禅定で自分を見つめる(その4)「反省と物理学的法則」
先回に引き続き、Eさんとの問答を続けます。
先回は、禅定や瞑想というものは、心の中に異次元空間を作ることでもあると学びました。引き続き今回も禅定の具体的な話が続きます。
以下は、Eさんとの会話の内容です。
【Eさん】 先回は、禅定の具体的な入り方や、禅定によって心の中に異次元空間が次第に出来上がっていくことを教えていただきありがとうございました。 今日もその続きをお願いします。
【お助けマン】 はい、分かりました。 先回は、毎日、習慣化して一日の出来事を振り返ることの意味をお教えしました。 実は、この禅定のことを「反省」と言いますが、反省の実習には「八正道」という有名で、かつ、本格的な反省の修法があります。
その八正道のほうが反省としては正統な方法ですが、その入口として、この一日の出来事を振り返るという修法があるのです。
【Eさん】 八正道についてはまだ本格的に実習したことはありませんが、 『仏説・正心法語』の中に、⑤解脱の言葉「仏説・八正道」がありますので、何度か読誦したことがあります。 ただ、読んだところ難しそうね、という感じがしましたが・・・。
【お助けマン】 そうでしょう。八正道とはそれほど簡単には実習ができないものだと思います。 ですから、まずは過去を思い出し、その映像を自分なりに見て、まずいと思ったならば、 今後はそういうことをしまいと心の中で強く思うことから始められたらいいと思います。
【Eさん】 実はね、先回、ここにおじゃましてから、少し続けてみたのです。 もう1週間になりますが、子供たちが寝てから、その日の朝起きてからあったことをずっと思い出して反省したのです。
【お助けマン】 それはすごいじゃないですか! 毎日、その日の反省を続けられたのですね。
【Eさん】 はい、そうです。すると不思議なのです。お助けマンさんがおしゃったとおりでした。 初めは、その日のことを思い出すまでに時間がかかったのです。それは、目を閉じてもその日の出来事が出てこないで、 気になることやテレビなどの強烈な画面などがすぐに出てきてしまったのです。 ところが、5日目ぐらいからでしょうか、 思い出すのが慣れてきたのか目を閉じると、段々とその日の出来事を自然と思い浮かべられるようになってきたのです。
【お助けマン】 そうでしょ。私もそうだったですから・・・。 毎日続けることがキーかも知れませんね。続けるうちに、何か心の中に過去にも通じるような空間が次第にできるように感じられたのではないかと思います。 私は、その空間こそが心の中の異次元空間ではないかと思っています。
実は、 『幸福の法』の269ページの終わりから270ページにかけて、「幸福の科学入門」の章の中に「反省の原理」の説明がありますが、 そこに、このように説かれています。
ただ、「反省という行為が、どれほど世界観と結びついているか」ということ、 要するに、「霊界とこの世をつなげた世界のなかにおいて、反省は、一種の物理学的法則、 仏法真理的な物理学的法則を担(にな)っているものである」ということに気づいてほしいのです。 「反省は世界を分けていくものだ」ということです。
(中略)人間は、間違いを犯す存在であり、間違いを犯す自由を与えられていますが、 もちろん、間違いを修正することができるから、それが許されているところがあります。 「間違いもするけれども、反省もできる」というようになっていて、 「反省ができるから、取り返しはつくのだ」ということです。
と、あります。
ここで、びっくりする表現があります。それは、反省が一種の物理学的法則を担っていると説かれているところです。
【Eさん】 えっ! 私は『幸福の法』は2回ほど読んだと思うのですが、 そんなことが書かれていたなんて覚えていなかったです。気が付かずに読んでいました。
で、その「反省」と「物理学的法則」と、どう関係があるのですか?
反省って道徳的なことであって、物理学的法則とは全く関係がないと思うのですが・・・。
【お助けマン】 はい、誰しもそのように思うと思います。 ところが、両者には関係が大有りなのです。
【Eさん】 と、言いますと?
【お助けマン】 禅定して反省を続けていきますと、次第に異次元空間なるものが心の中にでき上がってくると言いましたが、 それと関係があるのです。
つまり、反省にて過去を思い出すという行為は、単に心の中にイメージを作っているだけではないということなのです。 実は、心の中に四次元以降の世界が出来上がっていたということなのです。 では、四次元とは何でしょうか。それは、縦、横、高さの三次元の要素に、時間という要素が加わって出来た空間です。 つまり、時間をコントロールすることができる空間のことを言います。 従って、反省とは単に昔のことを思い出しているだけでなく、時間を昔まで戻して、その戻した時間に旅していることと同じということなのです。 これは、物理学的法則そのものの応用です。タイムマシーンの原理そのものなのです。
【Eさん】 えーー! 反省ってタイムマシーンと同じ物理学的法則を担っていたのですか!
【お助けマン】 そうです。禅定が習慣化されて、自分の心の中にあの世の世界と同等の異次元の空間が出来上がったならば、 その中で過去の出来事に遭遇するということは、この世でタイムマシーンに乗って過去に行くことと同じことを意味すると考えられるのです。
そして、もっと驚くことに、その過去に為した行為であってもまずかったことがあれば、そこで、もう一度やり直せば、「やり直しがきく」ということなのです。 やり直しがきくということは、すでに過去に為したことであっても修正をすれば、取り返しがつくということでもあるということです。 これは、仏の大きな慈悲です。
【Eさん】 そうだったのですね。だから、270ページにそのように書かれていたのですね。 そこまでは知らない人が多いんじゃないですか! 私も改めてそこを読んで、なるほどと思ったぐらいですから・・・。
【お助けマン】 本当に、すごい教えですよね。反省とは単なる道徳的な教えだけではなかったということです。 過去の修正ができるということです。
ですから、 『太陽の法』の第4章「悟りの極地」の2の「悟りの功徳」のところに、
「すなわち、悟りの功徳とは、人生のやりなおしがきくということにあるのです。」
とあるのです。本当に「反省なくして悟りなし」ですから、反省によって悟りが得られ、そして、人生のやり直しがきくと・・・。
【Eさん】 ええ、今日はすごいことを聞きました。
私も真理の書籍を読んでいますが、やはり一言一言が飾りではなく仏陀の真実の言葉だったのですね。 「物理学的法則」という言葉を軽んじていました。これほど意味があるとは恐れ入りました。
【お助けマン】 そこが小説家の言葉と、仏陀の真実の言葉との違いでしょう。
何ひとつうそはないし、また、誇張された表現もないのです。仏陀の言葉は真実そのものだからです。
【Eさん】 なかなかそう思えないのは、まだまだ私たちが未熟で、そこまで理解が進んでいないということですね。
【お助けマン】 そうだと思います。これも、人間の肉体を持つと言う宿命の悲しさかも知れません。
【Eさん】 分かりました。仏陀の言葉をどう受け取るのか、これも信仰心の現われと思いました。 信じる力が理解力を強くすることも学びました。 これからは、仏陀の言葉を、一つひとつていねいに学んでまいりたいと思います。 では、今日はこれにて失礼します。
と、言ってEさんは帰られましたが、このあとも問答は続きます。
お助けマンは、反省が物理学的法則を担っているものであることの解説をしてくれました。 解説を聞いていると、段々と心の中に異次元空間があることも分り、また、 心の中の宇宙という表現も理解できるようになってくるのではないかと嬉しくなってきました。
まだまだ問答は続きます。次回の問答も楽しみです。
主エル・カンターレに感謝。
(終わり)