真剣に祈ったのに両親が連行された希(のぞみ)さん

先日ファイナル・ジャッジメントにお誘いしたBさんが、
是非、聞きたいことがあると言って来られました。
何でも、映画の中での希(のぞみ)さんが非常に気になられたとのこと。

以下は、そのときの会話の模様です。

【Bさん】 先日は、いい映画に誘ってくれてありがとう。実はね、そのあと色々と映画のことを考えていたのだよ。

【お助けマン】 ええ、感動的な映画でしたね。ところで、何を考えておられたのですか?

【Bさん】 もちろん、日本の将来についても考えていたけれども、希(のぞみ)さんのことなんだ。

【お助けマン】 と、言いますと?

【Bさん】 いやね、あれだけ神さまを信じていた希が真剣に祈ったのに、ご両親が連行されてしまった。そして、そのあと彼女は、信仰のペンダントを引きちぎり、信仰を失ってしまったところがやはり気になってね。

【お助けマン】 そのシーンですか。やはり、私も彼女がかわいそうで、涙が出たところです。

【Bさん】 そうでしょ。かわいそうと言うことも、そのとおりなんだが、僕が感じたのは、なぜ、神が助けなかったのか、なぜ、祈りが聞かれなかったのか。これは、やはり信仰する人にとって大きな問題だと思うんだよね。あれだけ信仰深かった彼女が、信仰を捨てるようになった気持ちも、何か分るような気がするんだ。あなたどう思う?

【お助けマン】 そうですね。これは信仰者にとって非常に、何と言うか、試しというか、あるいは、次の段階に進む階段かも知れないと・・・。

【Bさん】 それじゃ答えになっていないよ。一生懸命に祈っても助けてもらえなかったら、何のための神かって思ってしまうよ。本当に神はいるのかと。

【お助けマン】 そう思うのも仕方がないことと思いますが、ここで、やはり前提というものをはっきりさせる必要があると思うのです。

【Bさん】 その前提とは何?

【お助けマン】 はい。つまり、神の存在です。そこで、少し神の存在について考えてみたいのです。
「神は法なり」「仏は法なり」(『永遠の仏陀』第5章)と言われていますが、じゃその法とは何かと考えますと、それは、法則であると言うことができます。そして、その法則は、心の法則や縁起の理法として表れてきますが、少し飛躍することを許して頂けるなら、例えば、万有引力の法則も、神の法と言うことができるのではないかと思います。
つまり、神の念いがあって法があって、法則があって、そして、心の法則があり、縁起の理法があり、万有引力の法則もあると。ですから、「神は、木の葉一枚落ちるのもご存知です。」とよく言われるのではないかと思うのです。

【Bさん】 ああ、知ってるよ。その言葉、昔聞いたことがある。でも、それと神の存在と、どう関係があるの?

【お助けマン】 つまり、私達がイスに座っていられるのも、万有引力があるからこそ、宙に浮かないのです。

【Bさん】 それって、当たり前だよ。

【お助けマン】 実は、当たり前ではないのです。もし、神の意識が、私達から離れていけば、宙に浮いていくのです。今、まさに私達に引力という法則を働かせておられるから、私達は浮かないのです。つまり、引力が私達に働いているということは、神は、私達一人一人のその存在を知っておられるということなのです。ですから、木の葉の一枚であっても、引力が働いているということは、その存在をご存知だということだと思います。

【Bさん】 そうか、全ての存在について神はご存知であると。たとえ木の葉の一枚でも・・・。もし、神がご存知なければ、そこには法則が働かなくなるはずだと言うこと?

【お助けマン】 そうなのです。ですから、私達が、今このイスに座ってられるということは、私達に、神の意識が働いている証拠だし、神が、お忘れでないということは、今、現在、神に愛されているということの証明なのです。ですから、もし、神に愛されていなければ、宙に浮くでしょうね。 もちろん神の存在証明は、これだけで出来る訳ではありませんが、例えば、万有引力という法則を一つ取っても、その存在証明ができるということではないかと思います。

【Bさん】 いや、すごい証明だね。法則のあるところ全て神が存在したまう。そして、それは、つまり神に愛されているんだと・・・。だから、神から見放されたというのは、全くの思い違いだということなのか。
じゃ、そこまで知っている神なら、なぜ、希の祈りをお聞きになられなかったのかね。

【お助けマン】 そこなんですよ。神が存在することは分かったが、なぜ、祈りが聞かれなったのかと。それは、誰でも思うことでしょうね。

【Bさん】 そこが、一番大事なんだよ。だって、あれだけ信仰深かった希が、信仰を捨てるぐらいだから。それは、どうなの?

【お助けマン】 実はね、先ほど、引力のたとえで言いましたが、木の葉の一枚落ちるのをご存知の神が、直接電話をするような祈りを聞き逃されるはずはないのです。

【Bさん】  じゃ、なぜ祈りが届いているにもかかわらず、希の両親が連行されてしまったのかね?

【お助けマン】 神さまは、全てご存知で、その願いを聞くことが、本当にその人の魂修行にとってプラスになることか、常に見ておられるような気がするのです。

【Bさん】 じゃ何か、両親を救うことが希の魂修行の妨げになるとでも言っているのかね。

【お助けマン】 いや、そうは言っていません。神さまは、奇跡を起こして両親を助けること以上に、大事なことを、希に教えようとされているのではないかと思うのです。
それは、たとえ何があっても、この信仰を手離してはならないと・・・。

【Bさん】 「・・・。」

【お助けマン】 だって、リンも言ってたではないですか。死よりも恐いことがあると。それは、死んだ後でも後悔をし続けることだって。つまり、命は、それはそれは尊いものだけど、命よりも大切なことがあるということを言っていたのです。
憲三も撃たれて死にましたが、お父さんの中岸雄二郎が、正悟に、息子の役割を無駄にしないでくれと言っていたでしょう。それは、各自の役割を果たせ、ということだったのです。だからこそ、それを聞いて、正悟は、全世界に、『憎しみを捨て、愛を取れ』というメッセージを発信する役割を果たすことができたのです。

【Bさん】 そうか、だから神は、希の信仰心をさらに鍛えるために、試練を与えられたのか。

【お助けマン】 神の愛は、やさしさだけではありません。ときには厳しくなるときもあります。『永遠の仏陀』第5章に以下のようにあります。

わが教えは、
あるときは、愛となり、
ある時には、厳しい剣(つるぎ)ともなるであろう。

と、あります。
ですから、神が愛ならば、なぜ、助けてくれなかったのかと言う人もいるでしょう。でも、それは、神の単なる一面しか見ていないということなのです。親の子に対する厳しい面もあるということなのです。

【Bさん】 そうか、神は、祈りを聞いてなかったということではなかったのだね。

【お助けマン】 そうです。祈りは必ず聞かれています。しかしながら、その願いがストレートに成就されない場合には、何か理由があるということです。それはまた、大きな目的のために、一時的に聞かれないということもあるということです。
そこで、大事なことは、たとえ、その時に祈りが聞かれなかったとしても、決して、決して、信仰を失わないことが、実は、一番大事なことなのです。祈りは、その人の魂修行にとって、最もいい形で、最もいい時期に、あるいは、最もいい方法で必ず成就されます
幸福の科学における祈願も同じです。ですから、大事なことは、それを信じ切ることなのです。ある方のリーディングの例では、何億年か後に、主に対する祈りが成就した例もあるぐらいですから・・・。

【Bさん】 分かりました。何だか聞いていると、涙が出て来たよ。照れくさいな。
でも、感じられるよ。神はいつも見て下さっていることを。ここに引力があるように・・・。
ありがとう。

と言って、Bさんは帰られました。ファイナル・ジャッジメントは、政治的なメッセージでありながら、人間が一番大切にしなければならない、その原点というものも教えてくれていたように思います。その後の映像はなかったですが、私は、希が、また信仰の世界に戻ったと確信しています。合掌。

(終わり)