信仰とは何か(その9)「和合僧破壊の罪とは」
先回に引き続き、信仰についてEさんとの問答です。 先回は、信仰において「従順」が大事であることを学びました。 そこで今回は、「従順」の全く反対にあって罪が重いとされる「和合僧破壊の罪」について学びます。
以下は、Eさんとの会話の内容です。
【Eさん】 先回は、「従順」の意味について教えていただきありがとうございました。 私も「従順になりなさい」と言われると、自分のそれまでの経験や知識があるので、「なぜ」という気持ちになってしまいます。 でも、それが信仰の意味であると分かって納得をいたしましたし、私にとって、宗教の次なる世界に踏み込んだような感じになり嬉しい気持ちになりました。
ところで今日は、「従順」の反対で、自分が偉いと思ってミニ教祖のようになったり、 あるいは、正しい信仰にある人に対して迷わすような「和合僧破壊」の行為をしている人もいると聞き、 その「和合僧破壊」とは一体どのようなことなのか、それを聞きにやって参りました。
【お助けマン】 はい、分かりました。 本当に「和合僧破壊」とは、「従順」の反対側にあるものと考えてもいいでしょうね。 それで和合僧破壊を犯すような人は、多くの場合、自分がどれだけ罪の重いことをしているのか分ってないことが多いのではないでしょうか。
【Eさん】 じゃ、その「和合僧破壊の罪」とは何かを解説してもらえませんか?
【お助けマン】 それについては、非常に分かり易い大川総裁の説法がありますので、まず、 そこのところをご紹介いたします。書籍 『仏陀再誕』 の第7章「信仰と仏国土建設への道」の317ページ「和合僧破壊に罪」のところです。
これを和合僧破壊の罪という。
仏法真理の下に集い、そして共に精進し、
信仰を共にして生きている人のなかに入って、彼らの信仰を奪い、
彼らに疑念をはさませ、彼らを攪乱(かくらん)する罪を犯したる者は、
これ和合僧破壊の罪となす。
この罪より逃るるは難(かた)し。
この罪、ひじょうに大きな罪にて、
たとい殺人、強盗、暴行を犯すとも、これほどの罪にはならず、
殺人を犯しても、
これは地上の人間の魂を、肉体から遊離させるにすぎず、
暴行もまた、
地上の人間に、肉体の傷(いた)みを起こさせる程度にしかすぎない。
しかし、道に精進し、心正しく生きている者を惑わす者は、
これは、他人の心を苦しめ、他人の魂を腐らせ、迷わせる罪となる。
この罪は重い。
人の信仰を奪い、そして迷わせる者は、
永らく地獄のなかにおいて、反省のときを待つこととなるであろう。
そのようなことは、決してしてはならないのであるのだ。
と、厳しく説かれています。
【Eさん】 えっ! 殺人よりも罪が重いのですか!
【お助けマン】 そうなのです。 要するに、魂にかかわることだからです。
この世の刑法は、命を奪われることを一番重い刑として、肉体、 あるいはせいぜい精神のところが傷ついたことでもってその罪を裁くことを定めていますが、 一方、魂が傷ついたり、魂が腐るようなことについては何ら刑法の規定がありません。
しかしながら、真理から言えば、肉体や精神以上に魂のほうがより重要なのです。
ですから、真理を知らない人が、和合僧破壊の罪が殺人の罪よりも重いと聞けば、それはないと言うに決まっています。 従って、この真実を知らずに平気で信仰を迷わすようなことをしてしまうのです。
【Eさん】 でも、本人はそれほど罪が重いと思っていませんが・・・。
【お助けマン】 それだからこそ怖いのです。 信仰を迷わすことは、相手からお金を取ることでも、また相手を傷つけることでもないので大丈夫だと思ってしまうのです。
しかしながら、その結果、死んだ後に大変なことになるのです。
【Eさん】 えっ、じゃ死んだあと、和合僧破壊の罪を犯した人はどうなるのですか?
【お助けマン】 聞きたいですか? あまりにも恐ろしくて言いたくはないのですが・・・。
【Eさん】 そう言われると、余計に聞きたくなります。是非、教えて下さい。
【お助けマン】 分かりました。仕方ありませんね。
実は、和合僧破壊の罪を犯した者は、 「阿鼻叫喚地獄」に行きます。
『仏陀の証明』の第6章「正義の言葉『仏説・降魔経』」の329ページにこのように説かれています。
三宝 誹謗に 如(し)くはなし
和合僧 破壊の 罪は
阿鼻叫喚 堕地獄への道
避け難し」
強盗殺人をしても、「三宝誹謗」ほどの罪にはなりません。「和合僧破壊の罪」は、阿鼻叫喚地獄行きが決まっています。 堕地獄への道は避けられません。実際、そのとおりですから、「きついですよ」ということです。 もう人間として最後だということです。
と説かれ、厳しさがヒシヒシと伝わってきます。
【Eさん】 分かりました。 阿鼻叫喚地獄って通常の地獄ではなく、苦しみが永遠に続くところで、皆、死にたいと思うのだけど、 すでに死んでいるのでその苦しみから逃れられないと聞いています。 そのことを事前に知っていたならば、絶対に和合僧破壊の罪は犯さないはずです。
【お助けマン】 だから知らないことは罪なのです。 この世的には知らなかったと言って済ませられますが、あの世では知らないことは言い訳にもならず、 また、明らかに知らないことは罪なのです。ですから、大川総裁が何度も警告をされているということです。
【Eさん】 はい、よく分りました。今日は怖い話しでしたが非常に勉強になりました。 転ばぬ先の杖とよく言いますが、事前に知って良かったと思います。 私は、絶対に他人の信仰を迷わすようなことはしないと、硬く心に誓いました。
本日も大事なことを教えていただだきありがとうございました。それではこれで失礼いたします。
と、言ってEさんは帰られました。
大川総裁が、これだけ「和合僧破壊の罪」の重さを何度も説いておられる中で、 確信犯的(大川総裁が仏陀であり救世主であることを十分知っておりながら攻撃する輩)にその罪を犯し続けている悪魔は別として、 今でもネットなどでその恐ろしさを知らずに、それが親切心だと思って書き込みを行っている人がいるなら、 即刻に中止し反省して許しを請うべきです。これは冗談でも脅しでもないからです。
次も信仰についての問答が続きます。
主エル・カンターレに感謝。
(終わり)