禅定で自分を見つめる(その2)「夢と禅定」

先回に引き続き、Eさんとの問答を続けます。
Eさんは、今回も熱心に禅定について質問されました。
以下は、Eさんとの会話の続きの内容です。

【Eさん】 では、先回に引き続いて、禅定によって自分を見つめ直すやり方をお聞きします。 さっそくですが、禅定のやり方を教えて下さい。

【お助けマン】 まず、お話しをする前に、禅定するとはどういうことを意味するのか、 これを考えてみたいと思います。 ところで、Eさんは寝ているときに夢をよく見られるほうですか?

【Eさん】 はい、よく見るほうだと思います。でも、目が覚めたらほとんどその内容を忘れてしまいますが・・・。

【お助けマン】 では次に少し質問を変えて、人間は、なぜ睡眠をとらないといけないと思われますか?

【Eさん】 そんなことあまり考えたことはありませんが、眠くなるからでしょ。

【お助けマン】 じゃ、なぜ眠くなるのですか?

【Eさん】 それは動物の生理的な宿命のようなもので、動物がこの地上に生きていく限り必要ということじゃないですか。

【お助けマン】 はい、そのとおりなのですが、じゃなぜ睡眠が必要なのか、その理由の全てが解明されている訳ではないのです。 ただ、睡眠を取らなければ動物は死ぬことが 理論的には知られています
おそらく、これは霊的なことに関係があるので、この世の知識だけでは解明できないということだと私は思っています。

【Eさん】 その霊的なこととは、何ですか?

【お助けマン】 はい、人間が生きていくためにはエネルギーが必要です。 そのエネルギーは、食料のエネルギーや太陽の光だけでは満たされないということなのです。 つまり霊的なる光、あるいは霊的なるエネルギーが、人間が生きていくためには必須のものだということなのです。 そこで、睡眠がその霊的なエネルギーを得る方法としてこの地上の生き物たちに与えられたのだと思います。
睡眠が、肉体の筋肉などを休めるための単なる休息であったなら、ベッドの上で横たわっていればそれでいいはずですが、 睡眠を取らなければ体は休まらないのです。従って、睡眠とは肉体の筋肉を休めるためだけではないことは明らかなのです。

【Eさん】 なるほどね。段々と分ってきました。

【お助けマン】 そうでしょ。実は、人間が睡眠を取ることによって霊界に行き、 霊界の光、これを霊太陽の光と言っていますが、その光を受けて、それを生きるためにエネルギーとして吸収しているということが言えるのです。

【Eさん】 そうでしたか。人間は睡眠によって霊界に行っていたのですね。

【お助けマン】 そうです。 『大悟の法』の第4章「大悟の瞬間」に、あの世の霊太陽とこの世の太陽の関係が説かれています。
そして、この霊太陽の光は、私たちが死んだあとに浴びるだけでなく、実は睡眠中にも浴びているということなのです。 ですから人間は、本来、霊であることは、この事実によっても証明されるということです。 つまり、人間が生きていくためには、あの世の霊太陽の光を受けなければならないということは、 人間が本来、霊であることの何よりの証拠でもあるということです。

【Eさん】 それは分りましたが、その睡眠と禅定とどういう関係があるのですか?

【お助けマン】 それが関係大有りなのです。 冒頭に質問しましたが、睡眠では夢をみます。それはあたかも現実であるように夢を見ます。 架空の出来事でありながら、現実と違わないように夢を見ます。 一方、禅定も夢と同じように心の中に架空のシーンを思い描きます。 しかしながら、両者には決定的な差があるのです。それは、禅定で思い描くシーンは、 自分の意思によって思い描くことができますが、夢は自分の意思で思い描くことができないということです。

【Eさん】 それは当たり前ではないですか。 見たい夢を自分で描けるなら悪夢なんて起こり得ないじゃないですか。

【お助けマン】 ただ禅定と夢の共通点もあります。 それが、両者ともに霊界に行けるということなのです。 すなわち、禅定によって霊太陽の光を受けられるということを意味しています。 いや、霊太陽の光を直接浴びられなくても、高級霊人の強い光を受けることができるということなのです。

【Eさん】 なるほどね、禅定をすることによって、夢と同じように霊界に行き、霊的な光を受けて、 そのエネルギーを活力にできるということですね。

【お助けマン】 さすがEさん、理解が早いですね。そのとおりなのです。 ですから、禅定をすれば活力に満ちてくるということです。 従って、禅定とは、単に座り続けることでもなく、禅定によって自分の意思で霊界に行き霊太陽の光を受けたり、高級霊人との交流によって霊界の光を受け、結果的に智慧を得ると言うことが禅定の本当の意味でもあるということなのです。 ですから、禅定にてあの世との交流ができなければ、そもそも禅定とは言わないということです。

【Eさん】 はい、分りました。禅定とは夢と同じようにあの世の霊界に行けるということが分りました。 そう言えば、精舎の朝瞑想で「四禅定」の修法をしましたが、その第四禅に高級霊界の光を受けるという禅定がありました。 その修法をしたとき、体が熱くなり何か元気が出てきたのですが、今、おしゃったとおりですね。よく分りました。
じゃ、これから本論についてお聞きしますが、どうすれば本来の意味に合った禅定ができるようになるのでしょうか?

【お助けマン】 今、禅定の本来の意味を説明しましたので、おおよその作法については想像がつかれたことと思います。 すなわち、あの世の霊界に旅をし、霊界の光を受けるということですから、禅定とは霊的な作法そのものと思ってもいいでしょう。

【Eさん】 と、言いますと?

【お助けマン】 はい、心には「波長同通の法則」がありますので、霊界の天国の波長に合わすことがまず大事です。
従って、もし、地獄的な波長で禅定しますと、霊界の光を受けるどころか、逆に地獄の存在から自分の光を抜かれることになります。 ですから、この心の波長を整える作法は極めて大事です。 また、自分の体調が悪いとき、お酒を飲んだとき、色々と悩みが大きいときなどは、禅定しても霊界の光を受けることはできません。 まずは、そのような悪しき障害を取り除くことから始めなければなりません。

【Eさん】 あー、なるほどね。禅定があの世の霊的な光を受けるという意味ならまさしくそのとおりですね。

【お助けマン】 そうなのです。このことを知らないで禅定しても意味はないということです。

【Eさん】 やはり、知識が大事ですね。よく分りました。 単に座ってもだめだということは明らかですよね。
じゃ、そのためにはどうすればいいのですか?

と、さらに問答が続きますが、このあとは次回に続きます。 お助けマンは、まず夢と禅定を比較し、睡眠を取ることによって霊界に行くことがなぜ生きる上で必須のことなのかを、大川総裁が説かれた法によって解説してくれました。

次回は、いよいよ禅定の方法です。
主エル・カンターレに感謝。

(終わり)