神仏を信じない人に対して、どう説得するのか

 

先回に続き、元ジャーナリストのAさんが来られました。 Aさんは、神仏を信じない唯物論者をどう説得するのか、これを聞きに来られたのです。
以下は、Aさんとの会話の内容です。

【Aさん】 先回はありがとう。宗教と言えば、 その 多様性のなさで嫌われているんじゃないかと指摘させてもらったが、 今日は、もっと根本的な問題に迫っていきたいと思っているんだ。

【お助けマン】 今日は、また一段と気合が入っていますね。 ところでその根本的な問題とは何ですか?

【Aさん】 ずばり、神仏は存在するのかということなんだ。

【お助けマン】 いやー、それは本当に根本的な問題ですね。 そもそも、神仏の存在を認めなかったならば、信仰が成り立たず、宗教それ自体の存在の意味もなくなってしまいますものね。

【Aさん】 そうなんだ。僕も、実を言えば、 神はいるのだろうなというボーとしたレベルなんで、なかなか人を説得するところまではいかないんだよ。
ところで、あなたならどう説得するのか、それを聞きに来たというわけだ。

【お助けマン】 分りました。まず、前提なのですが、神仏を信じないという人は、目に見えて触れられる「もの」にしか価値を感じない人であろうと思います。 それを別の言葉で言えば、「唯物論的」な思考をする人たちです。 そのような人に対して、私は、直接的には神仏の存在やあの世の存在を説明することはできないと思います。

【Aさん】 じゃ、どうすればいいの?

【お助けマン】 はい、私がいつも行っている方法ですが、 間接的ではあるけれども、具体的な例などを用いて説得するようにしています。
例えば、なぜ、太陽があるのか、なぜ、地球があるのか、なぜ、月があるのか、しかもその月は、なぜ、 地球に対していつも同じ面だけを見せているのか、 また、その地球に空気や水があって、 なぜ、植物や動物が存在するのかを問いかけます。そして、 その次に、本当にそれらが偶然に存在したのだと言えるのでしょうかと問いかけるのです。
さらに、それらの種類には数え切れないくらいの種類があって、しかも、彼らは調和している、 これを、偶然だと思われますか、と問いかけるようにしています。

【Aさん】 でも、そんなの当たり前だというだろうね。

【お助けマン】 しかし、果物をとって考えると、なぜ、バナナはおいしいのか、 いや、おいしいだけでなく、なぜ、人間に食べやすいように皮がむけるようになっているのか。 また、魚は、なぜ、おいしいのか。そして、その種類によって、なぜ、あれほど味が違うのか。 食肉用の家畜とて同じです。 ですから、どうしても偶然にそのようになったとはとても思えないのです。 「誰か」がそのようにしているとしか考えようがないと言えるのではないでしょうかと・・・。

【Aさん】 しかし、例えば、果物は子孫を残すため、 種を人間に撒き散らしてもらえるように、おいしくなるように進化してきたんだと言われたらどうするの?
ダーウインの進化論によれば、それらの生き物は、まわりの環境に合わせるように進化して今の形になったと説明しているよ。 だから、偶然によって生まれた生命が、進化を繰り返して今の動植物になったのだと・・・。

【お助けマン】 その進化論ですが、実は、大きな欠陥があるのです。 進化とは、まわりの環境に合わせて変化することですが、例えば、 洞窟の中に数千万年も住んでいるコオロギの目が退化してなくなったところまでは分るのですが、 この考え方を全ての動植物に単純に当てはめたところに無理があると思います。
例えば、野に咲く花が、どのようにバラやヒマワリに進化したのでしょうか。 しかも、その進化の途中の過程の花が、なぜ、化石に見つからないのでしょうか。 その進化のプロセスを教えていただきたいのです。

【Aさん】 でも、人間の胎児がお母さんのお腹で育って赤ちゃんとして産まれてくるまでの経緯を見ると、 はじめは魚のような格好の姿が現われ、そのあとの動物のような姿になり、何とそのときに尻尾まであると言われているんだ。 これは、人間の進化の過程がお母さんのお腹の中で再現されているんだと言う人もいるよ。

【お助けマン】 そこなんですよ。気をつけないといけないことは!
私は、それは神の「試し」だと思っています。 つまり、そのような胎児の状態が観測されたということで、本当に進化論が正しいと思うのか、そこが試されていると思うのです。

【Aさん】 それと近年、新しい素粒子である ヒッグス粒子が発見されて、 これから科学万能で何でも解明されていくのではないかと思っている人が多いと思うんだが・・・。

【お助けマン】 ではお聞きしますが、現在、この世に 118種類の元素があることまで分っていますが、なぜ、118種類の各元素が存在するのかについては誰も説明できないでいるのです。
例えば、なぜ水素があるのか、なぜ酸素があるのか、そしてさらに、水素と酸素が化合したならば、 なぜ、元とは全く性質の異なる水ができるのか、誰も説明できないのです。 また、「DNAこそ魂の正体だ」 とバカなことを言っている人もいるようですが、 なぜ、DNAがあるのか、これらにも答え切れていないのです。

【Aさん】 いや、それは分らないよ。 なぜあるのか、なぜそうなるのか・・・
それこそ、神のみぞ知るということだよ。

【お助けマン】 そこなのです。 それに答えられる人は、その「法則」を作った人だけです。

【Aさん】 なるほどね。「法則」があるということだね。

【お助けマン】 そうです、法則です。 その法則とはルールだし、そのルールには必ず、このようになれという「意志」が働いているということです。 ですからその意志が停止すれば、その法則も停止するということなのです。
例えば、 万有引力も一つの法則ですが、神の意志が働くことがなくなれば、その法則は無効となるでしょう。「神様は、地球の反対側の木の葉1枚落ちるのもご存知ですよ」という話しがありますが、それは、その木の葉1枚にも引力という神の意志が働いているということで、それを「ご存知ですよ」と言うのです。もし、「ご存知」でなければ、その木の葉は下に落ちずに宙に浮いてしまうでしょうね。
つまり、その「意志」である「念い」こそが「神」であり「仏」であるということなのです。

【Aさん】 なるほど、「法則」とは神の意志である「念い」の表れなのか・・・。

【お助けマン】  『永遠の仏陀』の第5章「永遠の仏陀」にこのように書かれています。

ああ、思えば、はるかなる昔のことであった。
一千億年の、その昔に、
この大宇宙を創らんとする時にも、
我は、すでに存在していた。
我は、念いのなかにて、
この宇宙の、あるべき姿を決めた。
そして、宇宙に張り巡らされるべき、
法というものを組んだ。

と、説かれています。

【Aさん】 そうか、根本仏である根源なる神が、 この宇宙に法(法則)を張り巡らせたということなんだ。

【お助けマン】 そうです。 だから、そのルールによって地球は太陽の周りをまわり、 そして、さらに心の法則があり、そして、多次元構造の世界があり、天国も地獄もあるということなのです。

【Aさん】 分ったよ。色々聞いてきたが、神仏が存在するということを証明することよりも、 神仏がいないということを証明することのほうが、はるかに難しいいや、不可能であることが段々と分ってきたよ。 それにしても、なぜ、多くの人たちが神仏の存在を否定するのか分らなくなってきたね。 素直に考えれば子供にだって分ることなのに、本当に不思議だね。
今日は、本当いい勉強になったよ。僕の友人に神仏を信じない唯物論者がいるので、 さっそく、今日聞いたことを話してみるよ。 じゃ、急ぐのでこれで失礼するよ。

と、言ってAさんは帰られました。
よく考えてみると、直接的ではないにしても、神仏が存在するという証明がこれほど多くある中で、 神仏が存在しないという証明が全くないのに、神仏を信じないという人がいるならば、 これは、ある意味で洗脳ということが起きていると言えるのではないでしょうか。 今、大切なことは、素直な心でもう一度、この世界を見ることによって、 本来の神の子、仏の子としての認識を取り戻すことが大事であると思います。

では、次回も問答が続きます。  主エル・カンターレに感謝。

(終わり)