大晦日に、1年間の反省をしよう

入会間もないEさんが、大晦日の過ごし方について聞きにやって来られました。やはり、1年の区切りは大事だと思われたからです。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 私は入会してまだ半年しか経っていませんが、やはり、「反省なくして悟りなし」と聞いていますので、 大晦日には家の大掃除をするぐらいですから、心の大掃除もしないといけないのではないかと思い、 それでやって参りました。

【お助けマン】 入会して半年なのによく勉強されていますね。いや、大したものですよ。 長く会員をしている人でも反省が苦手の人もいますし、また、役を与えられたリーダほど偉くなってしまって反省が難しくなるとも聞いています。 しかしながら、反省は悟りの原点ですから非常に大事なものです。

【Eさん】 そうですよね。どれだけ活動が活発になっても、宗教である限り反省は根本にあるものだと思っています。 ところでお助けマンさんは、どのようにして反省行をされているのですか?

【お助けマン】 いやいや、聞かれると思っていました。 私の例は、あまり参考にはならないと思いますが、聞かれたからには正直に答えるしかありませんね。

【Eさん】 是非・・・。

【お助けマン】 まず、反省の基本は「八正道」です。幸福の科学では、正会員になりますと、 『仏説・正心法語』を頂けます。その中の経文の5番目に、「解脱の言葉」『仏説・八正道』がありますが、 ここに反省の八つの徳目が書かれています。

【Eさん】 はい、それは知っています。『仏説・正心法語』の経典にありますので、 読ませて頂いております。しかしながら、これをどのようなときに、どのように使えばいいのか分からないのです。

【お助けマン】 私も反省の実践をあれこれとやってきて、 自分流のスタイルになってきたものですので、参考になるか分かりませんがお話しさせていただきます。
まず、反省には出来事で反省する方法と、期間で反省する方法があると思います。 前者の出来事で反省する方法は、例えば、人間関係で失敗したときや、仕事などでうまくいかないときにその出来事に焦点を当てて反省するものです。 そのとき、八正道の八つの切り口から、その出来事を分析し評価をします。
例えば、夫婦でケンカになったとします。そのとき、まず「正見」が最初にありますので、例えば、自分は夫、あるいは妻を色眼鏡や偏見で見ていなかったか。 中立の立場で、かつ、学んでいる真理の立場で相手を見たか、これをまず反省します。 そして、それが終わったら、次の反省の徳目に移っていきます。「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」と順次行っていきます。
詳しくは、 『仏陀の証明』第1章「釈迦の八正道」と、第4章「解脱の言葉『仏説・八正道』」に大川総裁が解説されていますので、 じっくりと読まれたらいいと思います。

【Eさん】 でも、その書籍は、今は書店に置いてないと聞きましたが・・・。

【お助けマン】 はい、はやり仏陀ご自身が説かれる修行論は、密なる教えですので、現在、会内経典になっているとのことです。 従って、支部や精舎にて求めることができるようになっています。

【Eさん】 分かりました。ところで、もう一つの反省の方法である期間で反省する方法とはどうのような方法ですか?

【お助けマン】 これは大きく分けると、私の捉え方では3つになると思っています。 まず第一は「生涯反省」と呼ばれるものです。そして、第二は、期間を区切った反省で例えば「1年の反省」、そして最後に「毎日の反省」になるかと思います。
まず「生涯反省」ですが、読んで字の如く自分が生まれてからこれまでの人生を、年代を追って反省していく方法です。 これは私が行った方法ですが、まず小学校に上がる前までの反省を行います。もう小さいときのことですから忘れていることも多いと思いますが、 記憶に残っている場面を思い出して、八正道の八つの徳目から反省するのです。もし、このとき八正道が難しいならば、 その場面を仏が見られてどうのように思われるのか、これを考えてもいいでしょう。
もし、まずいところがあったり、あるいは、相手に傷を付けたなと思われる場面があれば、これを反省し、 心の中で相手に謝ります。心の中で「ごめんなさい」と言うのです。おそらく両親に対する反省が多いのではないでしょうか。 不思議なもので、相手に実際に会ったわけではありませんが、本当に相手に謝罪したようになります。 そして、今まで気にしていたそのことが、反省のあとでは気にならなくなるのです。 これは、人生にやり直しがきくという反省の功徳であり、また同時に「悟りの功徳」だと私は思っています。
このようにして、順に年代を追って反省していきます。私は、そのあと小学校3年までと、小学校6年までと、そして中学校、 高校、大学と学生時代を反省しました。そして続いて、社会人になってからは結婚前までと、その後、平社員から管理職になるまでというように、 社会人になってからは、役職がついたり転勤になったりと環境の変化した時点までを区切りとして反省をしました。 またさらに、この「生涯反省」は、時間をかけて行う必要がありましたので、精舎の研修で宿泊して行いました。

【Eさん】 なるほどね。それだけの時間がかかるなら、しょっちゅう行うわけにはいきませんよね。

【お助けマン】 そうです。しかしながら、会員になられたならば、早いうちにまず実践するべきだと思います。 そして、その後は、年に一回か、数年に一回の割合で「生涯反省」を精舎で続けて実践されればどうでしょうか。

【Eさん】 はい、分かりました。ところで、「生涯反省」以外の反省はどのように行うのですか?

【お助けマン】 はい、次は期間を区切った反省で、1週間、1か月、3か月、半年、1年などがあります。私は、1年の終わりに、その年の1月から12月末までの出来事を振り返る反省を行っています。 今日は、また大晦日ですので、これから夜は、数時間かけて行う予定です。大体、除夜の鐘がなるまでの時間を反省の時間としています。 何しろ、年を越してしまいますと昨年のことは忘れてしまいますので、その年の反省は年内にやるべきと思っています。
同様に、あともう一つは、日々の反省です。日記を毎日つけている人は、それで反省になっているところもありますが、 修行者ならば、就寝の前にその日の出来事を振り返って反省するべきなのです。 なぜなら、次の日に前日の日記が書けないと言われているように、反省も同じなのです。 その日の反省は、その日に行わないと、もう次の日にはできないということです。よく大川総裁が反省を述べられるとき、反省に「日々の」という形容詞を付けられていますので、反省を、日々、毎夜行うことが修行者としての必須条件ではないかと私は思っています。
大体、以上に述べたことが、私の拙い反省行の内容です。何かの参考になればありがたいですね。

【Eさん】 ありがとうございました。よく分かりました。 この3次元世界に居ますと、間違いばかりをしてしまいますが、仏の慈悲として反省が与えられているのですね。 それで罪が許されると・・・。どこまでも人間を向上させたいという神仏の慈悲の念いがひしひしと伝わってきますね。
今日は、反省を教えていただきありがとうございました。これから帰ってさっそく1年の反省をさせていただきます。 では、これで失礼いたします。

と言ってEさんは帰られました。当初、反省は、道徳的な意味で考えていたところがありましたが、 『幸福の法』第4章「幸福の科学入門」5「反省の原理」270ページに、

「反省と言う行為が、どれほど世界観と結びついているか」ということ、 要するに、「霊界とこの世をつなげた世界のなかにおいて、反省は、一種の物理学的法則、 仏法真理的な物理学的法則を担っているものである」ということに気づいてほしいのです。

と、あるところを読むに及んで、 心の世界の反省が物理学的法則を担っているという一文で、目からウロコが落ちたことを覚えています。
すなわち、反省とはタイムマシーンに乗って、その反省している時点にまで戻り、やり直しがきくということです。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の映画と反省とが二重写しになったのは、私だけではないように思います。
エル・カンターレに感謝。

(終わり)