幸福の科学における多様性とは何か

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幸福の科学 真理問答

2013/11/24 毎週日曜日発行 

幸福の科学における多様性とは何か

 私の友人で、元ジャーナリストのAさんが来られました。 Aさんは、過去、世の中の宗教に対して興味をもって 調べて来られた方です。
以下は、Aさんとの会話の内容です。

【Aさん】 いやー、また来させていただきました。
 
【お助けマン】 いつでもウエルカムですよ・・・。
 ところで、今日来られたご用件は何でしょうか?

【Aさん】 実はね、先日、色んな人たちと宗教について話しをしてたのだけど、 ほとんど人たちは、宗教自体にアレルギーを感じるらしく、 宗教と聞くだけでもう拒否反応が出て、これでは公平な判断ができないと思ったんだ。

【お助けマン】 でも、Aさんは立派ですよね。そういう世間一般の空気に流されず、 ご自分で、いつも真実を確かめて判断するという態度をとっておられますので・・・。

【Aさん】 そうなんだ。僕は、偏見とか空気とかは好きじゃないんだ。 だから洗脳なんかは大嫌いで、自分でこうだと納得しないと気が済まないタイプなんだ。

【お助けマン】 そういうご判断をができる方が、世の中に非常に少ないのは残念なことと思います。

【Aさん】 それでだ、よく聞いてみると、宗教は信仰に基づくものであるが故に、 もし、自分が宗教に入ると自分の自由な意志が否定されて、 強制的にその宗教の価値観に縛られると思っている人が多いんだ。 だから、宗教には入りたくないと・・・。

【お助けマン】 それはよく聞きます。つまり、宗教には多様性がないと・・・。

【Aさん】 そうなんだ。 例えば、一神教だと、「この神だけを信じなさい、他の宗教を信じてはいけません」とかよく言うよね。 あなたのとこも同じじゃないの。仏陀である大川隆法総裁を信じなさいと言っているのでしょ。
 でも人間って、誰しも自由じゃない。自分が何を信じてもいいし、どのような価値観を持ってもいいと思うんだ。 そのように多様性を認めないこと自体が、宗教アレルギーを多く作り出しているんじゃないの?

【お助けマン】 確かにキリスト教では、「イエス・キリストだけを信じなさい、 他の宗教は信じてはいけません」と言っていますし、それは、イスラム教や他の宗教でも同じと思います。 しかしながら、イエスさまは「わが父」という表現をされて、自分には、「父なる神」がいることをおしゃっていたのではないですか?

【Aさん】 それと、どういう関係があるの?

【お助けマン】 確かに、過去の宗教では、必ず開祖がいて、 その人が説く教えを学び、その開祖を信じるスタイルが多いと思います。 そして、その開祖の個性でもって説かれた教えがあって、その個性に共鳴した信者の人たちがやってきたと思います。
  
【Aさん】 だから、その個性に共鳴させられるのがいやなんだ。 だって自分の好き嫌いは自由じゃない。 会社だって、自分の好きなところに就職すればいいのであって、 ここに就職しなさいと言われるのは大きなお世話だと思うんだ。
  
【お助けマン】 さすがAさんですね。核心をつかれていますね。 じゃ少しお話しをさせていただきます。
 もし、宗教を会社にたとえられたとして、例えば、会社の業種には、自動車製造業があったり、 建設業、家電業、銀行業、医療病院業、食品業、農業や漁業など、数え切れないくらいの業種があります。 その中で、自分がどの業種の会社に就職するかは、もちろんその人の自由です。 大学で医学を勉強した人は病院に勤めますし、機械いじりが好きな人はトヨタや日産などの自動車産業に就職するでしょう。 ですので、宗教も同じだと思います。 愛が好きで人々を救いたいという人は、キリスト教を選びますし、悟りたいという人は仏教を選ぶのです。
 じゃ、幸福の科学はどうかといえば、これは非常に表現が難しいのですが、 従来の宗教での単一の個性で表わされるような宗教ではないということなのです。 つまり、会社で言えば、一社に自動車業、建設業、家電業、銀行業、医療病院業、食品業、 農業や漁業などの全ての業種が存在し、その業務をこなしているということでしょうか。
  
【Aさん】 えー! それは無理じゃないの? 一社で、全ての業種をこなすなんて、そりゃ無理だよ!
  
【お助けマン】 だから、会社の例のたとえなので、そう思われたのでしょう。 しかしながら、会社でもパナソニックは、家電以外の住宅産業も立派にこなしていますので、 もし、会社に能力があって、その幅が広いならばそれは可能でしょう。
  
【Aさん】 それはそうだ。でも、そのような宗教があるのかね。 過去、宗教は皆、単一の個性のところばかりで、現代の人のニーズを満たしていないと思うよ。
  
【お助けマン】 だから、幸福の科学の表現が難しいと言ったのです。 つまり、過去、使われてきた「宗教」という概念で説明することができないからです。 なぜなら、幸福の科学は全ての個性や、全ての価値観を合わせ持っているからなのです。

【Aさん】 えー! でもなぜ、全ての個性や価値観を合わせ持っていると言えるのかね?

【お助けマン】 実は、それを解くカギは、イエスさまのお言葉にあったのです。 イエスさまは、天にわが父がいると言われています。 つまり、天に父がいて、ご自分は個性あるその子供たちのうちの一人だと言われているのです。 ですから、もし、その父なる存在が地上に降りられて教えを説かれたならば、 子供たちである神々の個性や、その教えの全てを説くことができるのは当たり前となります。
 
【Aさん】 なるほど、そういうことか。 だから、これだけ多くの神々や霊人の霊言を出せるということなのか・・・。

【お助けマン】 そのとおりです。さすがご理解が早いですね。
 だから、もし、従来の宗教で単一性にしばられるということがあったとするならば、 その教祖の多様性に限界があったということなのです。 しかしながら、幸福の科学は、従来の「宗教」の概念をも超えて、その「多様性」をこそ特徴としているのです。
  
【Aさん】 じゃ聞くけど、それだけの多様性を含むなら、オウム教の個性も含むのかね?

【お助けマン】 とんでもないです。それは含みません。 大事なこと言い忘れましたが、多様性という言葉を誤解してはいけないのですが、 これは立体的に考えるべきなのです。 個性としての思想や価値観には、横の広がりとして多様性があります。 それと同時に、上下に分けられるものもあります。つまり、それは天国的なるものと地獄的なるものです。 幸福の科学では、この上下についてもはっきりと判断を出しています。 例えば、人類の歴史上で偉大な功績を残したと言われているダーウィンやマルクスは、 今、地獄にいるということが幸福の科学の霊査によって明らかにされています。 たとえ、世の研究者から尊敬されている人たちであっても、善悪の基準から悪という判定がありうるのです。 それが分かるのも幸福の科学なのです。
  
【Aさん】 それはそうだよね。 皆、自由な個性を持っていいですよ、とは言っても、サリンを撒いたり、人をポアして殺す自由が認められるわけはないものね。

【お助けマン】 そうです。自由だと言っても、人を殺すことも自由というわけではありません。 あくまでも、神の目から見て「善なる自由」こそが許されるということなのです。

【Aさん】 そうだな。そこが難しいね。 他人に迷惑をかける自由が許されるはずはないものね。 幸福の科学を他の宗教と同じ概念で考えていたよ。 これだけ多くのジャンルにわたって本が出されているということがどういう意味を持っているのか、 また、これだけ多くの霊言が出されるということがどういうことなのか、 もう少し深く考える必要があったと思う。 何か、幸福の科学を宗教と呼ぶには、従来での先入観で見られてしまうので、 別の言葉で言わないといけないのかも知れないね。

【お助けマン】 例えば、どういう言葉になるでしょうか?

【Aさん】 うーん。よく分からないけど、それが「エル・カンターレ信仰」という言葉なのかも知れないね。

【お助けマン】 なるほど。 幸福の科学の多様性とは、主エル・カンターレそのものだということだからですね。 つまり、多次元のすべての宇宙を包摂する存在ということでしょうか。

【Aさん】 それは、根本の神ということじゃないの。
 と、いうことは、全ての個性を含むが故に、誰でもが信じられるということか・・・。 これで人類は、みな心を一つにして互いが理解し、愛し合えるということになるんだね。
 今日はいい勉強になったよ。 幸福の科学を安易に「宗教」という言葉で呼べないような気がしてきたよ。 でも、これを知ったら、誰でも「学ばなきゃ損々」ということだろうね。 じゃ、今日はこれで失礼するよ。

 と、言ってAさんは帰られました。
 過去の「宗教」と言葉に付着した偏見に負けず、正しい判断をした人こそが、真の知識人と言えるのではないでしょうか。 そう言った意味では、Aさんは、数少ないその人の一人だと言えると思います。 まだまだ、偏見との戦いは続きます。
 でも、「真実は真実、事実は事実」です。誰も、これをねじ曲げることはできません。 ・・・、いや、それをやろうと、今でも無駄な抵抗を続けている存在を忘れていました。それが悪魔なのです。
 では、次回も問答が続きます。  主エル・カンターレに感謝。

(終わり)
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