も、河原で石を数えるような人生にならないためにも、信仰生活を有意義に送っていきたいと改めて思いました。 では今日は、これにて失礼いたします。
と、言ってGさんは帰られました。
お助けマンさんは、かなり理性的な人だと思いますが、信仰心の維持という問題を理論的に説明してくれました。 しかしながら、信仰心とは、いたって単純なものかも知れません。 理屈抜きに「信じる」ということだからです。
当初は理屈も必要でしょう。でも、あるところまで来たならば、 もう、腹を決めて、
「ただただ信じ切る」ことも大事だと思います。 なぜなら、私たちが神仏をいくら完全に理解しようたって、それは無理なことだからです。
もし、それが出来るなら、その人こそが神になってしまうことになります。 便所の落書きサイトや、アンチ・サイトやYoutubeには、そのような思い違いの”神々”であふれていることからも分るでしょう。
では、次回も問答が続きます。
主エル・カンターレに感謝。
(終わり)