禅定で自分を見つめる(その7)「生涯反省で人生のやり直し」

先回に引き続き、Eさんとの問答を続けます。
先回は、反省で自分に変わったことについての問答がありましたが、 今回は、生涯反省による人生のやり直しについての問答です。
以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回は、反省によって変わったことをお話しさせていただきましたが、 実は、そのあと幸福の科学の精舎に行って生涯反省の実修をさせていただきました。
本当に行って良かったです。やはり、これほどまでに自宅と精舎の環境が違うものか、実際に体験させていただきました。

【お助けマン】 はい、その違いこそが精舎の霊的意味と言われるところだと思いますよ。 やはり磁場というものが非常に大事なのです。 おそらく精舎は、この世にあってこの世にないのだと思います。 ところで、その生涯反省はどうでしたか?

【Eさん】 はい、講師の上手な誘導で、自分の小さいときのことが思い出されて、 すっごく涙してきました。

【お助けマン】 そうでしたか。私も精舎で愛の反省をしたことがありますが、 どれほど多くの愛を両親から与えられていたか、本当によく分りました。それこそ涙、涙の反省でした。 人間は、自分の体に目がくっついているので、普段は自分から離れて自分を見るということはできないものですが、 反省という修法によって、あたかも他人の目のように自分を見ることができるのです。 これが反省のすごさだと思います。
ところで、自分の過去をどのように反省されたのですか?

【Eさん】 はい、年代を区切って生涯の反省をするのですが、 まず呼吸を整える時間を取って、それぞれの年代にタイムスリップするように、その情景を思い出しました。

【お助けマン】 その情景は、すぐに出てきましたか?

【Eさん】 はい、自宅で反省するよりも、はるかに思い出すことができたのです。 本当に不思議なのですが、精舎の磁場は実に天国のようで、 照魔の鏡(死後、自分の生涯をビデオのように上映して映す鏡)に映し出されたように、自分の過去が出てきました。 おそらく精舎における何らかの霊的な援助があったからと思いますが、明らかに自宅と違っていました。 幼稚園のとき、小学校のとき、中学校のとき、というように年代を追って思い出されたのです。

【お助けマン】 それで、どうされたのですか?

【Eさん】 はい、私は小学校のときに、私の友達のA子ちゃんをいじめたことがあったのです。

【お助けマン】 そこをはっきりと思い出されたのですね。

【Eさん】 はい、大人になってもそこが気になっていたのでしょうか。 その場面が出てきました。そして、いじめをしている自分を見つめていると、胸が締め付けられるように、A子ちゃんに「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。

【お助けマン】 やはり大人になっても、そのことが気になっていたからではないでしょうか。

【Eさん】 はい、そうだと思います。もう、はるか昔のことではあるのですが、 ずっと、A子ちゃんのことが気になっていましたから・・・。

【お助けマン】 それで、どう反省されたのですか。

【Eさん】 はい、教えてもらったように、やり直しをしたのです。
実は、その場面まで行って、A子ちゃんの目の前に立って、「あなたをいじめてごめんなさい。本当に私が悪かったです。ごめんなさい。」と謝ったのです。

【お助けマン】 その場面でやり直しをされたのですね。

【Eさん】 はい、教えてもらったとおりに、その場面まで行って謝ったのです。 心の中ですが、きちんと声に出してA子ちゃんに謝りました。もう涙が止まりませんでした。

【お助けマン】 そうしたら、どうなりましたか?。

【Eさん】 いやー、それが不思議なのです。 胸につかえていたものが取れたように、本当に楽になったのです。 そして、そのあと、A子ちゃんをいじめたということを思い出しても胸が痛くならなくなったのです。 さらに、私が、過去にいじめをしたことがあることを、今まで誰にも言えなかったのですが、 その反省をしたあと、友人にその苦い経験を言えるようになったのです。

【お助けマン】 そこですよ。その場面を思い出しても胸が痛まなくなったり、 他人に告白して言えるようになったら反省が終わっていることの証拠ですよ。 反省をしても、それが本当に反省になったのかどうか、なかなかそれを検証することは難しいところですが、 それら事実によって知ることができるのです。

【Eさん】 はい、よく分りました。 本当に反省って人生のやり直しがきくのですね。
あの世に還って照魔の鏡でそのシーンを見たとき、修正済みのシーンも出てくるということですね。 今回の経験からも、私の人生は本当に学びそのもののためにあるのだと改めて分らせていただきました。 今日も本当にありがとうございました。それでは、これにて失礼いたします。

と、言ってEさんは帰られました。
大川総裁は、反省が本当に出来たかどうかは、反省で涙を流すことと、それを笑い話しのように話せるようになったかで分るとおっしゃいましたが、 Eさんは、まさしくその両方を体験されました。またまた大川総裁の教えが真実であることの証明がなされたということでもあります。

まだまだ問答は続きます。次回の問答も楽しみです。
主エル・カンターレに感謝。

(終わり)