千日回峰より難しい毎日の反省

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幸福の科学 真理問答

2013/12/22 毎週日曜日発行 

千日回峰より難しい毎日の反省

 昨年の 大晦日に一年間の反省をするために来られたEさんが、再度、年末に来られました。
以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 お助けマンさんから一年間の反省をしなさいと勧めていただいてからちょうど一年が経ったのですね。
 
【お助けマン】 そうですね。あっと言う間の一年でしたね。この一年はどうでしたか? 昨年末の予想通りでしたか?

【Eさん】 いいえ、予想を超えていたものばかりでした。

【お助けマン】 例えば、どういう点ですか?

【Eさん】 はい、まずは経済的なことですが、アベノミクス効果によって株価がここまで上がるとは思っていませんでした。 一時、春ごろに株価が大きく値を上げた後、下落しましたが、そのまま下落が続いていくものと思っていましたから・・・。 それと、異常気象や災害が強く記憶に残っています。 世界中で、洪水などの異常気象が報告されて、特に、あのフィリピンの台風の被害は衝撃的でした。 日本でも豪雨によって 京都の嵐山に洪水があったことにはびっくりしました。

【お助けマン】 そうだったですね。 今年の一年を振り返りますと、何か、段々と地球全体の運命が暗くなっていくように感じられたのではないでしょうか。 これも、天からの警告だったと思います。

【Eさん】 そうですね。早くこの警告に気づいて、人類が反省しないといけないということでしょうね。

【お助けマン】 そうです。そのとおりです。ところで人類の反省はさておき、Eさんの反省行の実践は、どうですか?

  
【Eさん】 あー、そうでしたね。 先回のAさんとの対談も読ませていただきました。 たとえ、千日回峰を二度も達成した大阿闍梨であっても、「反省なくして悟りなし」は本当にいい勉強になりました。 私は、お助けマンさんが教えてもらったとおり 反省の実践を続けるようにしていますし、 また、精舎に行って生涯反省もさせていただきました。
  
【お助けマン】 それはすごいじゃないですか・・・。

【Eさん】 そうなんですが、でも、その反省を毎日続けるのが難しくて・・・。

【お助けマン】 やっぱりそうでしたか。 誰でも悟り初めのときは求道心も強く、反省の修行に打ち込めるのですが、 それを続けるのが難しいのです。 これを 「悟後の修行」と言って、本当に大事な修行なのです。 実は、先回、あまりにも力んではいけないと思って言わなかったのですが、 毎日、反省をすることは極めて難しいことなのです。 後から言って申し訳ないのですが、実は、 『釈迦の本心』の第3章「六波羅蜜多」の「8禅定波羅蜜多」のところで、次のように説かれています。

 たとえば、日曜日などの閑暇(かんか)が訪れたときに過去を振り返るのは、 そう難しいことではないかも知れません。しかし、毎日を忙しく過ごしていながら、 日々、みずからの心の内や行動を振り返るのは、容易なことではありません。 こうした日々を積み重ねていくのは大変なことなのです。(中略)
 現代でも、禅宗においては、人里離れた庵(いおり)や寺の中で、 人びとが座禅を実践していますが、日常性から脱却して心の世界を探究するのは、 そう難しいことではありません。しかし、日々の仕事をしながら、 その中で禅定の状態を続けるというのは、非常に困難なことなのです。

 とあり、日々、仕事をしながら反省などの禅定をすることがいかに困難なことかが述べられています。
  
【Eさん】 えー、そうだったのですか。 お助けマンさんも意地悪じゃないですか。初めから言ってくれればいいのに・・・。
  
【お助けマン】 ごめんごめん。あまり初めから言うと変に構えると思って言わなかったのす。 でも、日々の反省を継続することは難しいからこそ、また、その効果も大きいということだと思います。 むしろ、千日回峰のようにそれだけをすればいいなら、そのほうが楽なのです。 ですから、日々仕事をしながら、1日30分でもいいから反省をすること、 このほうがスパーマン的に千日回峰するよりも難しいということです。 逆説的ですが、1日30分でもいいという易行道だからこそ、その実践は難行道より難しいのです。
  
【Eさん】 ところで、先回、私が反省することによって自分が変わったことを言いましたが、 今度は、お助けマンさんが変われたことを聞きたいです。お願いします。
  
【お助けマン】 いやー、困ったな。Eさんのように新鮮さはないと思いますが・・・。
  
【Eさん】 ずるいですよ、私だけに言わせて・・・。
  
【お助けマン】 分かりました。 以前、自分の 心の中に異次元の空間ができるように感じると言いましたが、 やはり、今でもそのとおりだと思っています。 反省を習慣化することによって、自分がどう変わったのか、うーん・・・、少し考えてみたいと思います。
 そうですね。箇条書き的に言えば、
 (1)まず第一に、自分を他人の目で見られるようになったということです。  (2)第二2に、
【Eさん】 そうそなんだ。

【お助けマン】 だから、智慧す。

【Eさん】 いやー、今日もいい勉強になったよ。 僕も元はジャーナリストなので、人のうわさとか見てくれだけで判断しないようにしてきたが、 それにしても、大阿闍梨を大々的に取り上げて放映したテレビ局などは、 オウム教のときと同じ過ちを犯しているんじゃないの。 これこそ「大反省」だね! ありがとう。じゃ、今日はこれで帰るよ。

 と、言ってEさんは帰られました。
 今回、大川総裁は、137分にわたって死後の迷いの中にあった酒井雄哉大阿闍梨に引導を渡して救済をされました。 しかしながら、仏陀から直々に説教して頂けれるのは、まれのまれと言っていいでしょう。
 今後も真理を知らず、ただ形だけで修行をしている修行者が、死んだあとにどうなるのか、 想像するだけでもゾッとするのは、おそらく私だけではないでしょう。 従って、彼らが、死後迷って地上の人々に憑依しないためにも、 この書籍ができるだけ多くの人々に読まれることを願うばかりです。
 では、次回も問答が続きます。  主エル・カンターレに感謝。

(終わり)
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