教えが色々な宗教の寄せ集めだと言われました

 今日は、幸福の科学会員のCさんが来られました。
そのCさんが、宗教好きのご友人に、幸福の科学の紹介をしたときに質問されたのでやって来られました。
以下は、そのときの会話の模様です。

【Cさん】 はじめまして、私は幸福の科学の会員のCと申します。さっそくですが、私の友人で、宗教好きの人が居るのですが、その人から質問を受けたのです。

【お助けマン】 どのような質問でしょうか。もし、お助けできることがあれば嬉しいです。

【Cさん】 はい、私の友人は、結構、数々の宗教の教えを勉強した人で、他の宗教の教えと幸福の科学の教えを比べたところ、幸福の科学の教えは、色々な宗教の教えの寄せ集めだと言うのです。

【お助けマン】 それは、どういうことで、そのように言ったのでしょうか。できれば、もう少し具体的に言ってもらえませんか?

【Cさん】 はい、その友人が言うのには、幸福の科学の最も基本的な教えに四正道があるが、その中の愛、知、反省、発展は、すでに他の宗教に説かれた教えであり、何ら目新しいものではないということなのです。例えば、愛の教えはキリスト教にて、すでに説かれた教えだし、知は、仏教で非常に大事にされています。また、宗教ではありませんが、哲学だって知を非常に重んじています。また、反省は、仏教の中心的な教えだし、キリスト教にも懺悔の教えがあります。そして、発展の教えは日本神道系、あるいは、米国で起こったニューソートの教えでも説かれた教えだと言うのです。

【お助けマン】 分かりました。幸福の科学で説かれている教えのキーワード自体は、すでに他の宗教でも説かれているし、新しいキーワードでないものもあるでしょうね。

【Cさん】 そうなんです。だから同じではないかと。ただ、霊言や宇宙リーディングは、他の宗教にはなく、ユニークだとおっしゃって下さったのですが・・・。

【お助けマン】 教えの違いをキーワードだけで判断するのは難しいし、それでは機械的な比較となってしまって、逆に判断を誤るでしょうね。
例えば、野菜炒めの料理を作るとします。そして、材料にキャベツやニンジン、そしてお肉などを使うとします。そして、次に、その同じ材料を使ってフランス料理を作るとします。もちろん値段は、野菜炒めが数百円で、フランス料理は数万円と違いますが、味が全く違うのです。同じ材料を使ったとしても全然違う料理ができるはずです。
もちろんフランス料理には高度なスパイスなどを使うので、違うのは当たり前だとおっしゃるかも知れませんが、ここで重要なことは、材料は同じだということなのです。つまり、同じ材料を使ったとしても、料理の考え方や方法が変われば、それによって生み出される付加価値も変わってくるということのいい例だと思いますよ。
 また、同様に、同じ鉄から作られているからと言って、東京タワーもスカイツリーも同じということにはならないでしょう。設計も違うし、東京タワーは同じ鉄でも鉄骨で作られていますし、スカイツリーは、高度な技術を駆使した鉄のパイプによって作られているのです。

【Cさん】 今のたとえ話しでは理解できるのですが、では、なぜ、宗教を勉強している友人は、それが分からないのでしょうか。

【お助けマン】 それは、結論から言ってしまうと、宗教の教えは、心の教えだということに尽きると思います。単に単語の寄せ集めではないので、心の教えを、できるだけ専門用語を使わず、ありふれた単語(材料)を使って表現できるか、これが付加価値の高い宗教だし、世界の多くの人々に伝わる教えなのです。

【Cさん】 野菜炒めを作るありふれた材料で、いかに、おいしい料理(教え)を作るか、これが付加価値の高い宗教なのですね。そう言えば、伝統仏教は、難しい漢語を使って、一般の多くの人には分かりずらくしているという、むしろ宗教の本来の使命から言うと、逆行しているのではないでしょうか。

【お助けマン】 そうです。仏典に書かれた難解な真理を、平易な言葉で表現することのほうが、むしろ難しいのです。だから皆、漢語を使っているのです。
 これが完全にできるのは、唯一ご本人しか居ない訳で、それが、生まれ変わりであると判断する判断材料にもなっているのです。あの難解な仏教の教えを、現代の概念で理解できる書を大川隆法総裁は、多く著されていますが、特に、『大悟の法』の第5章「常に仏陀と共に歩め」は、現代語で仏教を深く理解することができるので、お勧めしますよ。

【Cさん】 [むしろ、平易な言葉で説くほうが難しいと・・・。そして、心の教えであると・・・。そうすると、大学の仏教学者などでも、幸福の科学の教えと、他宗教の違いが分からない人というのは、仏教用語を勉強しているが、心が分からないと・・・。そういうことでしたか。

【お助けマン】 そうです。宗教の違いというのは、単純な言葉の比較ではなく、それらを使って表現された心の教えに違いあり、ということなのです。学者ですら分からない訳ですから、ましてや、マスコミには全く分からないので、だから自分たちがよく分かる、お金や色事に記事や議論が集中するのです。宗教というのは、心の教えが中心ですから、もし、その教えに人間を堕落させたり、国や民を危険におとしめる教えがあれば、それをこそ指摘しないといけないのですが、彼らの宗教の批判は、ほとんど、お金と色事であることを見ると、やはり、心の教えを理解できないのでしょうね。もっともマスコミや仏教学者は、オウム教と幸福の科学の違いも分からなかったのです。いや、それだけでなく、ある仏教学者は、オウム教のほうがいい教えだと言っていたのです。それも、材料だけでだまされてしまったいい例でしょうね。

【Cさん】 はい、よく分かりました。何かすっきりしました。やはり、何が本質であるかということですよね。材料のところばかりを議論していたならば、それを使った目的性のところが見えなくなるのですね。危うく私も、その材料議論に引き込まれそうになりました。

【お助けマン】ですから、その教えの組み立てや、立体的なつながりにこそ、心の教えの真髄があるということです。幸福の科学には、『太陽の法』の第3章に、「愛の発展段階説」という教えがあります。この教えは、愛に発展段階ありとし、反省の悟りの階梯とを、人類で初めて架橋した教えです。この教えは、キリスト教と仏教を融合させるだけの大きな力を持っています。この教えを、単に材料の寄せ集めというなら、野菜炒めもフランス料理も同じと言う、味の分からない人なのでしょうね。

【Cさん】味が分からないぐらいだと、個人の問題で済まされますが、教えというものは、多くの人に影響を与えるものですから、その判断は非常に大切ですよね。よく分かりました。今日は、本当にありがとうございました。

【お助けマン】 いえ、こちらこそお会いできて嬉しかったです。また、何かお助けできることがあれば来て下さい。

【Cさん】 はい、分かりました。それでは今日はこれで失礼いたします。

 以上でしたが、Cさんがお帰りになるころにはお顔が紅潮されて、何か、分かったという思いが強く伝わって参りました。ご活躍をお祈りいたします。

(終わり)