心を耕し、心の主(あるじ)になることとは何か

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幸福の科学 真理問答

2014/01/12 毎週日曜日発行 

心を耕し、心の主(あるじ)になることとは何か

 ちょうど1年前に、「心のコントロールはどうすればいいのですか」と、 聞きに来られたEさんが、今回も、心のコントロールについて聞きに来られました。
以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 明けましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 ところで、ちょうど1年が経ったのですね。 私が心のコントロールについて聞きに来てから・・・。
 
【お助けマン】 そうですね。本当に1年って速いですね。 ぼっとしているとすぐに年を取りますから、これは油断できませんね。

【Eさん】 はい、年々、自分は成長しているのか、本当に心配です。
  
【お助けマン】 でも昨年は、1年間、心のコントロールと 禅定をしっかりと勉強をなされたじゃないですか。

【Eさん】 はい、お蔭さまで禅定については、ある程度できるようになったのではないかと思っております。
 そこで、今日、寄せていただいたのは、「心の探究」の中で、「心を耕(たがや)す」という言葉がありましたので、 それについてお伺いしようと思ってやって参りました。
 実は、先日の 新春の大川総裁のご説法をお聞きしまして、どのようなときであっても、 原点である「正しき心の探究」が改めて大事だと思ったからです。 それで、会内の経典で、2003年6月14日発行の 『八正道の心―「黄金の法」講義②』 を読んでいましたら、 36ページに、このように説かれていたのです。

2 心のなかを探究する
 仏教に八正道というものがあることを見れば、釈尊の修行は、 ただ坐禅をして坐(すわ)っていただけではないことは明らかです。 釈尊は、心のなかを探究していたのです。
 「心のなかを探究する」ということは、世間の人たちには理解不能なことかもしれません。 大部分の人は、それほど深い内面世界を持っていないので、「心」と言われても、 油紙が水を弾くような感じで、すんなりとは入ってこないのです。
 そのため、八正道の八つの項目も、社会科の暗記事項か何かのように、 単に覚えるだけで、内容が理解できないわけです。
 しかし、心というものは、探究していくと、だんだん耕(たがや)せるようになっていくものです

 
 と、ありますが、下線のところが分からないのです。 畑を耕すなら分かるのですが、「心を耕す」とは一体どういう意味なのでしょうか?

【お助けマン】 なるほどね。 確かに「耕せるようになる」と大川総裁は、おしゃっていますね。 実は、私も勉強中ですので偉そうなことは言えませんが、 私が個人的に考えていることで良ければ、少しお話しをさせていただきます。
 まず、心というものは、そのままで放っておくと、頑固で硬いものだという前提があると思います。 ですから、心を変えたり、あるいは、これをコントロールすることはとても難しいことだと言われています。
 では、ここで言う「心」とは一体何なのか、それは、つまり「考えていること」、あるいは、 「思っていること」になるのではないかと思います。
  
【Eさん】 じゃ、心というものが、「考えていること」や「思っていること」になるのでしたら、 その「心を探究する」と言うことは、一体どういうことを意味するのでしょうか?
   
【お助けマン】 はい、私が思うに、 「心の探究」とは、自分が考えていることの一つひとつを点検することだと思っています。
 つまり、何かの出来事があったとして、その出来事に対して自分はどのように考えたのか、 つまり、それをどのように感じて思ったのかということを、点検して「見る」ことだと思っています。
    
【Eさん】 なるほどね。だから、「心を見つめる」と言うのですね。
 
【お助けマン】 そうだと思います。心とは心臓のように物体があるわけではありませんので、 直接、見ることはできません。しかし、考えている内容を見ることはできます。 それも、自分が考えた内容を、第三者になったつもりで、自分で客観的に見ることができるのです。
 ただ、それだけで終わってはだめで、その考えた内容を見て、それをどう判断するかということが重要になります。 そして、そのときに必要とされるのが、実は、「正しさの基準」であるわけです。 何でもそうでしょう。それが良いのか悪いのか、その正しい基準と比べてみないと分らないじゃないですか。 だから、心の探究も同じで、どういう心が正しい心なのか、 どういう考えが正しい考えと言えるのか、これを知ることが非常に重要となってきます。
 交通ルールだって同じでしょ。制限スピードが40Kmのところで、50Kmで走れば悪だし、 40Kmで走ればOKなのです。 たとえは適切ではないとは思いますが、この交通ルールを、心に適応したものが「仏法真理」と言われるものです。
 ですから、心の探究をするためには、「仏法真理」を学ぶということが、まず必要とされます。 これが、幸福の科学の四正道のうちの「知の原理」と言われるところなのです。

【Eさん】 つまり、心の正しさの基準である「仏法真理」を知って、 心の中で考えていることを見て、その内容を点検していくことが「心の探究」なのですね。
  
【お助けマン】 そうです。そのとおりだと思います。 そして、それを続けることによって、硬い心が次第に柔らかくなっていくのです。 実は、このことを、「心を耕す」ということだと私は思っています。
 通常、人は、自分の考えたことについて、「これはいい考えだった」、あるいは、 「これは悪い考えだった」というようには考えたことはなかったと思います。 つまり、考えたならば考えっ放しになっているはずです。
 その考えにメスを入れると言うか、クワを入れることによって、 心がほぐされて、耕されて深くなっていくのだと思います。 そして、それが、心の中に内面世界を作るということではないでしょうか。

【Eさん】 なるほどね。 私も反省を習慣化するようになってから、心の中に空間ができたように感じるようになりましたので、 その耕すということが分るような気がします。

【お助けマン】 それでね、さらに心の真実をお話しするとすれば、 実は、心の探究によって自分の心を第三者の立場から見つめるということは、 心の主(あるじ)になるということでもあるのです。 通常、人は自分の「心」が「自分」であると思っています。 つまり、自分と心とは一体化しています。 そんなことは当たり前だと、皆、思って、誰も疑問を感じていません。 ところが、反省などでその日の一日の終わりに自分が考えたことを見つめるということは、 すでに、もう一人の自分がいることを意味しているのです。 それが、心の主(あるじ)と言われるものなのです。

【Eさん】 いや、心に主(あるじ)がいるなんて考えてもいませんでした。 これは、非常に新鮮です。何かもう一つの世界を発見したような感じがします。

【お助けマン】 そのとおりです。心が自分だと思っている人がほとんどだからです。 心を突き離して、第三者の立場で客観的に心を見つめるなんて、とても難しいことなのです。 ですから、その心に主(あるじ)があることを発見することは、大きな気づきであり、また、悟りの第一歩だと思います。

【Eさん】 これは、大きいです。

【お助けマン】 そして、大事なことは、その心の主(あるじ)は、夜、 反省のときだけに現れるのではなく、常時、自分の傍にいることが大事なのです。 すなわち、自分の考えていることを見つめている人が、常時、自分の隣にいるということなのです。

【Eさん】 なるほどね。もし、そのような存在が隣に居て、自分の考えに対してアドバイスをしてくれるなら、 悪を考えたり、自分の考えに振り回されることはなくなりますものね。

【お助けマン】 そのとおりです。 これは、よく暴れ馬にたとえられます。 心というものは、暴れ馬であると・・・。
 もし、騎手がいなければ、 ノーコントロールとなって、どこまでも駆けていくでしょう。 でも、たとえ暴れ馬であっても、しっかりとした力強い騎手が乗っていれば、 その馬は、大人しく飼い馴らされるということです。

【Eさん】 あっ、その騎手のことが「心の主(あるじ)」なのですね。 よく分りました。

【お助けマン】 ですから、明日から実践されたらいかがですか。 自分の隣に心の主(あるじ)が居て、常に自分の心をチェックしていると・・・。

【Eさん】 いや、それはすごいことを聞きました。 私は今まで、自分の心が考えたことは考えっ放しでした。 それが、もう一人の自分が居て、常に、自分の考えている内容を並行してチェックしているとするならば、 どれほど、心が正されるのかと・・・。
 明日とは言わず、さっそく、ただ今から実践して参りたいと思います。 ちなみに、今、考えたことは、心の主(あるじ)から見てなかなか良い思いだと言っています。
 まだまだ聞きたいことがあるのですが、子供のお迎えの時間なので、これにて失礼いたします。 今日は、本当にありがとうございました。

 と、言ってEさんは帰られました。
 心を見つめて探究するということは、ずい分と奥が深いことだと思われたのではないでしょうか。 実は、あの世の世界では心こそが全てとなるが故に、心を十分に鍛えて向上させたならば、 それがそのまま、その人自体の魂の実力となるということだと思います。 その意味で、原点に戻って「正しき心の探究」を日々実践することは、 極めて重要なことだと思った次第です。
 では、次回も問答が続きます。
 主エル・カンターレに感謝。

(終わり)
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