大川総裁は、毎夜、反省をされている!
元ジャーナリストのAさんが、大川総裁が、毎夜、反省をされていると聞いて、 驚いてやって来られたのです。なぜなら、仏陀は修行をする必要もないし、 ただ法を説かれているだけだと思っていたからです。
以下は、Aさんとの会話の内容です。
【Aさん】 いやー、びっくりしたよ。 大川総裁は、もうすでに大悟されているので、 反省なんかしなくてもそのままでいいのではないかと思っていたら、毎日、反省をされているんだってね。
【お助けマン】 はい、そのとおりです。
【Aさん】 それはすごいね。悟ってもいないのに反省できない人がると思ったら、 大悟されているのに毎日反省されているとは・・・。
【お助けマン】 そうなのです。皆さんびっくりされますが、これも仏陀の証明だと思います。 最近出版された書籍ですが、 『「経営成功学」とは何か』 の第2章に質疑応答を収録した部分があるのですが、 そのなかで述べられているのです。
そこのところを、少しご紹介させていただきます。131ページからのところです。
今日も一日が終わってしまった。砂時計の砂粒が落ちていっている――。 人生は、平均二万数千日しかなく、そのなかの一日が、今日、”落ちて”いくわけです。 これは、実に悲しいことではないでしょうか。
私も、毎夜、反省をしています。いつも、「今日は進まなかった。 大したことができなかった」と言っているので、家内からは、 「そんなことはありませんよ。今日は、あれとあれをしましたよ」などと、よく言われています。
と、毎夜、反省されていることを述べられています。
【Aさん】 本当だ。毎夜、反省されているんだ・・・。
【お助けマン】 そうです。たとえ大悟して覚者となられたとしても、 謙虚に反省行を毎夜されているのです。仏陀でさえ毎日反省行を怠らないのですから、 ましてや弟子である私たちは、なおさらのこと怠ってはいけないと思います。
【Aさん】 でもどうなの、弟子の皆さんは、ちゃんと反省行を毎夜されているのかね?
【お助けマン】 うーん、さてどうでしょうか。 在家の信者の方々についてはどうかは知りませんが、 おそらく、出家者はもちろんプロの修行者ですので、 大川総裁と同じく毎夜、反省行をされていることと思います。
もし、出家者が毎夜反省行をしていないならば、悪魔の攻撃を受けて、それこそすぐに転落してしまうからです。 なぜなら、出家者は、在家者以上に悪魔から狙われていますので、反省行は命綱と同じなのです。 修行者は、たとえ、どのような立場を与えられたとしても慢心したら終わりだということなのです。また、毎夜、反省しなければ、自分の生霊が他の人たちに迷惑をかけることにもなるのです。
そこのところを、 『仏陀再誕』 第7章「信仰と仏国土建設への道」の「謙虚に道を求めよ」からご紹介いたします。
現代においては、
このような信仰を陳腐なものだと思うであろうか。
時代遅れのものだと思うであろうか。
しかし、私はあなたがたに言っておく。
仏法真理において時代はない。
仏法真理は時代を超える。
仏法真理は時代を超えて、燦然と耀(かがや)くものである。
仏法真理のなかにおいて、最も大切なるものは、
いつも時代も同じであり、これを踏みにじることはできない。
これを蔑(ないがし)ろにすることはできない。
仏陀の時代において真実であったことは、
イエスの時代においても真実である。
そして、現代においてもまた真実である。
ということを知らなければならない。
仏の思想の根本は変わらないのだ。
したがって、あなたがたは、
まだまだ自らが小さき者であることを知らねばならない。
まだまだ自らが未熟な者であることを知らなければならない。
まだまだ、自らが、
謙虚に道を求めてゆかなければならないということを
知らなくてはならない。
ゆめゆめ慢心するなかれ。
慢心は修行者にとって、いちばん恐ろしい敵だ。
あらゆる修行も、慢心という一つの敵と出会った時に、
これを打ち砕くことができなければ、
たちまちにしてその修行は無駄となる。
一夜にしてその修行は水泡に帰してしまうのだ。
修行者よ、よって慢心というものをいちばん恐れよ。
慢心というものを、いちばん警戒せよ。
慢心というものを、最大の敵だと思え。
と、仏陀は慢心を最大限に戒めておられます。
【Aさん】 そうなんだ。慢心が一番怖い敵なんだ。
でも、立場が上がってきたりすると、自分はいいのだという思いが出てくるよね。
【お助けマン】 そこが難しいのです。 しかし、これは法則なのです。慢心が出てきたならば、自分に甘くなり、 そして、自分はもう悟っていると錯覚してしまうのです。 ですから、たとえ立場が上がったとしても、修行を決して怠ってはならないのです。 自分が慢心しているかどうかを知りたければ、毎夜、反省をしているか、また、 毎日の教学に怠りはないかを見れば一目瞭然なのです。
仏教では、一日怠れば三日遅れ、三日怠れば十日遅れ、一ヶ月怠れば、さらにその修行は遠ざかり、 三ヶ月怠れば、ただの人、いや、ただの人以下になる(『信仰と情熱』)と言われています。 だから、たとえ仏陀であっても毎夜反省をされているということですので、 ましてや弟子ならば毎日の修行は必須のことでしょう。
【Aさん】 そうか、これには例外がないのか・・・。
【お助けマン】 そうです。ですから、たとえ幹部であっても、本部長であっても、支部長であっても、皆、同じなのです。
【Aさん】 だから、かつての前の奥さんは転落してしまったんだね。
【お助けマン】 そうです。もう一度言いますが、これは法則ですから、例外がないということです。
【Aさん】 いやー、心の修行とは実に厳しいものなんだね。
そう言えば、出家者は、タバコはもちろんだめだけど、お酒も結婚式などの祝い席を除いては禁止されているそうだね。
【お助けマン】 私は、はっきりとは知らないのですが、そのようですね。 タバコは、修行者として論外ですが、お酒を飲むと、まず反省ができません。 さらに、もし、飲んだりすると、悪霊や悪魔にすぐにやられてしまいます。 出家者は、通常の時であっても常に狙われているわけですから、 お酒は彼らに攻撃のスキを与えてしまうことになるからです。 ですから、修行者は飲むことはできないのです。
【Aさん】 なるほどねー。 やはり、修行者は、修行をしているから世間からの信頼もあるということか・・・。
【お助けマン】 そうです。宗教は、修行を忘れてしまったら終わりだからです。 そして、その修行による精進は、また 信仰心の表れでもあるからです。
【Aさん】 よく分ったよ。 これで幸福の科学が真実正しい団体であることがよく分かったよ。 教祖さん自身が、毎夜反省行をして修行している団体なんだ。 それを知れば、会全体がどうなのかよく分るよ。
今日もいいことを教えてくれてありがとう。じゃ、今日はこれで失礼するよ。
と、言ってAさんは帰られました。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるそうですが、 地道に修行を実践されていること自体が、偉大さの現れではないでしょうか。 大川総裁は、読書量においても超人的であり、さらに英語を初めとして外国語習得の努力をされていますが、 これだけの書籍を出版し、説法を続けておられながら、さらに努力精進をされているのです。 神がこの地上に降りられたならば、どのようなお姿で仕事をされるかということを見ているような気がするのは、 おそらく私だけではないような気がします。
では、次回も問答が続きます。 主エル・カンターレに感謝。
(終わり)