『仏陀からエル・カンターレへ』(その7) 映画「神秘の法」から

入会間もないEさんが、大川総裁が再誕の仏陀であり、かつ、エル・カンターレであることを教えから学びたいと言って来られました。
今回は、『仏陀からエル・カンターレへ』の第7回目で、映画「神秘の法」からの学びがテーマです。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回の「大悟の瞬間」では、今回、エル・カンターレが悟られた内容が少し分かったように思います。 要するに、宗教は、あの世を大事にしてこの世を否定する傾向にありますが、この世もあの世も共に大事だということでしたね。ですから、幸福の科学では、「この世とあの世を貫く幸福」と言っているのですね。よく分かりました。
それで次は何ですか?

【お助けマン】 第七回目は、今、大ヒット上映中の映画「神秘の法」からの学びです。

【Eさん】 はい、私は、さっそく公開初日に観て参りました。大変感激でした。
何か、聞くところによると、金粉が出たり、体の具合が悪かった人が帰りには、しゃきっとして帰られたとか・・・。

【お助けマン】 はい、そのとおりです。もちろん映画の内容についても、近未来の予言的映画ですので非常に内容が濃いのですが、画面から霊的光を感じる人も多く、 奇跡が続々と起きているようです。やはり、「神秘」という名称が付けられただけのことはあるかと思います。
ところでEさん、映画の中で印象が強く残ったところはどこですか?

【Eさん】 色々とありすぎて困るのですが、あえてあげるならば、獅子丸翔(ししまるしょう)の言葉で、

『何もしなければ、何も変わらない』

という言葉でしょうか。

【お助けマン】 なるほどね。その言葉をあげる人が多いですね。
その言葉は悟りの言葉と思います。つまり、その言葉には「縁起の理法」が含まれていますし、また、「愛」と「勇気」も含まれています。

【Eさん】 あっ! そうか、この言葉は悟りの言葉なんだ。だから、簡単な言葉であり、言ってみれば当たり前の言葉だけど、その中に非常に大事な真理が込められたいるのですね。

【お助けマン】 そうです。実は、この言葉は、エル・カンターレを象徴する言葉だと考えていいと思います。
かつて宗教というのは、山奥のお寺の中でお坊さんたちが自給自足の生活をして、世の中から離れて生活するというイメージがありました。 彼らの目的は、修行によって悟りを得ることにあって、世の中がどのようになっていたとしても、我関せずというところがありました。

【Eさん】 そう言えば、昔の侍の時代で、戦に破れた武将が頭を丸めて出家したならば、 誰もその武将を追ったり迫害をしなかったというのは、宗教の世界に入ったならば、もう世間とは関わりあいを持ちませんという意志表示だったのですよね。

【お助けマン】 そうです。宗教は、政治や世の中の営みに関わらないということを暗黙的に皆知っていたわけです。
しかしながら、それは、ある意味で逃げであり卑怯だと思います。世の中の人々が苦しんでいたとしても、それに対して知らん顔をして 自分だけ悟ればいいと言うなら、これは自己中でエゴイストと言わざるを得ません。ですから、まことの宗教ならば、世の中の人々の苦しみを放っておくはずはないのです。

【Eさん】 そうですよね。宗教の目的に「救済」があるならば、見て見ぬふりをすることが許されるはずはありませんよね。

【お助けマン】 実は、大川総裁はそこのところを何度も説法で述べられています。その説法で分りやすいところがありますので朗読したいと思います。
『不滅の法』 第1章「世界宗教入門」の58ページです。

地球レベルで人々を導こうとしている者の教えを、各文明や各宗教の中から見いだすとしたならば、そこに出てくるものは、いったい何でしょうか。
第一に挙げるべきは、やはり、愛の教えだと私は思います。
愛の教えは、現代的には、ともすれば、「男女の愛」「異性間の愛」と捉えられがちです。しかしながら、私は、それでは十分ではないと考えています。
イエスは「神への愛」と「隣人愛」を説きました。「この世の中で最も大事な教えは何であるか」と問われたとき、 彼は、「まず、汝の主なる神を愛せよ。次に、汝の隣人を愛せよ」と説きました。
このように、イエスは、「異性愛」や「近くにいる人への愛」以外のものも説きましたが、これだけでは十分でないように私には思えます。 愛の教えの中には、もう一つ、大切なものが潜んでいるように感じられてならないのです。
その大切なものとは何でしょうか。
愛の中には、「ただただ人に対して優しくする」という愛だけではなく、「人々を正しい道に導く」というものがあるのです。
真にあなたがその人を愛しているならば、あなたの隣人に対しても、あなたにとって見知らぬ人に対しても、あなたの身近な人に対しても、 正しい道に入るように勧めることも愛なのです。そのことを知らなければなりません。

とあります。つまり、「人々を正しい道に導く」ことも愛ということなのです。この愛は、勇気を必要とします行動を必要とします。また言葉も必要とします。 従って、ただずっと座禅をして、自分だけが平和な境地にひたっていることは許されないということなのです。

【Eさん】 分かりました。宗教という概念がかなり変わってきました。宗教は、山寺で座禅をしたり、滝に打たれたり千日回峰をしているというイメージでは決してありませんね。 思いやりがあって非常にエネルギッシュで、かつ、非常に勇気を感じます。

【お助けマン】 そうです。非常に行動的で、かつ、勇気があるのです。
ですから、映画の中での獅子丸翔は、単独で敵陣の基地に潜り込み、そして、地球をも破壊するミサイルを破壊しようとしたのです。
これがエル・カンターレの愛の表れ方と言ってもいいでしょう。つまり、宗教というものの意味が非常に幅広くなったと思います。 すなわち、人々を幸福へと導くものであるならば、それは宗教と親和性があると考えていいということです。従って、政治も経済も、また教育も、医学も、科学も人類を幸福にするものであるならば、その基に真の宗教があるということです。

【Eさん】 納得いきました。この映画「神秘の法」が、何ゆえにダイナミックなのか分かりました。 宗教が人々を幸福にするものであるならば、それが政治であろうと軍事であろうと、畑違いだからと言い訳をせずに、進んで、それでもって人々を幸福にしていくということですね。 この映画をエル・カンターレが創られたということもよく分かりました。

【お助けマン】 本当に目からうろこでしょ。宗教という固定化された概念が壊れていくでしょ。 でも、これが本来の宗教の姿なのです。お寺は、法事をしたり精進料理を出すだけではないのです。もっともっと多くの人々の日常の幸福に寄与するものでなくてはならないということです。

【Eさん】 あー、今日もいい話しをありがとうございました。何か、今までの人生でもやもやしたものが晴れたような気分です。 人類の親であるエル・カンターレを信じ、エル・カンターレの説かれる法を学び、実践し、そして、言うべきことを言って、やるべきことを行い、 多くの人々の幸福のために貢献する、これが人間としての最高の幸福であることが分りました。何か、非常に心が落ち着いた感じです。
それでは、今日はこれで帰ります。

と言ってEさんは帰られました。今、映画「神秘の法」を観た人たちに奇跡が起きています。実は、先回の「大悟の瞬間」で学びましたように、 この世とあの世は裏表の関係にあるため、この世の活動が活発になればなるほど、あの世の霊的パワーも連動してアップして、それで、奇跡が起きたのだと思います。
大川総裁が、かつて説かれた「この世の活動を機縁として、霊界をも浄化する」という意味が分ったように思います。これが、この世とあの世が表裏一体であるということの理由だと思います。 映画「神秘の法」にて「この世とあの世を貫く幸福」の真意がまた理解できた次第です。  エル・カンターレに感謝。

では、また続きます。次回は、『仏陀からエル・カンターレへ』(その8)です。

(その7 終わり)