何も起きなかったマヤ暦最後の日、2012年12月21日

入会間もないEさんが、昨日がマヤ暦最後の日である2012年12月21日でしたが、何も起きなかったことに喜んでやって来られました。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 ここのところ、 霊言のメッセージもあって、もうこの世の終わりが来るのではないかと心配しておりました。それに加えて、マヤの予言に2012年12月21日の地球終末論もあって、 昨日の21日は非常に緊張しました。

【お助けマン】 そう言えば、 「2012年」と言う映画がありましたね。 私も見ましたが、地球が大地震と洪水に遭遇して、あのノアの箱舟のようなストーリだったですね。
でも、何もなくて良かったではないですか・・・。

【Eさん】 そうなのです。本当に良かったと思っています。
でもね、私は、マヤの予言はあまり信じませんが、霊言のメッセージは真剣に受け止めているのです。なぜなら、大川総裁による霊言のメッセージは、他の予言の類と同じにしてはいけないと思っているからです。

【お助けマン】 やはりそうでしたか。今、色々な予言がある中にあって、少しでも予言が当たらなければ他の全ての予言をも否定するような傾向にありますが、 やはり霊言によるメッセージは違いますからね。

【Eさん】 そうなのです。・・・では、なぜ予言にもそのような違いが出てくるのでしょうか。

【お助けマン】 いい質問ですね。それは霊言とは何かということを聞かれているのと同じだと思いますよ。

【Eさん】 と、いいますと?

【お助けマン】 つまり、予言と言うのは、大なり小なりあの世の霊人からのインスピレーションを受けてなされるものです。 なぜなら、あの世とは4次元以降の世界であって、そこでは時間をも自分で自由に設定できる世界だからです。
例えば、この世では時代の違う人が同時に会うようなことはできませんが、あの世では過去の人と未来の人が同時に会って話しをすることができるのです。 すなわち、あの世の霊人は、過去にも未来にも自由に行き来ができるという訳です。従って、あの世の霊人に未来を聞けば、 差し支えない範囲で教えてもらうことができます。
ノストラダムスも在世中に、あの世の霊人から相当、未来世のインスピレーションを降ろしてもらっていたのではないでしょうか。 ですから、インスピレーションどころではなく霊言で受け取れるとするならば、それはまったく誤解のない形で、かつリアルに、未来について聞くことができるということなのです。

【Eさん】 なるほどね。霊言ほど、明確で具体的な形でのインスピレーションはないということですね。

【お助けマン】 そうです。だから、霊言の言葉は軽く見てはならないのです。
もし、霊人が「ラスト・チャンス」と言えば、それは、もう間違いなく「ラスト・チャンス」ということなのです。ましてや、大川総裁、主エル・カンターレがおっしゃったならば、なおさらのことなのです。

【Eさん】 分りました。ゆめゆめ軽んじてはならないというのは、このことを言うのですね。 そうすると、マヤの2012年の終末予言と、大川総裁の霊言による近未来の予言とは、まったくその質に違いがあるということですね。 それを聞いて、なおさら霊言によるメッセージを真剣に受け止めなければならないことがよく分りました。 今日は、霊言を受け取る心構えが分ったような気がします。本当にどうもありがとうございました。今日はこれで失礼します。

と言ってEさんは帰られました。現実に、世の中には予言ものがあふれています。
しかしながら、大川総裁の霊言によるメッセージは、 霊人直々からのお言葉であるが故に、全く誤解の余地がないという点において他の予言とはまったくその性質を異にしています。
従って私たちは、霊人からのメッセージ、いや、それ以上の大川総裁、主エル・カンターレからのメッセージをゆめゆめ軽んじることなく、心を新たにしてお応えしていかなければならないと思った次第です。
エル・カンターレに感謝。

(終わり)