肉体があるからこそ業(カルマ)が作られる

 

入会して半年のEさんが、 『心の挑戦』の中の第八章
「業とは何か」に書かれた「業」についての解説を読み、また新たな発見があったと言ってやって来られました。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回の「そのままでいいなら宗教はいらない」という言葉は、もうそれだけで悟りの言葉でしたね。 お蔭さまで、この世が存在することと真理を学ぶことが、セットになっていることがよく分かりました。
ところで、また、「業」についての質問になるのですが、 『心の挑戦』 第八章の
「業とは何か」の中で、「行為から業が生まれるのです」と、 実にさらりとは書かれていましたが、これはこの世が存在する秘密にも迫る非常に重要なことではないかと思い、また来させていただきました。

【お助けマン】 そうでしたか。でも、よく気がつかれましたね。ちょっと待って下さい。今、その本を持って参りますので・・・。
『心の挑戦』ですね。えっと、234ページに書かれてますね。少し読んでみます。

本章では、「業とは何か」ということについて述べたいと思います。 言葉としては、たいへん古くさいことのように思われるかもしれませんが、その内容に関しては、 古いも新しいもない永遠の真理を秘めています。決して昔話でも古い時代のことでもなく、現在ただいまの、 あなた自身に関係のある話なのです。
この「業」という言葉は、仏教的に捉(とら)えるならば、「行為」という言葉とほとんど同義です。 すなわち、行為から業が生まれるのです。

と、あります。

【Eさん】 はい、まさしくそこのところなのです。
皆、カルマが「業」ということは知っていますが、そのカルマである「業」がどのようにして生まれるのか分からないと思うのです。 しかし、ここに、その答えがいとも簡単にあったのでびっくりしたのです。

【お助けマン】 そうですね。よく間違った宗教などに行くと、あなたが、今、不幸なのは先祖のカルマがたたっているからだ、 などと言われてそうかなと思う人もいるようですね。でも、他人のカルマを自分が責任を取る必要はないのです。

【Eさん】 そうですよね。だから、正しい真理の知識を持っていないと簡単にだまされてしまうのですね。

【お助けマン】 そうなのです。つまり、ここに書かれているように、一部、例外を除き、行為がなければ業は生まれないということなのです。

【Eさん】 その、一部、例外とは?

【お助けマン】 業は「行い」がなければ原則生まれませんが、例外的に、常に思いが繰り返されるときに、 まれに業になることがあります。
例えば、パン屋の前で、パンが欲しいと思っても、盗まなければ盗ったことにはなりませんし、 盗みのカルマも発生することはありませんが、パン屋の前を通るたびにパンが欲しい欲しいと何度も思い続けると、行為をしたことと同じになる場合があります。 これを、「無表業(むひょうごう)」と言い、行為には及んでいなくても業(カルマ)になる場合が例外的にあります。

【Eさん】 と、言うことは、例外があるにしても肉体による行為がなければ、業にならないと言うことですよね。

【お助けマン】 そうなのです。ですから、あの世に還ってしまったら肉体がなくなるので、業(カルマ)を作ることができなくなるのです。

【Eさん】 と言うことは、この地上界は業(カルマ)を作るためにあるのだと・・・。

【お助けマン】 そこまで言い切る自信はありませんが、しかしながら、 業(カルマ)を作る場として、この地上界が存在しているということには間違いはないと思います。

【Eさん】 なるほど・・・。
ということは、この地上生活は極めて大事だということになりますね。

【お助けマン】 そうなのです。そのとおりです!
ですから、この地上界は、いい方向で生きれば、それこそ毎日、宝物を多く作り出すことと同じとなりますが、 もし、間違った生き方をしたならば、その負債という業(カルマ)を背負うことになるのです。
つまり、人々のためになる行為をしたならば、それは天使にも菩薩にもなれることですが、 逆に、人を殺したり苦しめたりすれば、これまた悪魔にもなれる場でもあるということです。 従って、人々のために灌漑用の池を作ったり橋をかけたりして多くの人々のために尽くした人が、天国に還って天使や菩薩になっているのです。 なぜなら、人々を救うというカルマを作ったからなのです。そして、このカルマは、肉体を持つことができるこの地上界でしか作れないということなのですのです。 ですから、この地上界での生活は極めて大事であるということです。

【Eさん】 いや、これはまた大変なことですよ。 この地上界では肉体があるので、お腹もすくし、また運動をすれば疲れて苦しい思いもしますが、しかし、 その肉体があるからこそカルマも作れるということですね。

【お助けマン】 そうです。だから、天使や菩薩はこの地上界を機縁として生まれると言われているのです。

【Eさん】 そうすると、この地上に生まれて来ても、単に山にこもって座禅だけをしたり、 滝に打たれてだけでは天国には還れるかもしれないけど、生まれて来る前の霊界以上には還れないということですね。

【お助けマン】 そうです。だから、この地上世界に生まれたからには、 肉体があることのメリットを活かした生き方をしなければ、生まれてきた意味がないとも言えるのではないでしょうか。

【Eさん】 これはすごいことですよ。もうこれを知ったならば、いいカルマを作らなければ損々ということですよ!

【お助けマン】 さすが、理解が早いですね。実は、これも神仕組みと言えるでしょうね。 この地上は、「生老病死」の四苦がある苦しい場ですが、神仏は、人間をいじめるためにこの地上世界を創られたわけではないのです。 苦しくとも、それに打ち勝って多くの人々のために生きたならば、多くのごほうびが与えられるということでもあるということです。

【Eさん】 よく分りました。今日もまた神仏の深い慈悲を発見したように思います。
カルマという言葉が、あまりいい響きを持っていないので誤解していましたが、いいカルマを作ることをこそを神仏が願っておられることがよく分かりました。 今日もいい学びをありがとうございました。それでは、今日はこれで失礼いたします。

と言ってEさんは帰られました。先回は、この地上世界と真理が学べる宗教がセットになって存在することを学びましたが、 今回は、この地上界があるからこそ、良いことをして良いカルマを作り、その結果、天国に還ったときに天使や菩薩になれることが分りました。 この事実を知って、一人でも多くの方々が人々の幸せのために自分の人生を生きられることを願うばかりです。 では、この地上界で、天使や菩薩のカルマを作って天上界に還れるように共に努力致しましょう。

主エル・カンターレに感謝。

(終わり)