友人から宗教とお金について聞かれました

本日は、私の友人の元ジャーナリストのAさんとお会いしました。 Aさんは、私が幸福の科学の会員と知って質問をしに来られたのです。
以下は、そのときの会話の模様です。

【Aさん】 いゃーご無沙汰だね。幸福の科学で頑張っているんだって。

【お助けマン】 お久しぶりですね。Aさんは、もう現役のジャーナリストではないけれども、その当時は随分とご活躍でしたね。

【Aさん】 ああ、もう随分と昔に現役を離れたけど、今でも色々と世の中を見て勉強しているよ。

【お助けマン】 それは何よりですね。ところで最近の勉強は何が多いのですか?

【Aさん】 やっぱり宗教だね。日本は、戦後、産業面や学術面で、大きな発展を遂げたけど、精神面ではどうかなと思っていて、今、少し宗教を勉強しているところなんだ。ところで幸福の科学は、戦後、一番発展した宗教だと思うのだけど、質問していいかい。

【お助けマン】 どうぞどうぞ。でも、全部は答えられないかも知れないので、そのときはごめんなさいね。

【Aさん】 じゃ、さっそくだけど宗教が批判されるところは、大体、お金と色事と相場が決まっているんだけど、幸福の科学もお金について言われることがあるのではないの。

【お助けマン】 別に幸福の科学だけに限らないのだけど、宗教を言うなら一番本質的な教えのところを議論すればいいんだけど、マスコミやネットの議論の中心はいつもお金と色事になっているところを見ると、実は、自分が一番それに関心があると言うことでしょうかね。

【Aさん】 実は、教えは分からないんだよ。皆、勉強していないからね。勉強しようと思うと、膨大なお経や聖書を読まないといけないから難しいのだよ。だから、自分がよく分かるお金と色事なんだ。

【お助けマン】 分かりました。ところで、彼らのお金について議論を聞いていると、どうも宗教がお金を受け取るのはおかしいという考えがあるみたいですね。例えば、キリスト教では、街で聖書などを無料で配ったり、あるいは、ホームレスに無料で食事を与えたりしていますので、宗教は無料であるべきだという考えがあるのではないでしょうか。

【Aさん】 そうだよね、宗教は、人々を助けるのを目的としているのだから、お金を取るのはおかしいと。私もそう思っていたよ。

【お助けマン】 しかし、その考えは、すごく一面的ではないでしょうか。なぜなら、聖書を無料で配ると言っても、その聖書だって紙代や印刷代、そして、運搬費もかかっているはずなのです。だから、誰がその費用を出しているか、までを考えていないのではないでしょうか。もしかしたら、お金が天から降ってくるとでも思っているのかしら・・・。

【Aさん】 そうは思っていないと思うけど、誰かがうまくやってくれてるんだろうと。何しろ宗教は分からないので、錬金術で金でも出しているのでではないかと思っているところはあるね。その辺はどうなの?

【お助けマン】 一般的に、宗教では、大黒天とか信者の支援者と言われる存在があって、教えを広めるための資金援助を行う人達が昔から居るのです。その方々がいるからこそ、一般の人達に対しては、聖書や食事などが無料になるのです。

【Aさん】 あっそうか。そういう人達は、人々を救うために喜んでお金を出しているから、一般の人に対しては無料になるのか。だから、その熱心な信者さんたちの分は無料ではないし、それだけでなく他人の分まで出しているということなんだね。

【お助けマン】 そうです。ですから、熱心な信者も無料にするべきと誤解すると、先に言われた宗教はお金を取るのはおかしいという議論になるのです。これは、福祉だって同じでしょうね。例えば、子供手当てを出しますとか、病院にかかる費用を無料にしますとかはいいのだけど、では、誰がそのお金を出すかですよね。まさか増税して国民から取る訳にはいかないので(でも消費税を上げると早くも言っているが)、政治家は、その財源の裏づけのシナリオを持っていないと、公約もウソをつくことになりますよね。

【Aさん】 でもね、大黒天と言っても信者がお金を出さないといけないなら、それは、負担にはならないの?幸福の科学では聞かないけど、戦後の悪い宗教では、財産を巻き上げられたとか、評判の悪い宗教も多いようだけど・・・。

【お助けマン】 実は、世の中の多くの人達は、まだまだ宗教の違いについて、よく分からないところがあるんだけど、これは、戦後教育で宗教を教えて来なかった弊害でもあるのだけど、そのような事件によって、宗教全体のイメージを非常に悪くしたところがあるのです。しかし、よく考えてみますと、仏教を財政面で支援したジェータ太子やスダッタ長者、そして、ガランダ長者の名前は、2600年経った今でも人類史上に残っていることを考えると、やはり、非常に尊いことを行ったということの証ですね。これは疑問の余地がないところだと思います。

【Aさん】 そう言えばそうだね。いつから、宗教に献金したり布施したらおかしいとか言われるようになったのかね。

【お助けマン】 昔は皆から尊敬されて、現在では皆から気が狂ったと言われる。これは、やはり、宗教に対する考え方自体が変わってしまったと言わざるを得ないのではないでしょうか。宗教は悪とすれば、現在のような考え方になってしまうのです。

【Aさん】 でも、お金ばかりを取る宗教が多いんじゃないの。

【お助けマン】 そこなんですよ。冒頭の聖書を配る事例で言いましたが、教えを広めて人々を救うためには、資金が必要となることを言いました。まさか、お金を盗んで、そのお金で聖書を買って配る訳にはいきませんし、建物の建材を盗んで精舎を建てる訳にもいきませんので、長者なりスポンサーなどが必要なことはご理解頂けたと思います。

【Aさん】 それは分かった。でも、集めたお金がどうなっているかだよね。

【お助けマン】 例えば、幸福の科学では、超大富豪の大黒天などは、まだ現れていないので、信者が自分のできる範囲でお布施をしていますが、ここ10年ぐらいで、日本全国の300箇所近い所に、支部精舎が建てられました。それぞれは、それほど大きな建物ではありませんが、宗教的な建物で、その地域の信者の方々の結晶です。さらに、現在、10数箇所に、正心館と言われる参拝と宗教修行ができる施設が建ちました。1996年8月に宇都宮に総本山正心館が建てられてから、わずか10数年で、これだけの施設が建立されました。さらに海外でも施設が増え続けています。
もちろん布施というのは、純粋な信仰心からなされるものなので、対価を求めるものではありませんが、もし、信者さんたちのお布施に対して、その成果がなければ、それは怪しいと言う人も出て来るかも知れません。しかしながら、現に、これだけの確固たる成果が現れてきたら、それこそ、どこかの国の税金の使われ方で、よく成果物で議論されていますが、それらに対する疑問の余地はないということです。

【Aさん】 そうか、布施や献金を議論するならば、成果を見て議論しないといけないということだね。なるほどね。僕も、取るのが悪いと単純に思っていたけど、その出されたお金がどのように活かされたか、言わば会計検査院みたいな観点から、その是非を問わないといけないのだね。

【お助けマン】 そうですよ、幸福の科学では、それらの施設が出来たことによって、考えられないくらいの多くの人々が、自分の心をじっくりと見つめたり、あるいは、祈願をして助けられているのです。また、奇跡も続出しているのです。自殺寸前の人も立ち直っていますし、仏弟子のアングリマーラの話しではありませんが、元犯罪を犯した人であっても立派に矯正し、社会に貢献されています。

【Aさん】 なるほどねー。だから宗教は公共のものだと言われるのだね。国が本来やるべきことまで肩代わりしてくれているんだね。

【お助けマン】 そうです。だから宗教活動には課税されないのです。それは公器だからということなのです。

【Aさん】 よく分かりました。要は、布施とか献金もその是非は、成果を見て判断しなければならないことがよく分かったね。昨年、東日本大震災があって、多額の寄付があったけど、それらの成果がどうであるか、それが一番大事だね。やはり宗教に対する布施は怪しいと、短絡的に考える考え方こそが危ないということがよく分かったよ。今日は、もやもやが晴れてすっきりしたよ。ありがとう。

 以上が会話でした。自分自身がジャーナリズムの世界に居て、白紙で見なければならない立場でありながら、世の中をゴシップという色眼鏡で宗教を見ていたという気づきがあったようです。ましてや一般の人々では、もっと色眼鏡で見ているのではないかと一瞬不安になった次第であります。

(終わり)