大川総裁の霊言は本物です

本日は、私の友人のBさんを、ファイナル・ジャッジメントの映画にお誘いしました。映画が終わったあと、一緒に食事をし、その食事の会話の中で、幸福の科学について色々とお話しをいたしました。

 以下は、そのときの会話の模様です。

【Bさん】 今日の映画、本当に良かったよ。これは、日本人なら観ないといけない映画だね。僕は、そう思ったよ。

【お助けマン】 喜んでもらって嬉しいですよ。私も、お誘いした甲斐がありました。

【Bさん】 ところでね、先日、ネットでの書き込みを見ていたら、お宅の教祖さまの霊言が創作ではないか、と言う書き込みがあったのだよね。もちろん、ブラックサイトらしいので信用はしていないけど・・・。

【お助けマン】 また、ウソの書き込みがあったのですか。困りましたね。ところでどのようなことが書いてあったのですか?

【Bさん】 イエスさまの霊言で、日本語や英語でしゃべられていたとか、また、別の霊人で、時間の記憶がおかしいとか・・・。

【お助けマン】 そうですか。それで創作ではないかと言っているのですね。

【Bさん】 そうなんだよ。ところで、あなたはどう思っているの?
 あっそうか、信じているから信者なんだよね。ごめんごめん。

【お助けマン】 あぁ、いいですよ。 もちろん私は信じています。信じているというよりも、それ以上ですね。これだけの奇跡はないと思っていますから。

【Bさん】 じゃ、その根拠は、どこにあるの。よかったら聞かせてもらえないかな。

【お助けマン】 はい、分かりました。まず霊言とは何かから知る必要がありますが、霊言とは、自分が完全に霊に支配されてしゃべる霊媒とは違うということです。霊言とは、言葉を発する人の意識はその人のままで、かつ、その人の知識や言葉を使ってしゃべるスタイルのことを言います。なので、霊が日本人でなくても、霊が光の天使レベルであれば念を通じて日本語で話せます。ただ、ドイツ語でしか話せない霊人などの場合は、間に通訳の霊人が入りますので、そのような場合でも会話不能になることはありません。(ただ死んだことも分からない霊は除く)

【Bさん】 なるほどね。だからイエスさまは、当時の言葉であるアラム語を使わずに、イエスさまを多く信じている欧米の言葉、つまり、英語を使ってしゃべったのか。それが、もし霊媒だったらアラム語でイエスさまはしゃべっただろうね。

【お助けマン】 そうです。だから霊言と霊媒とは違うのです。ですから、大川総裁が、英語でイエスさまの言葉をしゃべられたということは、何ら問題ではありません。
イエスさまならアラム語を話さなくてはおかしいと考えるのは、むしろ、霊言と霊媒の違いも知らない無知以外の何ものでもないと言うことの証明でしょうね。いや、もっとも真理を知っているなら、波長同通の法則があるので、9次元大霊のイエスさまの言葉をしゃべるためには、9次元の霊媒が必要となることぐらい分かっているはずです。
実際、9次元と言えば仏陀か救世主になりますので、そのような霊媒は存在しないので、仏陀か救世主のみが、イエスさまのお言葉をしゃべることができるということになります。

【Bさん】 そうか、これで、イエスさまならアラム語で話すべきであるという意見の意味はなくなったね。では、色々な細かいレベルでの指摘はどうなの?

【お助けマン】 それこそ、仏典にある「群盲評象」のたとえが、参考になると思いますよ。

【Bさん】 と、言うと?

【お助けマン】 つまりね、霊と言っても生前と同じで、完全ではないということです。生前、本人も忘れたことがあったり、思い違いもあったと思うので、霊によっては、あの世に還った時間が長ければ長いほど、もう昔のことは忘れていることがあります。特にあの世には、時間がありませんので(順序はありますが)、霊によっては数年違っていても何とも思わない霊もいます。その場合であっても、大川総裁がそのまま言わせておられる場合が多いのです。それで、例えば、霊人がその部分で間違ったとすれば、批判者は、鬼の首を取ったように全体の霊言を否定するのですが、先ほど言った群盲評象のたとえのように、部分でもって全体を判断してしまうという愚者(おろかもの)の過ちを犯すのです。ですから、おもしろいですよ。批判者は、必ず部分を指摘してきます。まさに群盲評象なのです。

【Bさん】 そう言えば、霊言の全体を否定する意見などは聞いたことがないね。

【お助けマン】 そうでしょう。大川隆法総裁のご本に『ザ・ネクスト・フロンティア』がありますが、その第3章「防衛費と国家経済の関係とは」の第1節の「月十一冊の発刊は、霊言が本物であることの証明」に次のように書かれています。

さて、本会場には、信者でない方もいらっしゃるとのことですが、なかには、霊言について、半信半疑の方もおられるでしょう。 しかし、今年(2010年)、私は、「霊言集」というかたちで、本をすでに二十数冊出しています(説法当時)。 六月だけで十一冊も出しています。内容は、お読みになれば分かるように、そこそこの重みがあります。 「そういう本を、月に十一冊出せる」ということは、「これは、考えてかけるようなものではない」ということです。 要するに、「霊言と言うものが本当にある」ということの証明なのです。 通常、霊言の収録は総合本部で行うことが多いのですが、”サービス”を兼ねて、大阪や名古屋でも行っています。 今回は、ここ水戸にて「アダム・スミスとの対話」をしてみようと思っています。  と言われて、多くの人達の目の前で霊言現象を実際にされたのです。これは、否定のしようがありません。

【Bさん】 そうでしたか。群盲評象のたとえが段々と分かってきました。1ヶ月で11冊も霊言集を出されている事実をなぜ見ないのかね。いや、彼らには見えないのか・・・。

【お助けマン】 実は、その11冊の各々の1冊は、一回だけの霊言ではなく複数の霊人の霊言が収録されています。しかも、一回の霊言は、通常2時間ぐらいあります。そこで、逆に私からお聞きしたいのですが、1冊に2人の霊人の霊言を収録するとして、1ヶ月11冊ですから22人の霊人について、それぞれ2時間分ぐらい内容のあること話す、これを創作で話すことができるでしょうか。

【Bさん】 いや、それは難しいね。創作するなら、まず、その霊人の情報を全て調査しておかないとボロが出るだろうね。まさか落語の「八つぁん・熊さん」の内容でいい訳ではないので、その霊人の業績から思想までを、メモを見ずに2時間はしゃべれないね。

【お助けマン】 そうでしょう。創作なら、2時間も持たないですよ。いや、1時間でも30分でも難しい。もう言うことが無くなるか、でなければ、同じことばかりを言うことになるでしょうね。自分でやってみればすぐ分かります。

【Bさん】  分かりました。いや、これは創作は難しいのではなく、不可能だわ。

【お助けマン】 もし、創作だと言う人がいるなら、1ヶ月に22人の霊人について、一人2時間ずつ、メモを見ず公開の場で、しかも内容あることを話して演技ができれば、創作であることを私も認めます。

【Bさん】 それは、絶対に無理だ。

【お助けマン】 まぁ、以上のように論理的、理性的に、しかもマクロに考えていくことこそが大事と、いうことだと思いますよ。

【Bさん】 よく分かりました。インターネットで意見を言う場合には、やはり、論理的で理性的な根拠を示して言うことが、非常に大事であることがよく分かりました。これから私も気をつけて書き込みを見るようにします。ありがとう。

 と言って、Bさんと別れました。今日は、改めて霊言の「すごさ」を、Bさんと確認しましたが、霊人にとどまらず、宇宙人リーディングの言葉まで出てきたならば、これはもう私たちが想定する霊言の範囲を超えており、奇跡と言ってもいいのではないかと思った次第です。

(終わり)