「迷ったら法に戻れ」 が合言葉

 

先月の5月7日に、仏陀再誕の証明を教えて欲しいと来られたAさんが再び来られました。どうも、支部や精舎の運営について、お聞きになりたいことがあって来られたようでした。

以下は、そのときの会話の模様です。

【Aさん】 先日は、仏陀再誕の証明を分かりやすく教えていただき、ありがとうございました。おかげさまで、私の友達も入会されました。

【お助けマン】 それは本当に良かったですね。再誕の仏陀、大川隆法総裁を信じる人が増えること自体が、地球の光が増え、また浄化していることにもなります。
ところで、今日は、どのようなことでおいでになられたのでしょうか?

【Aさん】 はい、実は、支部によく参拝や行事参加に行ったときに気がつくことですが、誰も居ない部屋で電気がつけっぱなしになっていたり、また、チラシやポスターなどが、すぐに内容変更ということで廃棄処分されていたり、どう見ても無駄が多いのではないかと、少し心配になってきたのです。

【お助けマン】 そうですか。そういうことがあったのですね。

【Aさん】 それらは、基本的には布施によってまかなわれていますので、もう少しうまい運営ができるのではないかと思ったのです。

【お助けマン】 なるほどね、そういうことでしたか。当然、私もビジネスマンですので、支部に行きますと、もう少し、こうした方がいいのに、と思うこともありますよ。

【Aさん】 これは、私だけではなく、他の信者さんからも時々聞くことなのです。それでもって、私の友人も、せっかく信者になられたのに、こんなことが原因で、あまり来られなくなったら申し訳ないと・・・。

【お助けマン】 分かりました。それでは、少し考えてみたいと思います。
支部や精舎の職員は、当然仏陀ではなく、出家して職員になった人達です。彼らは、今まで勤めていた会社を辞めて出家した人、あるいは、学校の卒業と同時に出家した人とか、色々な経歴の人がいます。もちろん、出家前の経歴が、セールスマンであったり、あるいはサービ業などで接客を経験した人ならば、お客さまに対するサービスとか、あるいは、会社なら当然行っている経費節減などに慣れておられると思いますので、さほど問題は起きないことと思います。しかしながら、出家前が学生であったり、あるいは、大企業の管理部門や公的機関にお勤めだったりしますと、接客や経費節減などの経験がありませんので、十分に指導しないと、運営の評判が悪くなったり、あるいは、無駄が出たりすることが無いとは言えません。

【Aさん】 そうです、そのようなところを見て、正直失望することがあります。そのようなとき、どう思えばいいのでしょうか。

【お助けマン】 分かりました。これは、少したとえ話しで話さないといけないかも知れませんね。
例えば、ここに、10カラット以上もある大きなダイヤモンドの指輪があるとします。そして、そのダイヤの指輪の値打ちは、どこで決まるかと言えば、そのダイヤの大きさと質で決まります。そのダイヤを載せている台については、もちろんプラチナや金、銀で作られるとは思いますが、その台でもって、ダイヤの指輪の値打ちが決まるものではありません。台はあくまでも台であって、ダイヤを支えるものです。もし、台が壊れたり、傷が入れば、修理をするか、または、取替えをすればいいのです。
つまり、何が言いたいかというと、その大きなダイヤの部分が仏陀であり、また、仏陀が説かれた法の部分なのです。そして、台の部分が、仏陀を支えるための組織や設備、施設の部分です。従って、もし、その台の部分に問題があったとしても、ダイヤ自体が否定されるものではないということなのです。

【Aさん】 なるほどね。分かりやすいたとえですね。ダイヤの尊さは、否定されないということですね。

【お助けマン】 そうです。しかしながら、台の部分だからと言って、問題があってもそのままで良いとしている訳では決してありませんので、ここは誤解がないようにお願いしますが、現に、以前から比べれば、これが同じところだったのかと思われるぐらいに改善された支部や精舎が多くあります。それは、支部や精舎に従事する職員の人たちも、大川総裁の教えを忠実に実践しているからに他なりません。
例えば、『社長学入門』『経営入門』には、無駄の排除、そして、『経営入門』の「商売繁盛のコツ」では、顧客に「感動を与える」ことの重要性が、コンコンと説かれています。これを、職員の人たちは、法に立ち返って、日夜、忠実に実践されています。
さらに、会内経典の『異次元パワーに目覚めよ』第2章「帰依の心」には、次のように書かれています。

確かに、「支部長が優秀であるかどうか」ということについては、当たり外れがあるかも知れません。私は、どの支部にも百点の支部長を送りたいのですが、支部長の養成の問題、あるいは本人の才能や才覚の問題があるため、必ずしも、そのようにはなっていないと思います。ただ、信者のほうも百点ばかりではありません。それは、お互いに分かっていることでしょうから、何とか力を合わせて少しでも前進するように努力していただきたいのです。

とおっしゃています。要は、目的は一つ、エル・カンターレ信仰を立てて、ユートピアの建設を行うことなので、皆が一致団結して努力して下さい、ということだと思います。

【Aさん】 えっ! しっかりと書いてあるじゃないですか。やはり読まないといけないですね。なるほどね。

【お助けマン】 そうです。だから、何か困ったことが起きたり、どう判断すればよいか分からないことが発生したならば、大川総裁の説法にあるか、なければ、書籍に書いてあるか、まずは、それをこそ探すことが大事です。釈迦に八万四千の法門ありと言われていますが、それ以上に、今、政治や経済についても説かれていますので、どこかに書いてあるはずです。そして、非常に大事なことですが、もしあったなら、その内容に従うことです。もし、それでも無ければ、支部長や四人以上の法友に聞いてみることです。必ず、何らかの答えが得られるはずです。これが、仏帰依、法帰依、そして僧帰依ということに当たります

【Aさん】 分かりました。危ないところでした、単なる運用の問題で、信仰を揺らすところでした。さっきのダイヤの指輪のたとえのように、ダイヤをこそ見ないといけないのに、台ばかりに気を取られていたようでした。

【お助けマン】 そうです。これも信仰の試しと言えます。これだけ三宝帰依が大事だと言われているにも係わらず、どうしても、自分の頭だけで判断しようとするのです。
もう一度、『仏陀再誕』を読み返す必要があるでしょう。その部分を、少し引用してみましょう。

百パーセントの信仰
仏陀への帰依の姿勢なくば、真実の法は説かれない。
疑いのなかで真実の法は説かれない。
疑いのなかに広がるものは悪魔の領域である。
悪魔はいつの時代も、人々の疑いのなかに入り込む。
人びとの疑いのなかに入って、お互いの意見を合わなくさせる。
お互いにわけのわからないことを言わせ、仲たがいをさせ、
そして、引き裂いてゆく。
信仰を引き裂こうとする。
信ずる者の心をかき乱そうとしてゆく。
しかし、人びとよ、決して迷ってはならない。
決して迷ってはならない。
自分の小さな頭で何がわかるか
自分の小さな頭で理解したところで、いったい何がわかるか
小賢(こざかしい)知恵で何がわかるか
何ゆえに、そのような小さな頭で、
何ゆえに、そのような小さな知恵で、
仏陀の叡智を量(はか)ることができるか。・・・

とあります。
つまり、私たちは、他人が考えることに対して、自分を基準にして自分はこのように考えるのだから、他人もこう考えるだろうと類推します。そして、その考えは、それほど間違っている訳ではありません。しかし、その類推は、仏や神に対しては、まったく通用しないのです。想像することすらできません。従って、仏や神のお考えには、ただただ素直に従うしかないということなのです。これが、信仰と言われる態度だと思います。

【Aさん】 よく分かりました。私たちの小さな今までの人生経験の中で判断してしまったのですね。ささいなことで、全体を見失うところでした。これからは、「迷ったら法に戻れ」と言うことを合言葉に、精進していきたいと思います。今日は、本当にありがとうございました。

と言って、Aさんは帰られました。これからも、私たちの信仰が試される場が多くあることと思います。しかしながら、そのときにこそ、まず、「法に戻る」ということの大切さがよく分かりました。また、このような仏陀の法があるからこそ、迷わなくてもいいという慈悲の時代に生きていることを、改めて認識させていただいた次第です。感謝。

(終わり)