大川総裁の腕時計は、豊かさの象徴
今日、私の友人のCさんと、偶然にも街中でばったりとお会いしました。
世の中には偶然はないと言いますので、何かのお導きと思って、一緒にお茶を飲むことになりました。
以下は、そのときの会話の模様です。
【Cさん】 久しぶりだね。元気でやっている? そうそう、昨年、あなたから誘っていただいた大川総裁の講演会、非常に感動したよ。
【お助けマン】 ありがとうございます。私も来ていただいて、嬉しかったです。
【Cさん】 いや、それでね、そのときに聞けばよかったのだけど、大川総裁は、派手好きのお方なのかね。高級腕時計とか、何か宝石のようなものもされていたように思ったのだけど・・・。
【お助けマン】 よく観ておられますね。そうですよ。なかなかいいでしょ。
【Cさん】 いゃー、どうかな。宗教の教祖さまだったら、もっと質素でもいいんじゃないの。
【お助けマン】 やっぱり、そう思われたのですか・・・。そう思われるのも、無理ないでしょうね。つまり、世の中には、まだまだ、宗教はこうあるべきだ、その宗教者もこうあるべきだ、という暗黙の規定がありますからね。
【Cさん】 その暗黙の規定とは、何なの?
【お助けマン】 つまり、宗教者は質素で、また清貧でなくてはならない、という暗黙の規定があるのではないかということなのです。そして、それは、また、今までの”常識”だったのではないかと思います。だからこそ、今、大川総裁は、その”常識”を変えようとされていると、私は思っています。
つまり、神の性質に、愛、慈悲、誠実、精進、謙虚、勇気・・・などがありますが、実は「豊かさ」もあるのです。しかしながら、従来での宗教では、その豊かさは、人間の執着と欲望をそそるとの理由で、否定される場合が多かったと思います。仏教もそうですし、キリスト教もそうでした。でも、天国は豊かですし、貧しくて困っている天使は、一人も居ないのです。天使は、皆、ボロを着ている訳はないのです。
【Cさん】 それは分かるけど、それと、高級腕時計が、どう関係があるの?
【お助けマン】 ご存知のように、大川総裁は、2500年前にインドで仏教を説かれたお釈迦さまの生まれ変わりです。その生まれ変わりということを、信じてもらうためには、むしろ、袈裟衣を着て、質素なたたずまいと、質素な生活をしたほうが、信じてもらいやすいのです。実際、過去に、我こそは仏陀の生まれ変わりと名乗ったニセ仏陀たちは、いかにも宗教者らしい服装をしていました。(これで、だまされた人も多い)
しかしながら、そのような粗末な衣では、天上界の豊かさを、再誕の仏陀の宗教である幸福の科学が取り戻すことはできないのです。これも、大川総裁が、今、仏教のサビ落としをされている証拠でもあるのです。
【Cさん】 でもね、やっぱり高級腕時計や宝石などは、宗教的でないと思っちゃうね。
【お助けマン】 それだけ、宗教的という言葉のイメージが固まっているのです。
ですから、高級な腕時計をしたり、宝石を身につけたり、あるいは、一見派手な衣裳を着られて、仏教のサビ落としと、同時に、仏弟子の意識の変革も、図っておられると言えるのではないかと思います。
【Cさん】 そう言えば、おたくの信者さんであっても、高級腕時計や、宝石、そして、衣裳にびっくりしていた人がいたと聞いたけど、そういうことだったのだね。
【お助けマン】 そうです。当初は、びっくりした人もいたかと思いますが、今では、大川総裁の意図が広がったと思っています。
それとね、単に仏教のサビ落としだけでなく、もう一つ理由があると思うのです。
それは、今、貧乏神に取りつかれようとしている、この日本を救おうとして、「豊かさ」というものを自らで体現されているのではないかと思うのです。たとえば、国のトップが、自分をドジョウのようにたとえてみたり、あるいは、千円散髪を利用していると言ったら、それは謙虚に聞こえるのだけど、その人の配下にある人たちは、それ以上をすることができなくなるのではないでしょうか。あるいは、これから耐乏生活が始まるという覚悟をしなくてはならなくなるのではないでしょうか。
【Cさん】 うんうん、当初は、首相はなかなか謙虚なお方だと思ったけど。そう言えばそのとおりだね。危ないところだったね。
【お助けマン】 昔、経団連の会長を務められた土光敏夫さんが「めざしの土光」と言って、質素な生活をしておられるのを国民が知って、襟を正したということがありました。確かに、無駄を省いて倹約に努めるということも美徳と思います。 しかしながら、おやじさんが、あれだけ質素に倹約しているからと、皆がお金を出さないようになれば、それは経済の停滞を招くと思いますよ。つまり、お金が循環しなくなるのです。
【Cさん】 やはり、トップに皆が従うからね。
【お助けマン】 そうです。この世は、縁起の理法のもとにあります。マクロにものごとを見るということは、なかなか難しいのですが、原因と結果の法則によって、それが、増幅していくようにならないと、天上界のように豊かにはならないのです。
蛇口を絞ってばかりいたならば、それは、ジリ貧にだけになるだけです。これは法則なのです。ですから、消費は、一見悪のように見えますが、実は、その代金を他人に与えていることを忘れてはいけないと思います。つまり、その代金を受け取った人は、豊かになり、その豊かになった人がまたそれを他人に分け与える、この富の循環が大事なのです。
【Cさん】 あっそうか。高いものを買うということは、その代金を払っているのだね。人に富を与えているし、単に贅沢と言う訳ではないのだ。
【お助けマン】 そうなのです。ですから、高級品を買うということは、富の増幅に貢献していることに他ならないということなのです。だから清貧は、一見良さそうに思うのですが、神のご性質にはないということなのです。実は、全くの無駄使いも悪だし、貧も悪なのです。このことは、意外と知られていません。
【Cさん】 いやー、これは困った。高級品は贅沢で悪と思い、清貧は、美徳なんだと思っていたよ。これは、全く逆だったよ。
【お助けマン】 やはり、そこまで、私たちの価値観が、マルクス主義に汚染されていたということだと思いますよ。ですから、高級品に対して、嫉妬の思いもあったということなのです。
【Cさん】 なるほどね。そう言えば、ブラックサイトで、大川総裁が高級腕時計をしているのは、贅沢だと批判しているのがあったけど、それは、再誕の仏陀が、今、仏教のサビ落としをされていることも分かっていないし、かつ、彼らの嫉妬心から出ているということも、よく分かったよ。
【お助けマン】 そうです。まだまだ先の話しですが、大川総裁が、次回、生まれ変わられるのは2800年後です。その間、過去の仏教者が2500年の間、富を否定したようなことが、今後、起きないように現在修正をされているのではないかと思います。
【Cさん】 分かったよ。教祖さまの腕時計や宝石などを見て違和感を持つような人がいるなら、それは、むしろ、自分の富に対する考え方を変えるいいチャンスと思わないといけないいのだね。よく分かったよ。これで、僕も、お金持ちのマインドに近づくことができる自信ができたよ。ありがとう。
と言って、Cさんと別れました。今日は、大川総裁のご講演会での高級腕時計から話しが始まりましたが、それが、仏教のサビ落としであり、かつ、日本を貧乏神から守る意味を持っていたと言う話しに、Cさんも、ただ目を丸くされていたように思いました。合掌。
(終わり)