信仰とは何か(その4)「信仰は次元の壁を超える」

 

先回に引き続き、信仰についてEさんとの問答です。 先回は、知ることと信ずることの関係について学びました。 そこで今回は、信じるということは一体どういうことなのか、それを学びます。

以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回は、知ることと信ずることの関係を教えて頂きありがとうございました。 これも常識の非常識でしょうね。昔、 「ガリレオ」と題した福山雅治さん主演のテレビドラマが放映されましたが、 非科学的なことを科学者が数式などを使ってあばくという演出がなされているようです。 でも先回、お助けマンさんからお話し頂いたところでは、知識を深めれば深めるほど、神や霊の世界を強く信じられるようなるということでしたよね。 ですからドラマ自体が、もうすでに真実に反していると思うのですが・・・。

【お助けマン】 さすがEさん! すでに「ガリレオ」のドラマの矛盾を見抜きましたね。
ドラマでは、知識を勉強すればするほど非科学的な迷信をあばくことができ、また、だまされることはないという内容なので、 まだ多くの人たちは、「知」と「信」は対立するものだと思っているのではないでしょうか。
ところで、この「幸福の科学支援サイト」も非常に人気が出てきまして、先日、愛読者からメールが来て、 「知ることと信ずること」については、2005年に発刊された書籍にも解説がありますとのご指摘をいただきました。
それは、『信仰のすすめ』の第3章「信仰とは何か(質疑応答)」の「5 信仰と知の関係」 にしっかりと説かれていますよというご指摘でした。 改めてそのところを読ませていただくと、本当に1991年に出版された『伝道論』の「知と信とは対立するものではない」という教えのとおりでした。
真理は不変です。もちろん私たちの認識力が低い場合には、理解できるレベルに合わすために方便を使われることもありますが、 基本的な部分での法理論は当初に説かれた時から一貫しています。
ここでまた仏陀の叡智のすごさを見させていただいた次第です。 ところで今日はどういうことでおいでになられたのですか?

【Eさん】 あっ、そうそう忘れていました。信じると言うことにはどういう意味があるのか、 これを聞きに来ました。
よく世の中では、信じるものは救われるということが言われているようですが、果たしてそれだけなのか。 それは、どうも信者を集めるための宣伝文句のような気がして、しっくり来ないのです。

【お助けマン】 分かりました。確かに信心によって救われるということがありますが、 どうもご利益信仰などの宗教が商売のために言っていることがあるようですね。 じゃ、信じるということは普遍の真理から見て一体どういうことなのか、これを知りたいということですね。

【Eさん】 はい、そのとおりです。やはり、宗教がこれだけ信仰ということを大事にしているなら、 信じることに何らかの霊的意味があるはずだと思って聞きに来たのです。

【お助けマン】 これについては、大川総裁の書籍の中に「答え」となるところがありますので、 そのところを読ませていただきます。その書籍は、 『神秘の法』で、その第5章「信じるということ」の325ページに述べられています。

信仰とは、この世とあの世の壁を超えるための力であり、この世とあの世の壁を超えるための武器です。
信じるということによって、次元の壁が破れるのです。信じる力によって、次元の壁を超え、 いろいろなものが行き来するようになるのです。 いろいろなパワーがよみがえってくるのです。この世とあの世が一体化するのです。
強い信仰心のなかに生きているとき、みなさんは、三次元世界に生きていながら、 多次元世界に生きているのと同じなのです。強い信仰心のなかにいるとき、みなさんは、 如来界、菩薩界、光明界、善人界など、天国の世界にいるのです。

と、あります。 つまり、強い信仰心のなかに生きているときには、 次元の壁を超えてあの世の霊界の高次元の世界にいるのと同じだとおっしゃっているのです。

【Eさん】 えっ、そういうことなのですか。信仰によって次元の壁を超えるのですね。

【お助けマン】 はい。つまり、自分が望む結論というものと現在ある自分の考えの間を一直線に結ぶということなのです。 この表現が難しいなら、信仰の対象と今の自分を一直線に結び、信仰の対象と一体となることを意味しています。

【Eさん】 えっ、それは大変なんことじゃないですか。 信仰の対象と一体となるということは、主と一体となることですよね!

【お助けマン】 はい、そのとおりです。ですから、主を信じ切っているとするならば、主と一体となるということです。 これは、次元の壁を超え、時空間を超え、さらに三次元的な物理学的法則が捻じ曲がることをも意味しているのです。
ですから、これを人びとは奇跡と呼びますが、強い信仰心を持つことによって奇跡もまた現れるということなのです。

【Eさん】 なるほどね。だから、信仰篤き人にはこの三次元の法則が捻じ曲がって、よく奇跡が現れるということなのですね。

【お助けマン】 そうです。 この3次元世界は、同時に高次元世界の法則のもとにあります。 私たちの居る世界は、言わば玉ネギ型になっていて、玉ネギの芯(しん)の部分に当たる三次元世界を4次元の皮が覆い、 その4次元の皮を5次元の世界の皮が覆うというように、 ずっと高次元の世界まで、下位の次元の皮を上位の次元の皮が包んでいるのです。 ですから私たちが3次元の世界にいるからと言って霊界の法則の外にいる訳でなく、 本当は、高次元の霊界の法則の中にもいるということなのです。

【Eさん】 そうだったのですか。それについては理解できましたが、 でも私たちの居る世界が高次元の世界の法則のもとにあると言っても、奇跡はすぐには起きませんし、 また、信じる対象と一体であると言ってもあまり実感が湧かないのですが・・・。

【お助けマン】 そう感じられるのも無理はないと思います。 実は、それが実現するために必要な条件があります。 そこについても同じ書籍の327ページに説かれていますので、読ませていただきます。

信仰を支えるもの、信仰を支える力は、いったい何であるかというと、それは耐え忍ぶ力です。
思いというものは実現します。それは必ず実現していきます。
しかし、その実現までには一定の時間がかかりますしその手段、方法は、 最初に思ったものとは違ったかたちになることがあります。 それは、受け入れなければなりません。
この世においては、自分が最善と思ったかたちではなく、次善、あるいは、 その次と思っていたようなかたちで現れる場合もあります。
『協力してくれる』と思った人が協力者にならず、『協力者ではない』と思った人が協力者になることもあります。 『敵だ』と思っていた人が味方になり、『味方だ』と思っていた人が敵になることもあります。
この世的には、お金も土地も建物も、その他のいろいろなものも、必ずしも思うとおりにはなりません。 思ったものとは違ったかたちで現れてくることがあります。
しかしながら、強く思っていることは、しだいに必ず実現していきます

と、あります。 つまり、思いは必ず実現するが、そのためにはあきらめず耐え忍ぶことが必要だということです。 さらに、その実現は最初に思ったかたちと異なる場合もあると説かれています。

【Eさん】 でも、そう言われても、なかなか実現しな場合は、途中であきらめてしまいますよ!

【お助けマン】 そこなのです。そこが信仰が試されているところなのです。
「汝信じるや?」です。つまり、 この世において霊界の法則である「思いは必ず実現する」ということを信じているかを問われているのです。
そして、それに対して「やっぱりだめか」とか、「思いなんか実現しない」と思ってしまったらそこで終わりなのです。 だから耐え忍ぶことが大事なのです。
何があっても私はこの法則を信じ続ける、そして、この信念は絶対に曲げないと・・・。 その耐え忍びがあってはじめてこの世に現れてくるということです。

【Eさん】 段々と分かってきました。当初は信じていても途中であきらめてしまう、 その結果、成就することはない、 それで信じない、信じないのでますます成就しない、この悪循環だったのですね。

【お助けマン】 そうです。ですから、Eさんの信仰が試されているということなのです。 信仰には信じる力と、それを持続する力、つまり耐え忍ぶ力が必要なのです。

【Eさん】 それは、何か「悟後の修行」のようですね。

【お助けマン】 そうなのです。皆、一瞬、信じたり悟ったりすることは可能なのです。 でも、その信仰や悟りは、何があっても持続するという耐え忍びによって実力になるということです。

【Eさん】 よく分かりました。だから、当初は素晴らしいと思えた人でも、 耐え忍ぶ力が無くて消えていく人もあるということですね。本当に残念だけど・・・。

【お助けマン】 そうです。この修行の世界は、「ウサギと亀」の競争にも似ていますね。 たとえ最初は遅遅として進まなくても、地道に耐えて努力を続けていくという人が、結局は勝利するということです。 だから、悟りの世界では、「先なる者が後になり、後なる者が先になる」とよく言われるのです。

【Eさん】 はい、よく分かりました。 私も瞬間菩薩に終わらないように、耐え忍びの力を強くしなければならいと心底思いました。
今日のお話しを素直に受け入れて、 次元の壁を超える信仰の力と、その信仰心を持続させる耐え忍びの力を強くするためにこれからも頑張っていきたいと思います。 今日もいいお話しを聞かせていただきありがとうございました。 それではこれで失礼いたします。

と、言ってEさんは帰られました。
これも、仏が、私たちを少しでも仏の世界へと導くために作られた「仏神の仕組み」と考えることができるのではないでしょうか。 また、そこまでして、私たちを仏の世界へと導こうとされている仏の慈悲を強く感じたのは、私だけではないと感じました。

次も信仰についての問答が続きます。
主エル・カンターレに感謝。

(終わり)