長老が言った「仏陀が遺した人類最大の遺産『八正道』」

先回、映画『神秘の法』について聞きに来られた女性信者のGさんが、今度もまた、長老が獅子丸翔に渡した「八正道」の意味について聞きに来られました。
以下は、そのときのGさんとの会話の内容です。

【Gさん】 先回は、映画『神秘の法』の長老の言葉の「降魔の法輪を転じる」の解説を本当にありがとうございました。 お蔭さまで非常に勉強になりました。

【お助けマン】 それは良かったです。お役に立てて嬉しいです。
ところで、今日お聞きになりたいことは何ですか?

【Gさん】 はい、実は、先回と同じなのですが、『神秘の法』の映画の長老の言葉で分らないところがあったのです。 長老は、「八正道」の経典を取り出して、そのことを、「仏陀が遺された人類最大の遺産」であり、 「本当の自分を知ための秘法」でもあると言っていました。 今ひとつ、その意味が分らないのでやって参りました。

【お助けマン】 はい、分りました。 映画『ファイナル・ジャッジメント』でも、その「八正道」が出てきましたね。ファイナル・ジャッジメントの映画の中では、確か「八正道」の文字から光が出ていたように思います。 主人公の鷲尾正悟が、瞑想するときの指針として使っていましたし、また、今回の映画『神秘の法』では、獅子丸翔が、それを目の前に置いて瞑想をしていましたね。

【Gさん】 両方の映画の中で、それぞれの主人公が、この「八正道」を瞑想を行うときに使っているということは、何か共通した意味があるのでしょうか。

【お助けマン】 そうです。「ファイナル・ジャッジメント」と、「神秘の法」で共通しているところは、主人公は、 ともにこの「八正道」によって悟りを得たということでしょう。
それだけ、この「八正道」は、秘法と呼ばれるだけあって、すごい力を持っているということの証明だと思います。

【Gさん】 映画の中で、長老が、「仏陀が遺された人類最大の遺産」であり、「本当の自分を知るための秘法」と言っていましたが、 決して大げさな表現ではなくて、それが事実だったのですね。

【お助けマン】 そうです。お金にすれば値段がつかないぐらいの尊い「秘法」だということです。 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナ・リザの絵も人類の遺産と言えると思いますが、「八正道」は人類最大の遺産だということです。

【Gさん】 その「八正道」といえば、「反省」だと思ってしまうのですが、そのように単純に解釈してもいいのでしょうか。

【お助けマン】 位置づけとしては、そのとおりです。ただ、単なる反省ではないということなのです。 例えば、反省ということでは、キリスト教に「懺悔(ざんげ)」がありますし、 日本神道にも、反省に似た「禊はらい」などがありますが、この「八正道」は、「悪いことをしました、ごめんなさい」という意味だけの反省では決してないということなのです。

【Gさん】 そうですか。では、「八正道」が単なる反省ではないならば、どのような反省なのでしょうか。

【お助けマン】 それは、映画の中で長老も言っていたように、「本当の自分を知る秘法」であるということなのです。

【Gさん】 うーん、今ひとつ意味が分らないのですが、本当の自分は、自分が一番よく知っているので、それでいいのではありませんか。 それ以上の本当の自分というものがあるのでしょうか?

【お助けマン】 ここは少しこの世的な感覚から離れますので少し分りずらいと思いますが、 映画の中で、木花開耶姫(このはなのさくやびめ)が霊の姿で現れて、「霊こそが人間の本質でございます」と言っていたのを覚えておられることと思います。
それは、つまり、自分が霊であることを知り、霊こそが本当の自分であることを知るということなのです。

【Gさん】 いやー、それは難しいですよね。自分が霊であるのをどうやって知ればいいのでしょうか。

【お助けマン】 だから「八正道」があるのです! だから「秘法」と呼ばれているのです!  八正道には、文字通り八つの正しい道があるのですが、この八つの道を行じていくにつれて、本当の自分を発見することができるのです。 その「八正道」を順に説明しますと、次のようになります。
正しい信仰に基づき、ありのままに正しく見たか(正見)。むさぼりの心、怒りの心、おろかな心を出さず正しく思ったか(正思)。 ウソや他人の悪口を言ったり、二枚舌やおべんちゃらを言わなかったか(正語)。法律を犯すようなことをせず、また、道徳に反するようなこともせず、正しい行為をなしたか(正業)。 乱れた生活をせず、調和の取れた生活をしたか(正命)。怠らず仏法真理を学び、悪から離れ、善の種をまく努力を続けているか(正精進)。 心を落ちつけて、修行とユートピア建設に関する正しい人生計画を抱き続け、正しい祈りをしているか(正念)。 正しい精神統一の時間を持ち、過去と一日一日を反省し、守護指導霊に感謝して就寝しているか(正定)。
以上の八つの徳目があるのです。 この八つの徳目を行じることによって、本来の神の子、仏の子としての自分を発見し、かつ、取り戻すことが出来るのです。
人間は、肉体に宿ってオギャーと生まれてきたならば、この肉体が自分であると錯覚してしまいます。 その錯覚から種々の迷いや過ちを犯すことになるのです。
しかしながら、たとえ肉体に宿っていたとしても、人間の本質は、木花開耶姫が言ったように霊なのです。 その本来の自分に巡り会える「秘法」が、実は、「八正道」ということなのです。

【Gさん】 詳しく解説していただき、ありがとうございました。本当に、この「八正道」が 「悪いことをしました、ごめなさい」というレベルの反省ではないことがよく分りました。

【お助けマン】 はい、そうです。もちろん、自分の犯した悪について二度と悪を犯さないように反省することも含まれていますが、 それよりも、本来の自分はどうあるべきであったのかという本来の自分を見出せるところに「八正道」のすごさがあるのです。
そして、それは必然的に正しさの探求と同じとなり、その正しさの探求とは結局、「仏の心を知る」ということにつながるのです。

【Gさん】 聞いていてよく分りました。本当に単なる反省ではありませんね。それは正しさの探求であり、仏とは何かを知ることでもあるのですね。

【お助けマン】 そうです。だから「秘法」なのです。そして、その探求は結局、自分が何者であるかを発見するに至るのです。
つまり、自分に仏と同じ性質が宿っていることを発見するに至り、結果的に自分が神の子、仏の子であることを実感するところまで行きつくことになります。 そして同時に、周りの人たちも自分と同じ神の子、仏の子であることを発見することになり、そこに、自他一体の思いが理屈ではなく、実感として芽生えて来るのです。 これが、愛の根拠でもあります。

【Gさん】 いやー、びっくりしました。当初は、反省行の教えと思っていた八正道ですが、 霊的で、かつ、本来の神の子、仏の子としての自分の発見まで出来るとは驚きです。 今まで八正道を少し怠っていましたが、これから熱心に行じようと決心しました。 今日も教えていただきありがとうございました。それでは、今日はこれで帰ります。

と言ってGさんは帰られました。私たちは、「八正道」が、人類最大の遺産であり、 本当の自分を知る「秘法」であることを、言葉だけで理解していたように思います。
しかしながら、これはお題目ではなく事実だということを深く理解することも、実は、信仰心であることを改めて感じた次第です。
エル・カンターレに感謝。

(終わり)