『仏陀からエル・カンターレへ』(その5) 伝道の「遠心力」と「求心力」とは?
入会間もないEさんが、大川総裁が再誕の仏陀であり、かつ、エル・カンターレであることを教えから学びたいと言って来られました。
今回は、『仏陀からエル・カンターレへ』の第5回目で、「遠心力と求心力」を学びます。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。
【Eさん】 先回の「信仰論の発展段階」において、幸福の科学が現在進行形の宗教であることがよく分りました。 また、方便を使いながらも私たちを導いて下さっているエル・カンターレの慈悲を感じました。
それで次は何ですか?
【お助けマン】 はい、第五回目は、「遠心力と求心力」を学びたいと思います。
【Eさん】 遠心力と求心力って、力学の話しですよね。それと幸福の科学と、どう関係があるのですか。 意味がよく分りません。
【お助けマン】 そうでしょうね。
その言葉自体は、力学での言葉ですので、分らないところがあると思います。 では、まず「遠心力」から説明したいと思います。
おおよそ宗教とは、教義、つまり教えがあって、その教えを広めて人々を救うという使命があります。ですから、宗教には常にその両方が必要であって、どちらが欠けても使命を果たすことはできません。
そこで、遠心力とは、その後者である教えを広げて人々を救うという活動のことを言います。
【Eさん】 要するに、教えを周りの多くの人々に広げようとする力ですから「遠心力」というのですね。
【お助けマン】 そうです。
神から流れ出た教えであるからこそ、これは、努力して多くの人々に広げる必要があるのです。また、これは人類の義務でもあります。
なぜなら、人間がオギャーと言ってこの地上に生まれてから、もし、神の教えを学ばずにそのままでいたならば、悪くなるという法則があるからです。 つまり、人間は、この地上で生活をする限り肉体を維持しなくてなりませんが、必ず、欲というものが出ます。欲自体は悪いものではありませんが、それが必要以上に過ぎる場合には、段々と動物的になって本来の「神の子としての人間性(仏性)」が失われて悪となります。
もし、そのままで居ていいなら宗教はいらないのですが、そのままで居た場合、悪くなってしまうのがこの世の法則です(『悟りの挑戦(上)』第6章「業と輪廻」2「惑・業・苦ー三道」)。そしてその結果、死んだあとに地獄に行ってしまうのです。
【Eさん】 えっ! それでは神様は意地悪ではないですか。
そのままで居たら段々と動物的になって、神の子としての人間性が失われてしまうなら、皆、困るのではないですか。
【お助けマン】 だからこそ、ここに神仕組みというものが用意されているのです。
要するに、この地上の生存と、神の教えである真理を学ぶということが、言わば「セット」になってるのです。神様は、人間をそのままで放っておかれているわけではありません。必ず、救いを用意されています。それが、真理を知るということなのです。
【Eさん】 あっ、そういうことだったのですね。だから、人間が困らないようにと、どの国にも宗教があるのですね。
【お助けマン】 そうです。
ですから、神を否定する唯物論国家の国民は大変なのです。つまり、大勢の国民が真理を学べないで死後に疑獄に堕ちるとするならば、これは大変なことなのです。 日本は唯物論国家ではありませんが、もし、宗教を軽んじたり無視したりするならば、非常に危ないところにあるとも言えるでしょう。
だからこそ、教えを勢力的に広げる努力が必要とされているのです。この努力は、例えば、その教えを書籍にすること、そして、その書籍を多くの人々に行き渡らせること、また、新聞などにその広告を載せて多くの人々に知らしめることがまずあります。
そして、それだけに止まらず、映画を作ったり、ラジオやテレビの放送などで教えを広める活動もあるでしょう。
しかしながら、それだけではどうしても法律などの制限があって教えが広がらないこともあります。例えば、政教分離などの法律によって、学校で自由に宗教や真理を学べないとするならば、 その場合、政治による活動が必要となって来ます。ですから、幸福の科学は、幸福実現党を創設して、より多くの人々が自由に真理を学べるようにと、今、活動を精力的に行っているのです。
【Eさん】 なるほどね。
だから、幸福の科学は、学校も創設して、さらに政治にも出て来たということですね。そして、これらは、外に向かっての「遠心力」なのですね。
【お助けマン】 はい、そのとおりです。よくお分かりですね。
ただ、ここで重要なことがあります。それは、遠心力ばかりが強くなり過ぎると、バランスをくずして外に飛ばされるということです。 例えば、ロープの先にボールをつけてぐるぐる回したとき、もし、そのロープが細くて弱いロープなら切れてしまって、ボールがどこかに飛んで行ってしまうでしょう。 これと同じで、外に出て行こうとする力が強ければ強いほど、それをつなぎ止める力も強いことが必要とされるのです。
【Eさん】 分りました。それが「求心力」ですね。
【お助けマン】 そうです。それが求心力なのです。ですから、 遠心力が強ければ強いほど、その力に持ちこたえられる求心力が強くなくてはなりません。
実は、その求心力の部分が「信仰心」であり、「修行の部分」なのです。ですから、政治や経済、そして教育などの外向きの活動が強くなればなるほど、信仰心や修行する精進の力も強くなくてはならないのです。 これがバランス感覚というものです。
これを個人のレベルで言えば、「信仰心」と「修行における精進の力」があってこそ、外向きの活動である伝道もバランスよく成されるということです。
釈尊が説かれた仏教は、大乗の時代になって遠心力も強くなりましたが、どちらかと言えば求道心が重んじられていたこともあって求心力のほうが強かったでしょう。
また、ヘルメス神は、瞑想などにも精通されていましたが、 どちらかと言えば、遠心力のほうが強かったと思います。 そして、エル・カンターレである大川総裁は、実は両方にお強いのです。釈尊とヘルメス神の長けている部分をも合わせ持ちつつ、それらを合わせた以上の力を持っておられるのです。
かつて、最大の遠心力と、最大の求心力を同時に合わせ持つ宗教はなかったのです。それこそが、大川総裁がエル・カンターレの本体であることの証明でもあります。
【Eさん】 よーく分り、納得がいきました。
なぜ、幸福の科学が、これだけ多くの教義を出され、これだけ多くの精舎があり、また、みな熱心に修行をしつつ、かつ、活動においても映画や政治、またまた教育においても 幸福の科学大学を創ろうとしていることがよく分りました。
今日も教えていただき本当にありがとうございました。では、これで帰ります。
と言ってEさんは帰られました。今日、お助けマンが言ったことは、よく考えてみればそのとおりでした。 今まで、幸福の科学に、なぜこれだけ多くの精舎があるのか、そしてなぜこれほど多くの教えや修行ソフトがあるのか、そして、大川総裁は海外にもご巡錫もされ、また、政治や放送番組にも進出しているのか、 これは、過去最大の求心力と、最大の遠心力を持った稀なる宗教であるからと言えるでしょう。
これをもって、最高、最大、最強であり、かつ、最勝であることの証明と思います。
しかしながら、その意味が分らない人も居ることでしょう。それは前例がないからだと思います。ただ、私たちが、今、前例のない奇跡を目の当たりにしているとするならば、 ここは素直に受け入れる心こそが、魂向上の道であると言えるのではないでしょうか。
エル・カンターレに感謝。
では、また続きます。次回は、『仏陀からエル・カンターレへ』(その6)です。
(その5 終わり)