『仏陀からエル・カンターレへ』(その2) エル・カンターレとは何か

 

入会間もないEさんが、大川総裁が再誕の仏陀であり、かつ、エル・カンターレであることを教えから学びたいと言って来られました。
今回は、『仏陀からエル・カンターレへ』の第2回目で、「エル・カンターレとは何か」を学びます。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回の経典『永遠の仏陀』によって、今世の大川総裁のご使命の一端が分かったように思います。 今世は、大量の菩薩が産み出されるということでしたね。
それで次は何ですか?

【お助けマン】 はい、第二回目は、「エル・カンターレとは何か」を学びたいと思います。

【Eさん】 それは嬉しいです。釈尊伝については、色々と多くのお経が残っていますので知ることができますが、何しろ「エル・カンターレ」についてはまったく文献もありませんので、是非知りたいと思っていました。

【お助けマン】 それでは早速ですが、本題に入ります。
まず、エル・カンターレの定義ですが、『霊的世界の本当の話』Part4に、その定義が述べられていますので、その部分を朗読させていただきます。

そして、仏と神とを合一させた存在であり、地球系霊団のなかで最も権威を持って人類を指導し、 人類の草創期以前から地球に責任を持っている大霊の名を、「エル・カンターレ」と称します。その意識の一部が、 インドに生まれたゴータマ・シッダールタ、釈尊なのです。
エルとは「光」、カンターレとは「大地」あるいは「地球」を意味する言葉であり、エル・カンターレとは、「光満てる地球」という意味です。
エル・カンターレこそが地球霊団の最高大霊であり、この大霊が地球霊団において最高の責任を持ち、 人類の運命に関する最後の決断を下しているのです。

と、あります。つまり、この解説によって、釈尊がおっしゃった「天上天下唯我独尊」の真意が分ったのではないでしょうか。 釈尊は、単に自分が最も偉いと言いたかったわけではなく、ご自分の魂としての立場を素直に述べられたということだったのです。
そして、さらに、会内経典の『信仰を深めるために』の12ページに「エル・カンターレとは何か」と題して述べられていますので、そこを朗読いたします。

それでは、エル・カンターレとは、どういうものであるかというと、愛と慈悲、智慧と勇気、こういうものを体現している、 光のエネルギーなのです。愛、慈悲、智慧、勇気、こういうものを持っている存在です。
そして、単に、そういう性質を帯びているということだけではなく、一つの強い意志を持っています。「全人類を、悟りの方向に向かって、 要するに、意識を高める方向、霊的に進化する方向に向かって進ませよう」という強い意志を持った存在、 それがエル・カンターレです。
したがって、エル・カンターレという霊存在は、愛と慈悲、智慧と勇気を中心とした性質を持ちながら、 「人類を、悟りという方向に向けて進化させたい」という強い意志を持ち、人類に対して、「霊的な自覚を進め、 さらに高みに向かって上がっていきなさい」という、強いメッセージを送りつづけている存在なのです。

と、解説がなされています。
ではなぜ、大川総裁が「エル・カンターレとは何か」という解説を、このように的確にできるのか、よく考えていただきたいと思います。

【Eさん】 そう言えば、なぜ、これだけ人類の秘密のことを大川総裁がご存じであるのか、深く考えていませんでした。 今、朗読して頂いた内容は、とてもエル・カンターレご本人でなければ分からない内容ですよね。と言うことは、ここにある内容は、大川総裁がエル・カンターレであることの証明でもあるということですよね。

【お助けマン】 そうです。いいところに気がつかれましたね。ほとんどの人は、ただ、「あっそう」で終わってしまい、なぜ、これだけの解説が 大川総裁にできるのかということを深く考えていないと思います。他の誰かでも知っているいる内容でしたら、やっぱりそうなのかということもありますが、 他の誰も知らないということは、実は、エル・カンターレご本人であることの証明であるということなのです。 そして、その具体的な解説はさらに続きます。

エル・カンターレは、その存在を人々に理解してもらうことは困難なので、過去、個性を持った魂として何度も地上に出ています。 たとえば、ムー帝国のラ・ムー、アトランティスのトス、南米のリエント・アール・クラウド、古代ギリシャのオフェアリスとヘルメス、 そして、私の直前の過去世である、インドのゴータマ・シッダールタなどがそうです。
彼らの名前は家庭御本尊のなかに記されているので、みなさんはご存じでしょう。
このように、個性を持った魂として出ないと、理解してもらえないし、「そういう霊存在がある」ということの側面を 見せることができないのです。
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信仰心のない人、あるいは、悪霊や小悪魔などが憑いている人は、家庭御本尊を見て、「これは人間の写真ではないか。おかしいではないか」と 言うかも知れません。
しかし、ほかに表現の仕方がないのです。「光の球(たま)を、どうやって表現しますか。金色に光る、ドーンと大きなエネルギー体を、 どのように表したらよいでしょうか」ということです。写真のようなかたちでの私の姿であるか、あるいは、立体の立像としての私の似姿(にすがた)であるか、 この二通りぐらいしか、エル・カンターレの表現形式がないのです。
その人間としての姿につまづく人もいるかと思いますが、それは、歴史というものを知らない人です。

と、あり、エル・カンターレが過去、個性を持った魂として何度も地上に出られたことが述べられています。 またさらに、家庭御本尊が大川総裁の写真であることを批判している輩に対して、ピシッと打ち返しをされています。
そして、次に、本体と分身についての解説が27ページに続きます。そこを朗読いたします。

しかも、「今回、大川隆法として生まれた私は、エル・カンターレの魂のなかでは、本体意識の部分である」という言い方をしています。
これはどういうことであるかということも、説明が必要でしょう。
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、ゴータマ、シッダールタは、生まれてから死ぬまでのあいだに、いろいろな悟りを得て、それを説きました。 しかし、本体・分身、魂系団全体の姿をほんとうに知っていたかというと、そうではなかったでしょう。そこまでは行っていなかったでしょう。
また、ヘルメスも、おそらく、そこまでは行かなかったでしょう。
「魂の兄弟、要するに、自分の分身、分霊たちが、どういう役割をしているか」ということを、全部、承知しながら、 「どのようなかたちで役割分担をして、自分としての仕事、魂としての仕事を進めていくか」ということを理解している部分、 そういうコントロールをしている部分のことを「本体」といいます。
大川隆法として生まれた私は、私の魂の兄弟たち、私の魂の分身たち、分霊たちの仕事を、全部、理解しています。 その上で、私としてやるべき仕事をしています。これが、本体としての機能をしているということなのです。

とありますが、大川総裁は、ご自分がエル・カンターレの魂の本体であることをさらりと述べられています。

しかしながら、これはもう大変なことなのです。 なぜなら、エル・カンターレの本体は、めったにこの地上に降りられることはないということだからです。そのめったに降りられない本体が、本体としての役割や機能を明かされたからです。 そして、その本体の下生は、過去、2回あり、今回が3度目です。3億数千万年前に「アルファ」、1億5千万年前に「エローヒム」という名で地上に降りられましたが、 大川隆法というお名前でのエル・カンターレの本体の下生は、今回で3度目となります。
では、次の本体の下生はいつかと言えば、地球消滅時と聞いていますので、実質、地球への下生は今回が最後と言ってもいいのです。

【Eさん】 えっ! そうなんですか。エル・カンターレの本体がこの地上に生まれられるのは、今回が最後ということなのですね。

【お助けマン】 そうです。だから、この千載一遇、いや億載一遇ともいうべきチャンスを無駄にはできないのです。 今、生まれている人たちは、本当に宝くじが当たったようなラッキーな人たちなのです。なぜなら、人類の歴史において3度の生まれでしか学べない、あるいは経験できないことを、今、経験しているからです。
それと逆も真なりで、もし、エル・カンターレを誹謗・中傷したりすれば、それこそ、自分の魂にとっては、全く取り返しのつかないことになってしまいます。 エル・カンターレの分身である方に対しての誹謗・中傷ですら、もう二度と人間としては生まれられないとありますので、ましてや本体であるエル・カンターレを誹謗・中傷すれば、どれだけの反作用が来るのか、私は想像もつきません。 ですから、私も強く警告をしているのです。

【Eさん】 分かりました。今日は、「エル・カンターレとは何か」ということが、とてもよく分かりました。私も、何かのご縁で、この時代のこの日本に生まれさせて頂いたわけですから、 人生を無駄にしないためにも頑張りたいと思います。今日は、本当にありがとうございました。

と言ってEさんは帰られました。もし、今、ここに自分が神だという人がいれば、それは常識的に考えて、万に一つ、いや、億に一つも本当のことではないでしょう。
しかしながら、既成概念にとらわれず、また、学校や職場、そしてマスコミなどの洗脳に惑わされない柔軟な心を持った人が居るとして、 大川総裁の説法を聞けば、その内容の論理性と一貫性、そして立体的な構成から、そこに説法の真実性を見出すことができるでしょう。 また、霊的にカンのいい人なら直感的に本物だと分ると思います。
何しろ、大川総裁の説法の内容が初めて耳にすることばかりなので、とまどうところもあるでしょう。また、信じられないということもあるでしょう。 しかしながら、今、自分が生まれたばかりとして偏見を取り去って考えてみたときに、内容の真実性が心に入ってくることを感じられるものと思います。 かく言うビジネスマンの私がそうでしたので、ましてや、素直な皆様なら、なおさらエル・カンターレ教えが素直に心に入ってくるものと思います。  エル・カンターレに感謝。
では、また続きます。次回は、『仏陀からエル・カンターレへ』(その3)です。

(その2 終わり)