ご本尊がなぜ写真なのかを問われました

 先日来られたAさんのご紹介で、幸福の科学の会員のBさんが、是非とも相談したいことがあるということで来られました。
以下は、そのときの会話の模様です。

【Bさん】 こんにちは。今日は、是非ともご相談したいことがあってやって参りました。

【お助けマン】 はい、ようこそおいで下さいました。その相談ごとの内容とは何でしょうか?

【Bさん】 はい、私は、もう数年ほど前になりますが、幸福の科学のご本尊を拝受いたしました。そのときのご本尊は、まだ大川隆法先生のお写真だったのですが、私の家に来た友人が、写真のご本尊を見て、人間の写真がご本尊とはおかしいというのです。

【お助けマン】 それで、あなたはどう言ったのですか?

【Bさん】 はい、私は大川隆法先生を信仰しているので何ら問題はないし、信仰の対象が大川隆法先生なので、それが本来のスタイルだと言ったのです。そうすると、私の友人は、仏さまは仏像や掛け軸のような絵であるべきではないかというのです。そのときに、私は、それは違うと言ったのですが、何か説明が不十分だったと思いますので、アドバイスをいただければありがたいと思って来ました。

【お助けマン】 はい、分かりました。確かに、お寺などによく行く人たちは、ご本尊が現在に生きている人間の写真そのものであることに違和感を感じたのでしょうね。

【Bさん】 そうなんです。しかも、大川隆法先生が、お釈迦様の生まれ変わりなら、なおさら、お寺のようなご本尊になってないとおかしいと言うのです。

【お助けマン】 なるほどね。それは、開祖が亡くなってしまっている団体と、現在、開祖が法を説かれて活躍されている団体との差でしょうね。

【Bさん】 はい、そうだと思います。知らない人は、現在進行形の宗教を経験していないので分からないのではないかと思うのです。

【お助けマン】 やはり、それはしっかりと説明してあげないと理解できないのだと思いますよ。仏教のご本尊が、どなたかと言うと、それは、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)ですね。ですから仏像やご本尊の掛け軸がありますが、それらは何とかして実物のお釈迦様に合わせようと、仏師たちが努力したのだと思います。

【Bさん】 でも当初の仏教は、お釈迦様を直接描いたり、彫ったりしていけなかったのではないですか。

【お助けマン】 そうなんです。弟子たちは、お釈迦様を直接描くと、あまりにも失礼なので、恐縮して描かなかったのです。なので、車輪を描いたり、仏足と言って、お釈迦様の足の裏だけを描いたり、また布だけを描いたりしました。今世の仏弟子たちは恐縮しないのでしょうか。平気で写真をパチパチ撮っているので心配なところはあります。

【Bさん】 [それで、仏教の発足当時のお釈迦様の絵や像がないと・・・。

【お助けマン】 そうです。だから仏像や掛け軸が作られたのは、500年ぐらいあとの世なので、皆、お釈迦様を想像して描いているのです。

【Bさん】 だから仏像のお顔にしても、皆まちまちだったのですね。

【お助けマン】 そうです。皆、想像していたのです。しかし、現代では、カメラやビデオという機械があります。ですから、写実性という意味では、もし、お釈迦様の時代にカメラがあれば、わざわざ実物に合わせて描く必要はなかった訳です。当然、写真を使ったと思いますよ。

【Bさん】 分かりました。だから教祖にできるだけ似せるという意味で、写真を撮ってご本尊にしたのですね。分かりました。また、エルカンターレ像にしても、写実的に大川隆法総裁のお顔になっているのは、そういう意味だったのですね。

【お助けマン】 そうです。分かってしまったら簡単なことなのですが、お寺に行って、仏像や仏の姿はこうでなくてはならない、という先入観がある人に対して説明するのは、なかなか難しいことでしょう。

【Bさん】 分かりました。やはり物事は白紙にして見ることが大事だということが分かりました。どうもありがとうございました。

以上の会話のように、Bさんは、納得して帰られました。その後、友人が来られたときに、しっかりと説明されたことは想像に難くないことでしょう。

(終わり)