仏陀の証明はどこに書かれていますか?

 

先日質問されたEさんが、さらに聞きたいことがあると言って来られました。Eさんは、先回、お助けマンの「仏陀の証明の七点」を聞き、大いに納得された方です。

以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回は、大川総裁が再誕の仏陀である説明をしていただき、どうもありがとうございました。
今日また来させて頂いたのは、仏陀の証明の七点は分かったのですが、では具体的にどの書籍に大川総裁が仏陀であるという説法や記述があるのか、これを教えていただきたいと思ってやって参りました。

【お助けマン】 はい、分かりました。大川総裁は、初期のころはご自分が再誕の仏陀であることをあまり前面に出してはおられませんでした。その後、仏教理論を深く説かれた90年代半ばになってから、再誕の仏陀であることを強調されるようになったと記憶しています。

【Eさん】 そうですか。もし自分が偉大なる過去世を持つ人間なら、まっ先に言いたいと思うのですが、初期のころはあまりおっしゃってなかったのですね。

【お助けマン】 はい、そうです。大川総裁のお考えとしては、過去世は過去世、今世は今世、自分がどのような人間であるかは、過去世を見なくても今世を見れば分かるというお考えだと思います。従って、過去世に捉われず、今世における努力精進の大切さを常に強調されておられるのです。

【Eさん】 そうだったのですか。

【お助けマン】 はい、それでは、年代を追って書籍の一部をご紹介したいと思います。
書籍と言えば真理経典ですが、『太陽の法』を外すわけにはいきません。まず、『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」11節「キリストの出現と仏陀の使命」のところで、「はっきりしていることは、私自身が再誕の仏陀であること。」と明言されていますが、その他もあげてみましょう。

まず第一に『信仰と情熱』にあります。

私は、二千六百年前も、霊鷲山(りょうじゅせん)においてそのようにあなたがたに語り、 今もまた語っています。この言葉は、永遠の真理です。私が語るが、語っているのは、 あなたがたの前にある姿ではない。あなたがたに語っているのは、永遠の仏陀であることを 忘れてはならない。その言葉が、今、現れているということを忘れてはならない。


第二に
『仏陀再誕』(1994年10月新刊)【新刊へのまえがき】

今から二千五百数十年前、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)にて、マガダ国の首府 ラージャグリハ(王舎城[おうしゃじょう])の街を見おろしながら、弟子たちに説法した、 あの感慨が蘇(よみがえ)ってきます。
あの頃、あなたがたは、頭を丸め、柿色に染めたそまつな衣を身にまとって、私の法話に 随喜の涙を流していました。時代は変わり、国名も変わり、あなたがたの服装も変わりました。 しかし、仏法真理を感じとる心は同じでしょう。師と弟子とは、法によって、永遠に 結ばれています。仏―法―僧は一体です。
この永遠の書を、再びあなたがたに贈ります。

第1章「我、再誕す」【目覚めよ】

諸々の比丘(びく)、比丘尼(びくに)たちよ。
我はここに再誕す。
我が再誕を喜べ。
我が再誕に気づけ。
我が再誕に、その事実に、その時に、気づけ。
あなたがたは、かつてあのインドの地で、
私の話しを聞いたはずである。・・・

【同・新刊へのあとがき】

弟子たちよ、強くありなさい。 この世的誘惑や邪見に打ち克って、私のもとに集ってきなさい。 仏陀の直説・金口の説法を聞くためには、不退転の覚悟が必要です。 優曇華(うどんげ)の花は、三千年に一度しか咲きません。 そして、同時代には、仏陀は一人しか生まれない約束になっています。
「いざ、再誕の仏陀のもとへ!」---これが、光の菩薩たちの合言葉です。


第三に
、『仏陀の証明』(1995年4月発刊・その後会内経典)【まえがき】

仏教学を学んだり、様々な仏教系教団で修行してもわかりえなかった真実が、 偉大なる悟りとして、再び読者の前に復活する。その悟りこそが、再誕の仏陀の 証明でもある。

【同・あとがき】

現代には、仏教を称する教団の中にも、間違ったものや、狂ったものも多数存在する。 宗教が人の心を救うためではなく、人生を狂わせたり、踏み外させたりする迷路と なることに、深い悲しみを感じる。
邪教の騙しのテクニックや虚飾を見破るためには、正確な悟りの知識と、研ぎ澄まされた 人生観が必要である。 善悪を見極め、正邪を判別することが、智慧の始まりであることを知らなければならない。 ていねいに日々精進し、学び続けることが大切だ。正気から狂気に到ることを「解脱」と 勘違いしてはならない。悟りには「世間解」という立場のあることを忘れてはならない。 世の中の真実の流れや真相を見誤ってはならない。


第四に
『永遠の仏陀』(1999年9月改訂新版)【改訂・新版あとがき】

ある時には、静かに淡々と語られ、あるときには、厳(おごそ)かに胸を打つ言葉が つづられ、仏陀の説法とはどのようなものであるかが、本書によってあまねく人々に 伝えられたと思う。
言葉の流れは、第5章『永遠の仏陀』に入って、激しく、かつ、急となる。 読者は、仏陀の奥にある「エル・カンターレ」の意識と姿を、一瞬、垣間見ることができる。
しかし、深くは理解しなくてよい。釈迦とキリストの奥に存在(あ)る 「光体」の煌きを、かすかに、感じ取るだけでよい。それから後は、実在界の神秘のままで よいのだ。
---(略)---
1991年に語られた私の本書での呼びかけに馳せ参じ、地涌(じゆ)の菩薩として、 身命を惜しまず活躍された、幾万、幾十万の光の子たちに、心からの感謝を捧げる。


第五に『不滅の法』(2011年12月)第1章「世界宗教入門」69ページ

 

インドの人たちは、「仏陀再誕」の事実を受け入れましたが、日本の人たちは、 それをまだ十分には受け入れていません。 私は、この二十数年間で千六百回以上も説法をしてきましたが(2011年12月時点)、 それらの説法は、すべて経典として出され続けています。 「こういうことができるのは仏陀以外にいない」ということを知っていただきたいと思います。 「教えがすべて経典となって遺っていく」ということを実践できた人は、かつて仏陀しかいないのです。 私の説く法は、すべて、編纂され、大蔵経、仏典として遺っていきます。

と、あります。あまりにも多くありすぎますので、その一部の書籍を紹介させていただきました。

【Eさん】 いやー、びっくりしました。一部ということですが、それでもこれだけの説法などのお言葉に、再誕の仏陀であることの証拠があったのですね。

【お助けマン】 そうです。これだけあるのです。大川総裁を再誕の仏陀であることを否定している人は、これをウソだと言うのでしょうか。 それこそ、そういう人達は、大川総裁が再誕の仏陀でないことを、証拠を出して証明をする必要があると、私は思いますよ。

【Eさん】 その議論は、あの世があるかないかの議論に似ていますよね。

【お助けマン】 そう言えばそのとおりですね。近年における臨死体験での科学的実証や、また、大川総裁による短期間、かつ、大量の霊言によって、あの世の存在証明がすでになされていますが、あの世がないことを証明をした人は誰も居ないということに似ていますね。

【Eさん】 そうですね。そっくりですよね。大川総裁が再誕の仏陀である証明は、これだけあるのに、大川総裁が再誕の仏陀ではないという証明がありません。ただ単に、ウソだ創作だと言っているだけで、その証拠を示せていませんね。下ネタは論外ですが・・・。

【お助けマン】 これは、もう感情論ではなく、真実を見て正しく判断するしかないということと思います。ここの問答でも過去に事例がありますので参考にして下さい。

【Eさん】 はい、今日も大変分かり易い説明をいただき納得をいたしました。無責任な雑音に迷わされず、信仰を強くして参りたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

と言って、Eさんは帰られました。やはり、日本はありがたいことに、自由がない某国々と違って自由な国なので、批判することは自由です。しかしながら、駄々っ子ではあるまいし、また、どこかの政党ではあるまいし、批判するならばここは科学的かつ理性的に、自分の正論をも合わせて批判すべきと思います。
例えば、大川総裁の次元構造が間違っていると思うなら、私の次元理論はこうです、とか、愛の発展段階説が間違っていると思うなら、私の愛の理論はこうですとか、悟りの階梯が間違っていると思うなら、私の悟り理論はこうですと、対論も合わせて批判するのがスジであると思います。
そして、これこそが日本が自由で文化国家といわれるゆえんであり、またフェアーであるということではないでしょうか。人間、卑怯にならず正々堂々と人生を歩んで行こうではありませんか。 仏陀に感謝。

(終わり)