「愛」と「寛容」の心が地球を救うとは?

先回、映画『神秘の法』について聞きに来られた女性信者のGさんが、「愛」と「寛容」の心が地球を救うという獅子丸翔の言葉を聞いてやって来られました。
以下は、そのときのGさんとの会話の内容です。

【Gさん】 先回、映画 『神秘の法』について教えていただきありがとうございました。

【お助けマン】 段々と旧来の宗教の概念が壊れていき、今こそが、人類の大きな進化のときという感覚を持たれたのではないでしょうか。

【Gさん】 はい、後の世の人からこの時代を見れば、人類の大きな変化ときだったと見えるかもしれませんね。それにしても、驚くことばかりで・・・。

【お助けマン】 その気持ちはよく分りますよ。私とて、いつもびっくりの連続ですから・・・。 ところで、今日は何をお聞きに来られたのでしょうか?

【Gさん】 はい、映画の最後のほうのところで、一たん処刑された獅子丸翔がよみがえって説法をするシーンがありましたよね。 そのシーンのところで、獅子丸翔が、「愛」と「寛容」の心が地球人としての条件であり、それが地球を救うと言ってましたが、ではなぜ、「愛」と「寛容」の心なのか、 いまひとつ分からないので聞きにきたのです。

【お助けマン】 分かりました。私も、これだと言えるような理由は分かりませんが、私なりに考えた内容でいいならお話しをさせていただきます。

【Gさん】 はい、それで結構ですので、よろしくお願いいたします。

【お助けマン】 はい、それでは考えてみたいと思います。
まず、7月に、さいたまスーパーアリーナにて大川総裁のご生誕祭『希望の復活』がありましたが、そのときに、大川総裁は、 次のようにおっしゃいました。

今、世界は2つの問題をかかえており、その一つが、神を信じない唯物論勢力と、神々を信じる勢力との対立の問題であり、 そして、もう一つが、神を信じるが、その信じる神さまの名前が違う人達の対立の問題がある。そして、いずれについても信仰がかかわっている

と、説かれました。
唯物論者は目に見えないものは信じないので、彼らには神や愛は通じません。だから唯物論者たちは、目に見えない神を信じている信仰者を攻撃したり弾圧するのです。 チベットがそのいい例でしょう。でも、何とかしてこのような状況を終わらせなければならないのです。
そして、もう一点は、神は信じるが他の宗教の神を認めない狭い心です。つまり、寛容な心がないということです。 いま、世界では、必ずと言っていいぐらいどこかで宗教の違いによって争っているところがあります。この争いは、相手に対する寛容の心がないというところから発生しています。 今、このような争いに対しても早くに何とかしなければならない状況にあります。

【Gさん】 なるほどねぇ、先回のご生誕祭で大川総裁がおっしゃった世界が抱えるこの2つの大きな問題は、少なくともこの「愛」と「寛容」があれば、ずいぶん解決へと向かうということですね。

【お助けマン】 そうです。今、世界は、エネルギー問題とか、経済問題、食料問題、人口増問題など、いろいろと難問を抱えていますが、 やはり、人と人が殺し合う紛争や戦争の問題が一番大きな問題と言えるのではないでしょうか。その問題を解決するのが、実は、「愛」と「寛容」の心なのです。

【Gさん】 うーん、今の説明でそれは分かったのですが、ただ、愛が大事とばかり言っていると、逆に、相手から甘く見られてしまって滅びてしまうのではないかという危惧があるのですが、その点はどうでしょうか?

【お助けマン】 はい、ただ「愛」と言っても、それは平面的な愛だけではありません。
そのような誤解は、どうもイエスさまのお言葉である「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい」とか、「上着を取られたら、 下着も差し出しなさい」と言う言葉で愛を理解しているところにあるように思います。
つまり、本当に愛とは相手が良くなることを前提としているので、それによって相手が悪を犯したり堕落するならば、それは本当の愛ではないということです。
ですから、愛とは、相手の向上をも含んだ愛でなければならないのです。だから相手の悪をそのまま放置するようでは相手を本当に愛していることにはなりません。 今、人類はこのような立体的な愛を学んでいるのです。それが、大川総裁が説かれている「愛の発展段階説」なのです。

【Gさん】 分かりました。だから、もし相手が悪を犯すような場合があれば、これを何としてでも押し止めるのですね。

【お助けマン】 そうです、それ以上悪を犯させないことも立派な愛なのです。
世界的にはまだまだ不安定な状況が続くことでしょう。映画にあった帝国ゴドムのモデルになった実際の国が台頭してくることが予想されます。 彼らの価値観は唯物論で、ただただ自国の利益だけで周辺国に攻め入ってくることもあるでしょう。 そのとき、それ以上の悪を犯させないために戦うことは、これも愛の表れということなのです。

【Gさん】 はい分かりました。愛と言っても平面的なことだけではないことがよく分かりました。 では、次にある「寛容」の心が、なぜ世界を救うのでしょうか?

【お助けマン】 寛容とは、相手の自由性や個性を認める立場であり、これは、その根底に互いに神の子、 仏の子であることを認めることによって生まれて来るものでもあります。それも一なる神から分かれた神の子という意味です。
今、キリスト教やイスラム教では互いに相手の神を認めず争いが絶えません。過日も、ムハンマドを侮辱した映画が米国で作られたと言って、 アメリカの大使がデモ隊に殺害されるという事件がありました。これも、寛容さがない現われです。
しかしながら、今、エル・カンターレが下生されて、ご自分が神々の主であることを宣言されました。 そして、人類は全て一なる神から分かれた神の子、仏の子であるということも合わせて示されました。 それはつまり、人類はすべて兄弟であるということの表れです。すなわち、親が同じだったということなのです。 そして、今それが出されたならば、もはや皮膚の色の違いや体の違いがあったとしても、それは関係なくなります。 そして、それを皆が自覚することによって他の神の存在をも認めるという寛容な心が生まれてくることになるのです。

【Gさん】 なるほど分かりました。その「愛」と「寛容」の双方には、信仰、それも主への信仰があることが分かりました。

【お助けマン】 そうです。だから、主が今、地上に降りられているということ自体に非常に大きな意味があるということなのです。

【Gさん】 でも、映画に出てきた地球を侵略しようとしているレプタリアンと「愛」と「寛容」の心とは、どう関係があるのでしょうか?

【お助けマン】 ところでGさんは、この宇宙に宇宙協定があることはご存知だと思いますが、 映画の中で金星人のユチカが言っていた地球が調和で満たされているときには宇宙から介入をしてはならないということはご存知でしたか。
「愛」と「寛容」の心は、争いごとや憎しみを無くし調和した心の状態を生み出します。 つまり、「愛」と「寛容」の心が地球人に広く行き渡ることによって、宇宙からの介入はできないことになり、それが、また地球を守るということなのです。

【Gさん】 なるほどね。「愛」と「寛容」の心は、地球上の争いや戦争を無くし、かつ、皆が信仰を持って調和するならば、 宇宙からの介入もなくなるということですね。これはすごいことだと思いますよ。1000年も文明が進んでいる宇宙人と戦争をすれば、 これは全く勝ち目がありませんが、「愛」と「寛容」によって彼らに勝ことができる。
いやー、ハイテクがローテクだが心の威力にはかなわないということですね。これでまた映画『神秘の法』の意味が深まりました。
今日も教えていただきありがとうございました。それでは、今日はこれで帰ります。

と言ってGさんは帰られました。「愛」と「寛容」は、機関銃でもミサイルでもありません。それは、 無敵の武器を持つ宇宙人にも勝てる強力な「心の武器」なのです。
しかしながら、このローテクな「心の武器」である「愛」と「寛容」を実践することはそう簡単なことではありません。 従って、今、人類がどれだけ「愛」と「寛容」を実践できるかが、人類生き残りの鍵であることを改めて感じた次第です。
エル・カンターレに感謝。

(終わり)