『仏陀からエル・カンターレへ』(その9) 愛の復活

 

入会間もないEさんが、大川総裁が再誕の仏陀であり、かつ、エル・カンターレであることを教えから学びたいと言って来られました。
今回は、『仏陀からエル・カンターレへ』の第9回目で、エル・カンターレによる「愛の復活」を学びます。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回の「仕事能力と悟り」では、在家の私たちでも悟って菩薩になれる道が示されたということですね。 本当にありがたいことです。感謝・・・。
それで、次は何ですか?

【お助けマン】 第九回目は、エル・カンターレによる「愛の復活」です。
やはりエル・カンターレの教えは何かと問われれば、「愛・知・反省・発展」の四正道を挙げるでしょう。 そして、さらにその中から一つを選ぶとすれば、「愛」の教えになると思います。

【Eさん】 幸福の科学では、それだけ「愛」の教えが特徴的であるということですね。

【お助けマン】 はい、そうです。実は、「愛」という言葉は、テレビのドラマでもよく出てきますし、 歌の歌詞にも多くあってよく使われているのですが、その愛の意味が誤解されているということは、意外と知られてはいません。

【Eさん】 愛が誤解される? よく分からないのですが、愛とは愛されることですよね。

【お助けマン】 ほら、もう誤解していますよね。
現在、愛とは、男女の愛の代名詞ともなっているので、異性から愛されることが愛と思っている人が多いのではないでしょうか。 つまり、皆、自分が愛されることばかりに熱心になり、自分が他の人を愛すること、それも、見返りを求めず愛することに思いもよらなくなっていると思います。
実は、経典『太陽の法』第3章「愛の大河」に、そのところが述べられていますので、そこを朗読させていただきます。

私は、天上界のイエス・キリストと、愛について、よく話しをすることがあります。
キリストは、もちろん、愛の大家であり、愛の専門家であり、また、神の愛の体現者でもあります。そのキリストが、 「現代人こそ、まさしくほんとうの愛とはなんなのかを告げ知らせる必要がある」というのです。 というのは、愛が、現代ほど誤解されている時代は、有史以来めずらしく、わずかにアトランティスの末期や、 旧約聖書にあるソドムとゴモラの時代ぐらいしか見あたらないからだそうです。

と、述べられています。つまり、現代ほど愛が誤解されている時代もめずらしいとイエスさまがおっしゃっているのです。

【Eさん】 いやー、それは、ほとんどの人たちにとって、初めて聞くことじゃないですか?

【お助けマン】 はい、それほど「本当の愛」の意味が通じなくなっている証拠だと思います。

【Eさん】 では、本当の愛とは何ですか? 教えてください。

【お助けマン】 はい、それについては、同じ『太陽の法』にて、述べられていますので、 そのところを朗読いたします。

愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います。
愛に苦しむ人々よ、よく聞きなさい。なぜあなたがたは、苦しむのですか。なぜ愛において苦しむのですか。 愛を与えることによって苦しむのですか。みかえりを求めてはいけません。みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。 ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち無償の愛です。あなたが与える愛は、本来、あなたのものではないのです。 あなたの愛は、神から与えられた愛なのです。その愛を神にかえしてゆくために、私たちは、ほかの人々を愛すべきなのです。

とあります。愛とは、愛されることだと思っていた人にはショックだと思います。
その解釈のまったく逆の愛すること、すなわち見返りもなく、ただひたすら相手を愛することが、実は、本当の愛だったのです。

【Eさん】 分りました。でも、その実践は難しそうですね・・・。
じゃ、どうすれば、与えるということができるようになるのでしょうか?

【お助けマン】 はい、それについても述べられていますので、朗読いたします。

与えるとは、どうすればひとりでも多く人々がしあわせに生きられるかを考えながら、日々生きるということです。 与えるとは、ひとりでも多くの迷える人々の心に、愛の光を投げかけてゆくということです。また、ひとりでも多くの人々を、 困難と挫折の人生から立ち直らせ、知恵と勇気の日々を送らせるかということです。
知恵をもって、与えなさい。物質を与えることだけが、与えることではありません。慈悲魔になることだけが、与えることではないのです。

と、あります。ここで、愛を与えることの内容について語られ、明らかに単なる男女の愛だけでないことは明らかです。 そして、その与える愛には、人々を正しく導くことも含まれており、そのためには知恵を持って愛を与えなければならないことが明確に示されているのです。

【Eさん】 いやー、愛は愛でもこれだけ違うのですね。知恵を持って愛を与えなさいとは、人類が初めて聞いた言葉ではないでしょうか。

【お助けマン】 そうです。さすがですね。愛の違いが分られましたね。
これほど愛が誤解されている時代にあって、愛をよみがえらせるだけでなく、その愛の意味を立体的に解明したということでは、人類初の偉業であるのです。
それを、「愛の発展段階説」(『太陽の法』152ページ)と言って、愛を、悟りの階梯に沿って立体的に説かれたのです。 これによって、イエスさまが説かれた隣人愛に象徴される水平的な愛は、仏教の悟りの階梯と見事にドッキングしたのです。
これは、まさしく人類史上画期的なことで、愛を説くキリスト教と、悟りを説く仏教とを融合させる教えであり、 これによって、もはや両者の宗教的対立は意味をなさなくなったと言って過言ではないのです。

【Eさん】 すごいですね。「愛の発展段階説」は、キリスト教と仏教とを融合させる教えであると・・・。
そして、大川総裁は、誤解された愛を、もとの本来の愛に復活された、いや、復活されただけでなく、それをさらに立体的に 再構築されたと。これはもう神々の上の神、すなわち、主であるエル・カンターレの証明ではないですか!

【お助けマン】 そうなのです。おっしゃるとおりなのです。
実を言うと、このことが、大川総裁が主エル・カンターレ、つまり、神々の主であることの証明でもあるということなのです。
大川総裁は、単に一宗一派を創るためにこの地上に降りられたわけではありません。宗教による人類の対立をなくし、 地球人としての目覚めをなすために、この地上に降りられたのです。 そして、その地球人としての条件が、本日のテーマの「愛」であり、また、愛の現れとしての「寛容」であるのです。

【Eさん】 いやー、今日も本当に感動しました。「愛」こそが、新しい時代を開く鍵なのですね。 だから、私たちは、もう愛を誤解するのを止めて、真実の愛を学ばなければいけないということなのですね。本当によく分りました。 ありがとうございました。
それでは、今日はこれで帰ります。

と言ってEさんは帰られました。映画「神秘の法」の中で、「愛」と「寛容」が地球人としての条件であると獅子丸翔が言ってましたが、 新しい時代を開くキーワードは、「愛」と「寛容」、そして、「慈悲」なのです。
大川総裁が、愛の復活をなして、現在、強力に愛を説かれているということは、 今、まさに、新しい時代が開かれようとしていることに他なりません。そして、その新しい時代を開く主人公が私たちであり、 またそれは、私たちひとり一人の愛の実践にかかっているのだと強く思った次第です。  エル・カンターレに感謝。

では、また続きます。次回は、『仏陀からエル・カンターレへ』(その10)です。

(その9 終わり)