禅定で自分を見つめる(その10)「心の中の宇宙が分らない」

先回に引き続き、Eさんとの問答を続けます。
今回がこの「禅定で自分を見つめる」シリーズの最後の問答となります。 今回は、その10回目で「心の中の宇宙」についての問答です。
以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回は、 守護霊の声が聞こえない私にでも、元気になるお話しを頂きありがとうございました。 おかげ様で、自問自答ですが瞑想の中で守護霊と対話し、アドバイスをたくさん頂けました。
それで、今回は、 『不滅の法』の序章である「心の中の宇宙」の中で、分らないところがありましたのでやってきました。

【お助けマン】 それは、どの部分ですか?

【Eさん】 はい、35ページからの「心の内なる宇宙に穿(うが)ち入る」のところです。 その部分を読ませていただきます。

心の探究のもう一つの方法は、
自と他の関係、自分対世界の関係ではなく、
自分自身の内に穿(うが)ち入り、
「内なる宇宙」というものを見つめることです。
自分の内ににある、無限の世界に通じる部分を発見することによって、
深い深い悟りというものが現れてきます。

と、ありますが、その「内なる宇宙」とは一体何を意味をするのか、 それを聞きたくてやって参りました。

【お助けマン】 いや、それが分れば悟りが現れると本文にもありますように、 悟ったということですので、私がどれだけ答えられるか・・・。

【Eさん】 それは、お助けマンさんのお考えでいいのでお願いします。

【お助けマン】 私も決して悟っている訳ではありませんので、あくまでも個人の考えとして述べさせていただきます。

【Eさん】 はい、それで結構です。

【お助けマン】 この「禅定で自分を見つめる」シリーズでも述べましたが、 反省を習慣化することによって、自分の心の中に不思議な空間ができるとも言いました。

【Eさん】 はい、確か、このシリーズの (その3)「心の中の異次元空間」の中でおっしゃっていましたね。 反省を続けていくうちに、心の中に異次元空間のような不思議な空間が出来てくると・・・。

【お助けマン】 はい、そうです。毎日、今日の出来事をずっと振り返って見るということは、 これは現在の時間を戻して、そのシーンを見ることですから、 少なくとも四次元空間に自分の意識があることを意味していると思います。
さらに、このシリーズでの(その8)「精舎は天国の出張所」でも言いましたように、 精舎で反省をするなら、それは天国の空間で行うことと同じであるし、また、 自宅であっても仏法真理に照らして自分の言葉や行動をチェックするならば、それは、もう五次元、六次元の空間となるでしょう。 またさらに、その反省に周りの人たちに愛を与えていたのかのチェックも入るなら、七次元の空間から自分を見ることになると思います。

【Eさん】 と、言うことは、自分の心の中に、 四次元、五次元、六次元、七次元という異次元の空間が出来ていると言うことと同じ意味ですね。
そういえば、同じ本の36ページの「無我」の境地について述べられているところで、 同様にはっと気づくところがありましたので、そこを読んでみます。

しかし、日常生活を送りながら、
この無我の世界に入ることは極めて困難です。
そのため、禅定、あるいは瞑想というものをするわけです。
この世的なる波動を止め、
雑然とした心の動きを止め、
穏やかな湖面の心となって、
瞑想の状態、限りなく無我の状態に入っていきます。
自我が固まっている状態というのは、
ちょうど、湖面に大きな波が立って、
その波が個性を持っているように見える状態なのです。
これに対して、無我の状態というのは、
その大きな波が静まって、
湖面そのものが一体となり、一つとなるような、
そうした澄みきった状態です。
湖面のさざなみの一つひとつが個人の自我なのです。
この自我の部分を鎮(しず)め、無我の世界に穿ち入り、
そして、凪(な)いだ心の中に、限りない深さを見ていくとき、
その湖の中に、仏の創った宇宙が見えてきます。
四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元の各世界、
そして、それ以上の世界へと通じる部分が見えてきます。

と、あり、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元の各世界と通じていると説かれているのです。

【お助けマン】 仏陀の言葉に偽りはありません。
反省や瞑想していくうちに、自分の心を仏法真理に照らして、自我を鎮めて無我になる行為そのものが、 実は、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元の世界に通じていくということなのです。 なぜなら、逆に、人を憎んだり嫉妬したならば地獄に通じるということと同じ意味だからです。

【Eさん】 だから、反省を続けるということはすごいことなのですね。 単なる道徳的なことだけでなく、極めて霊的なのですね。

【お助けマン】 そうです。なぜなら人間の本質が霊だからです。
心は不滅です。肉体がなくなっても心は無くなりません。 ですから、その心は浮き草のように各人の心がバラバラで単に浮いているだけではなく、池の底にしっかりと根付いて大地とつながっているということなのです。

【Eさん】 はい、よく分かりました。

【お助けマン】 しかも、心に異次元空間ができるということは、それだけに止まらないのです。

【Eさん】 と、言いますと?

【お助けマン】 自分のこれまでの生き方、あるいは人生観そのものも変わってきます。 すなわち、今までこの三次元の世界だけしか見えず、感じず、それが全てだと思っていたところ、 そのほかに四次元、五次元、六次元、七次元・・・の空間も自分の内にあるということは、 例えば、自分は、今現実に四畳半一間のアパートにいるとしても、 同時に天国の高次元の広い世界にも存在していることを意味します。

【Eさん】 現実が四畳半一間のアパートでも、あの 「サウンド・オブ・ミュージック」の映画に出てくるような、 あのアルプスの広い広いお花畑の中に居るのだと・・・。

【お助けマン】 はい、そうです。 この現実に住していたとしても、心は天国の世界に住するのと同じだと・・・。

【Eさん】 いや、これはすごい喜びじゃないですか?

【お助けマン】 そうなのです。「ボロは着てても心は錦~」という歌がありましたが、 これは決して負け惜しみではなく、心に別の空間があって同時存在できるわけですから決してウソではないのです。

【Eさん】 それができるようになると、どこに居たとしても天国となるということですか?

【お助けマン】 はい、そのとおりです。心が世界を決めるのです。 心が仏法真理に忠実で、愛に満ちていたならば、たとえどのような環境に居ようとも素晴らしい天国の世界に居ることになるということです。 また、現実の環境も心で思ったとおりの世界へと段々と変化していくことにもなるということです。

【Eさん】 分かりました。ですから、心の中にいかに高次元の世界の空間を持つことが大事なのか、 よく分かりました。そのためには、心の中にその異次元空間を開発し、育てると言うことが大事ということですね。

【お助けマン】 そうです。ですから日々の反省、瞑想、祈りが大事だと言われているのです。 そして、この空間が心の中に出来れば、霊的人生観を常時持つことができるのです。これが、 禅定波羅蜜多と言われる境地かも知れません。
仏陀の言葉には何一つ偽りがありませんので、もし、仏陀の言葉で分らないところがあったなら、 徹底的に探究することが大事だと私は思っています。 なぜなら、分らないことを自分の責任にしないで仏陀の責任にして転落してしまった愚かな修行者が後を絶たないからです。 つまり、自分が仏陀以上に見識があると錯覚してしまった悲劇でしょうね。

【Eさん】 はい、今日はいいお話しをありがとうございました。 反省とは、悪いことをしましたごめんなさいと懺悔することだけと思っていましたが、 これほど霊的で悟りと直結しているものだとは思いませんでした。

「反省なくして悟りなし」

という大川総裁のお言葉がしっかりと腑に落ちたと思います。 今日も、色々と教えていただきありがとうございました。それではこれで失礼いたします。

と、言ってEさんは帰られました。
もし、この高次元の空間が自分の心の中に出来て、そして、その空間から自分の生活や世の中を常に見られるようになれば、 それはもう「解脱」したということで、たとえ、自分がどのような環境にあっても幸福を感じることが出来ると思った次第です。
本シリーズは、ひとまず終わりましたが、まだまだ問答は続きます。
主エル・カンターレに感謝。

(終わり)