信仰の試しを乗り越えて

入会して半年のEさんが、信仰の試しについて聞きに来られました。そして、誰が何と言おうとも、私は主を信じると改めて決意されたのです。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 今日は信仰の試しについて聞きにやって参りました。

【お助けマン】 はい、それはどういうことでしょうか。

【Eさん】 実は、先日出版された 『未来の法』のあとがきに、大川総裁は、ご自分がどのような存在であるのかを、はっきりと述べられています。 その内容は、

「わが説く言葉の上に未来は築かれる。」
日本語でも英語でも、何度も繰り返して、私はこの聖句を述べ続けてきた。
誰が、たとい何と言おうとも、私は希望の主であり、悟りを開きたる仏陀であり、最大の救世主である。(後略)

とあります。しかしながら、これほどはっきりと主であり、仏陀であり、最大の救世主であると宣言されているにもかかわらず、 下劣週刊誌は事実無根の記事を載せたり、あるいは、インターネットのブラックサイトやYoutubeには、 ここまでよく作り事が書けるものだと言えるような書き込みや投稿があって、 それで信仰を揺らそうとしているのです。

【お助けマン】 私は読んだことも見たこともないのですが、そのようなことがあるようですね。 でも、それは、本物であることの証明かも知れませんよ。大川総裁が、主であり仏陀であり救世主であるので、 かえって悪魔やそれに類する輩が必死になって否定にかかっているということではないでしょうか。 もし、大川総裁のおっしゃっていることが、怪しかったりウソだったならば、ここまで執拗に捏造記事まで書いて批判はしないし、 仏陀であることの確固たる証明まで無視して否定はしないと思いますよ。

【Eさん】 でも、下劣週刊誌や捏造ブログに元弟子の告発だなんて載せられると・・・。 ぐらっと来ないかと心配なのです。

【お助けマン】 そこが試しなのですよ!
Eさんは、入会して半年だけど、 法シリーズのほとんどを読んで、これは人間わざでは絶対に書けない内容だとおっしゃっていたじゃないですか!

【Eさん】 はい、そのとおりです。でも、大川総裁ご自身が離婚されたり、高級神霊がご指導されているにもかかわらず、 幸福実現党は、国政選挙では、まだ1議席も獲れなかったし、何か、私から見るとこの世的には不利な情報が多くあって・・・。

【お助けマン】 でも、なぜだと思いますか?

【Eさん】 うーん。分からないです。かえって反(アンチ)幸福の科学が喜ぶようなネタを提供しているようで・・・。

【お助けマン】 そこなんですよ! 分かりますか!
今、まさしく出された「法」を信じるのか、それともこの世的な「現象」を信じるのかが問われているのです。 離婚された元夫人の過去世がユダであったり、元弟子が還俗(教団職員でなくなること)されたのを恨んで捏造記事を書いたり、 この世的な現象では、一見、不利とも思えるようなことが起きています。それは、今、揺さぶられているのです。 いや、もっと踏み込んで言ったならば、私たちが本物の弟子であるのか否かが、今、試されているのではないかと思えるのです。

【Eさん】 それはどういうことですか?

【お助けマン】 ご存知のように救世運動と言うものは、半端なものではありません。
かつてのキリスト教者たちが、信仰を貫いたが故にライオンに食べられたように、また、日本におけるキリシタンへの弾圧を見ても分かるように、 それこそ命を賭けて信仰を守ったのです。それほど信仰とは命がけのものなのです。 ですから、教えだけをつまみ食いしたり、いいとこ取りだけをして幸福の科学の知識を利用するだけの信者がいるとするならば、 その人たちが、今、どっちを取るのかを試されているのではないかと思います。
大川総裁の教えは本物です。まさしく神の言葉そのものです。これに微塵の疑いの余地もありません。 今までに多くの法が説かれて、もうすでにその真実性を十分自分で確認することができる証拠が揃えられた今だからこそ、試されているのです。
これだけの事実と真実が揃えられ、それらを読んだ人であるならば、大川総裁が、もう百%主であり、再誕の仏陀であり、 最大の救世主であることを確信できるはずだ、ということだと思います。で、なければ「人間じゃない」とまで、私は言い切りたいです!
つまり、説かれた「法」がここにあって、片や捏造記事やゴシップがあるとします、そのとき「汝、どちらを信じるや!」ということが、今、問われているのではないでしょうか。

【Eさん】 あっ! そういうことだったのですね。何ゆえに一見、不利な情報が集まってくるのか分からなかったのですが、 今、はっきりとその理由が分かりました。それらは試しだったのですね

【お助けマン】 そうです。信仰というものは、順風満帆の状態では強くならないのです。 不利な、あるいは、逆境の中で鍛えられていくものです。そうしたとき初めて信仰は本物になるということです。

【Eさん】 はい、分かりました。危ないところでした。
これからも不利とも思える試しがどんどんと起きると思います。そのとき、この世的には不利であっても、 常に「法」に戻って考えることを行い、信仰をさらに強くして参りたいと思います。 そして、誰が何と言おうとも、私は、大川総裁が主であり、仏陀であり、最大の救世主であることを信じます!
今日も、正月から励ましていただきありがとうございました。 では、これで失礼いたします。

と言ってEさんは帰られました。それでは、 『仏陀再誕』の323ページから引用して終わりとしたいと思います。

もし、あなたがたの生命の安全と信仰とのどちらかを選べ、
と言われたならば、
迷わずに信仰を取れ。
信仰を取ったところで、あなたがたは永遠に命を失うことはない。
あなたがたは永遠の栄光のなかにあるだろう。
しかし、地上の命と信仰とのどちらを取るかと言われて、
命のほうを取った者は、
やがて地上を去ってから、激しい後悔にさいなまれることとなる。
あれだけの固い意志で、堅固な意志で、修行を重ねてきたのに、
あんな誘惑でもって、その信仰の道から離れたということが、
地上を去った後、幾百年、幾千年もの間、汚辱となって遺(のこ)るのだ。

と、あります。 もう解説は不要のことと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
エル・カンターレに感謝。

(終わり)