いざ、さいたまスーパーアリーナへ!
読売新聞 朝刊
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本日は、7月21日付の読売新聞の広告を見て、興奮して私の友人の I さんがやって来られました。以下は、そのときの会話の模様です。
【Iさん】 今日の読売の朝刊を見て驚いたよ。あなたの団体が、これほど信用されているとは知らなかったよ。大体ね、宗教というのは、うさんくさいと言ってマスコミは避けるんだよ。
【お助けマン】 そうでしょ。私が言っていたとおりでしょ。やはり、知っている人は知っているのです。マスコミだって勉強しているところはしているのです。
【Iさん】 これは、もうはっきりしたね。信頼されて生き残るマスコミと、ニセ記事ばかり書いて四面楚歌となって淘汰されるところと・・・。ところで、あなたスーパーアリーナに行くの?
【お助けマン】 もちろんですよ。年1回のご生誕祭ですから、必ず、行きますよ。ところで、 I さんも一緒に行きませんか? 是非、行きましょうよ!
【Iさん】 まあ、時間が無い訳でもないけど、行ったら何かご利益などあるの?
【お助けマン】 もちろんですよ。単なるシンガーのショーではありません。
【Iさん】 では、普通のショーと、どう違うのよ。
【お助けマン】 まずは、大講演会で、仏陀であり救世主のお話しが直接聞けるということですよ。
たとえば、 I さん、もしですよ、イエスさまが説法された「山上の垂訓」が、もう一度されるとすればどうしますか? また、仏陀の説法場所だった霊鷲山(りょうじゅせん)で、仏陀が、もう一度説法されるとすればどうしますか?
【Iさん】 それは絶対行くよ。イエスさまとかお釈迦さまが説法されるんだったら、それは、誰でも聞きたいと思うよ・・・。 でも、お話しだけだったら、後でDVDとかテープでも聞けるし・・・・。
【お助けマン】 ところで、 I さん、仏教に「縁起の理法」という教えがあるのをご存知ですか?
【Iさん】 まぁ、あまり詳しくないけど、縁起がいいとか、これも何かのご縁で・・・、とかよく言うね。
【お助けマン】 そうでしょ。昔から、「袖触れ合うも他生(たしょう)の縁」と言うでしょ。他生は、他(ほか)に生きると書くんですよ。
【Iさん】 それって、多い少ないの「多少の縁」じゃないの?
【お助けマン】 いえ違いますよ。他に生きる「他生の縁」なのです。この意味はね、過去世で縁があったからこそ、今、袖が触れ合ったのですよ、と言う意味なのです。ですから、私と I さんが、今世で出合って友達同士でいるということは、過去世で縁があったからこそですよ、と言う意味なのです。
【Iさん】 それと、講演会とどう関係があるの?
【お助けマン】 それが、大ありなのです。実は、大川総裁は、仏陀であり救世主です。その仏陀と救世主である大川総裁の講演会の会場に行き、同じ空間に存在することでもって大きな縁ができます。もちろん、衛星会場でも同時に同じ説法を聞いていると言う意味では、本会場ほどではありませんが縁ができます。そして、その縁は、来世もまた出会えるという縁になるのです。
この時代に、例えば、戦乱の国には生まれたくないでしょ。それは、I さんが過去世で、大川総裁の魂のご兄弟の説法を聞かれたり、あるいは、その方々にお布施をしたなど、何らかのご縁があったからこそ、今世、大川総裁と、相まみえることが出来たのです。
また、それだけではなく、仏陀と救世主が講演されるときには、必ず、天上界の神々や天使たちも大挙して降りて来られることになっており、その方々ともご縁ができるのです。
実は、この「縁」が非常に重要なのです。ところで、I さんは、芥川龍之介が書いた「クモの糸」という本を読んだことがありますか?
【Iさん】 うん、確か学生時代に読んだと思うけど・・・。
【お助けマン】 では、その中で、悪人のカンダタが、クモを踏み潰そうと思ったが、思いとどまったその縁によって、死後、地獄に堕ちたけれども、お釈迦さまが蓮の台(うてな)からクモの糸を降ろされたと言うところを覚えておられますか?
【Iさん】 そうだったよね。たかがクモ一匹と思っていたけど、それで助けられたとは大きいね。
【お助けマン】 そうです。たかがクモ一匹であっても、クモを助けたという善行と縁によって、クモの糸が降ろされたのです。そもそも縁がなければ、取り付く島もないのです。 ですから、クモ一匹でも、これぐらいの縁ができる訳ですから、仏陀と救世主を合わせたお方の説法を直接聞くということは、それはそれは、大きな縁を作ることになるのです。
【Iさん】 なるほどね。単に説法を聞くだけじゃないんだ。
【お助けマン】 もちろん、説法の内容も目からうろこのようなお話しの連続ですが、その内容自体は、あとで、DVDで聞いたり書籍で読むことも可能です。
しかしながら、同じ空間に入って、ご縁をいただくということでは、この機会を逃せないのです。
【Iさん】 ところで、神々や天使とも縁ができればどうなるの?
【お助けマン】 例えば、I さんの知り合いが、道端で倒れていたとします。もちろん、 I さんは、救急車を呼ぶと思いますが、もし、倒れている人が知らない人なら、救急隊員に引き継いで、それで終わるでしょう。でも、その人が、自分の知人なら救急車に一緒に乗って病院に行くし、家族にも連絡をするでしょう。これが、知り合いであることの意味なのです。
【Iさん】 なるほどね。神々や天使と知り合いになれたということは、もし、自分が困っていたら、見捨てられないということか・・・。
【お助けマン】 そうです。それが「縁」ということの意味です。また、その縁は、この世だけではなく、あの世にも持って行くことができます。例えば、あの世は意識だけの世界ですから、もし、縁がなければ、極端な話し2人が重なりあっても、お互いに相手を認識することができずに通り過ぎて行きます。ところが、縁があれば、逆に距離が離れていたとしても、距離に関係なく互いに会うことができるのです。 ですから、あの世に帰ってからも、縁があった神々や天使と会うことができると言うことです。
【Iさん】 非常に分かり易い話しをありがとう。これは、もう何が何でも行かなきゃ!
【お助けマン】 そうですよ。仕事もありますが、風邪をひいて休むこともあるじゃないですか。できるだけ早く切り上げて一緒に行きましょう。
【Iさん】 分かった。行くよ。絶対に行くよ。今日は、本当にどうもありがとう。
では、25日に会おうね。
と言って、I さんは帰られました。今、イエスさまの時代の「山上の垂訓」、仏陀時代の霊鷲山の説法以上のことが起きています。それに参加できるということが、どれほどありがたいことか、本日は、また発見させて頂いた次第です。感謝。
(終わり)