『仏陀の証明』(その9) 数多くの奇跡が起きること

 

入会間もないEさんが、大川総裁が再誕の仏陀であることを、どう説得的に説明すればいいかを聞きに来られ、その続きとして、今回は、幸福の科学に数多くの奇跡が起きていることを学びます。

以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回の『仏陀の証明』(その8)「悪霊・悪魔を撃退できること」は、霊的世界が実際に存在することを実感させる内容でした。
それで、「仏陀の証明」のその次は何ですか?

【お助けマン】 第九点目は、幸福の科学が本物である証明として、今、信仰を持つことによって数多くの奇跡が起きていることを確認していきます。

【Eさん】 分りました。確かにそうですね。仏陀の時代にも多くの奇跡は起きましたし、イエスさまのときも多くの奇跡が起きました。奇跡が多く起きることは仏陀や救世主の証明になると思います。是非紹介してください。

 

【お助けマン】  はい、それでは、まず、左のカバー絵の 『不滅の法』の、第2章「霊界と奇跡」の80ページから、 紹介させていただきます。

◆ まず最初に、大川総裁が2011年3月6日にインドのブッダガヤで説法されたとき、参加された現地の人で、長年、筋萎縮症で動かなかった手が動くようになったとあります。

◆ 次に、2011年4月17日の小倉支部精舎での大川総裁の説法の前日に、ある信者さんで、クモ膜下出血で緊急入院して生死の境をさまよっておられた方が、祈願で直り、しかも、その日のうちに退院されたとのことです。

◆ また、東日本大震災では、すべてを紹介できないくらいの奇跡が起きました。例えば、まわりの地域は津波で甚大な被害を受けたのに、130名くらいの信者が住んでいた地域にはほとんど被害がなかったということです。

◆ さらに同じ津波でも、「津波が反転して返っていった」「近くを通った津波が家の中に入って来なかった」「千葉正心館が建つ地域を津波が避けた」ということが起きたり、また、 ある信者さんが車で逃げていたところ、『車を捨てろ』というインスピレーションが下りてきたため、車を捨てて土手を上がり、線路に出たら、地震で停車していた電車があって、その車掌が『こちらに来なさい』と言うので、その電車に飛び乗ったので助かったということがありました。
など、もう全てをご紹介することができないくらいの奇跡が起きています。報告されていない分も含めますと、その数はさらに増えます。

【Eさん】 いやー、驚きました。これらは、新聞に載ってもいいぐらいのびっくりすることじゃないですか!

【お助けマン】 そうです。あの東日本大震災において、もし、もっと多くの方々が信仰に目覚めておられたら、犠牲になられた方はもっと少なかったはずです。
では、なぜ奇跡が起きるのでしょうか。実は、それが起きる条件として、「信仰心」があることがあげられています。 そのことについて同書の110ページに書かれていますので、その部分を朗読いたします。

当会も、これから世界宗教になっていくならば、おそらく、いろいろなかたちで、信じられないような奇跡が起きてくるでしょう。 「その奇跡の主役に誰がなるか」ということは分かりませんが、少なくとも、信仰心の強い支部において、信仰心の強い人が、 それを起こすと思います。この世のルールを踏み破って、そういうことが起きるようになるでしょう。奇跡は、まだまだ起こせます。
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前述したように、私は、「われを信ずる者、百人あらば、その町に、壊滅的天変地異は起きまい」と述べたことがありますが、 まだ、どこの町にも百人の信者がいるわけではないのです。いない所にはいなくて、まばらです。
不信仰の輩は、それほど多く助けてはもらえません。いや、助けられても、その意味が分からず、それを「物理的現象として、 あるいは自然現象として、こうなったのかな」と思うような人が大勢います。「信仰者がいると、どういうことが起きるか」 ということが分かってもらえないのであれば、自然の法則をねじ曲げても意味がないのです。

と、述べておられ、「信仰心」が奇跡が起きるキーワードであるということです。
ところで、今、ご紹介させていただいた奇跡は、どちらかというとこの世の法則をねじ曲げるという意味での奇跡です。 要するに常識では考えにくいことが起きて、それを奇跡というわけです。
しかしながら、現象面で常識を超えることが起きるということだけが奇跡ではありません。むしろ、本当の奇跡というものは、もっと霊的人生観から見て意味あるものなのです。例えば、 そのことが、会内経典の『奇跡のメカニズム』という経典の55ページに書かれていますので、朗読いたします。

奇跡とは、宗教的に言うと、結局、「霊的世界との交流の仕方、チャンネルの合わせ方を、自覚的に選び取れるようになっていく」ということです。 これが、いちばん強力な奇跡なのです。
そういうことができるようになると、人生がどんどん変化していって、思いのほか、違った展開となり、「十年前の自分から見たら別人のような自分に変わっていく」ことがあります。
さらに、もっと大きな奇跡は、「自分の人生だけではなく、自分とかかわりのある人々の人生をも変えていく力を持つようになる」ということです。

と、あります。つまり、奇跡とは、例えば、病気が治った、事故や災害から守られた、思いがけない成功を手にしたなど、どうもこの世に現れる現象面で判断しがちです。 確かに、スプーン曲げなどの超常現象が奇跡と呼ばれるところがあります。しかしながら、霊的に目覚めて 自分の自己変革がなされたり、周りの人の人生を変えるなど、人の運命や人生観が変わってくることにこそ奇跡の意味があるということなのです。

【Eさん】 あっ、そうなんですか。それは知りませんでした。奇跡とは、この世の物理的な法則がねじ曲がることだけだと思っていました!

【お助けマン】 だから、これが仏陀の証明なのです。奇跡は霊能力を持っている人であれば、ある程度は起せます。しかしながら、人生が変わり、運命も変わり、自己変革がなされ、また、他人の人生をも変えていくということを単なる霊能者にできることでしょうか。 そのような自己変革をともなう奇跡には、法が必要です。また、悟りが伴います。したがって、このような奇跡を起せるのは、仏陀や救世主しかいないということなのです。

【Eさん】 いやー、納得いきますよ。何のための奇跡かということですね。びっくりするような奇跡も仏陀の証明と言えますが、それだけでは本人の人格や悟りの向上に寄与するものであるとは言えないですからね。

【お助けマン】 そうです。もちろん、あの世の世界に目を向けるということでは意味があると思いますが、そもそもこの世が修行の場とするならば、魂の学びにおいて無意味なことが起きても仕方がないのです。
それで、真実の仏陀ならば、霊的世界との交流を自覚的に行って、悟りの向上や自己変革がなされるという奇跡、そういった奇跡こそが強力で真なる奇跡であると言われるに違いないのです。 ですから、『奇跡のメカニズム』から朗読させていただいた奇跡についての大川総裁のお考えは、再誕の仏陀そのもののお言葉であると言えます。

と、お助けマンが解説してくれましたが、今、幸福の科学では、目をみはるようなびっくりする奇跡が多発しています。 だた、それだけに止まらず、霊的に目覚めて自分自身の人生が変わり、運命が変わり、また、自分が自己変革して悟りが高まるという奇跡こそが、さらなる強力な奇跡だということです。 そして、このような奇跡論を説かれる事実こそが、仏陀の証明と思った次第です。 仏陀に感謝。
では、また続きます。次回は、仏陀の証明(その10)です。

(その9 終わり)