信仰シリーズ「日本人とアニミズム信仰」

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幸福の科学 真理問答

2013/05/12 毎週日曜日発行 

信仰シリーズ(その1) 「日本人とアニミズム信仰」

 Eさんは、入会してもう1年となられました。
真理の学習も進んで、反省の修法を毎日習慣として続けられています。 そのEさんが日々信仰を深めるにあたり、ときどき信仰について分らないことがあると言ってやって来られます。
以下は、Eさんとの会話の内容です。

【Eさん】 先回まで禅定についてのお話しをありがとうございました。 真理というものは、教学的に学ぶだけではなく、実践して身に付けていくものだということがよく分かりました。 ところで最近、私は、信仰について考えるようになり、大川総裁の書籍の信仰のところをよく読むようになりました。 ところが、時々よく分からないところもあって、今日はそのところを聞きにやって参りました。
 
【お助けマン】 いや、いつでも大歓迎ですよ。実は、Eさんの勉強熱心にはいつも頭が下がる思いなんですよ。 ところで、今日はどう言ったご質問ですか?

【Eさん】 はい、実は、 『繁栄の法』の第2章「霊界の真相」中にある日本人のアニミズムについて書かれているところです。
 
【お助けマン】 もし良かったら、その部分を読んで頂けませんか?

【Eさん】 はい、106ページからのところなので、その部分を読ませていただきます。

 日本の伝統的な霊界観のなかには、仙人や天狗、妖怪の世界という、裏側の世界の霊界観がかなり濃厚に入っています。 「裏側のほうを表側だと考えているのではないか」と思えるほど、裏側の霊界観がしみ込んでいるのです。
 そして、伝統的には、それがアニミズム(自然崇拝や精霊崇拝)のようなかたちになっています。 日本神道にもそういう面があります。
 そのため、木や石など、いろいろと自然のものを崇拝します。また、動物崇拝もあります。 イノシシ、狐、猿、蛇など、人間にはないような異常な精力を持つ動物を、 「これは神ではないか」という畏(おそ)れを持って崇拝するのです。
 このように、人間界以外の自然に対する信仰が日本にはあり、それが連綿と続いてきています。 これは西暦500年すぎに仏教が日本に入ってくる前から続いている流れであり、 いまでも日本人の文化意識のなかに強く残っています。
 日本人に「あなたは宗教を持っていますか」ときくと、「無宗教です」「無神論です」と答える人が多いのですが、 だからといって、そう答えた人に信仰心がまったくないわけではありません。

 と、あります。
 そこで質問なのですが、日本には、なぜ、このようにアニミズムでも信仰ある人が、改めて宗教について聞かれると、 「無宗教です」「無神論です」と答える人が多いのでしょうか?
 
【お助けマン】 私は、日本人はもともと信仰深い国民だと思っています。 人が死んだりすると必ず手を合わせますし、正月には初詣もしますし、また、結婚式は神前や仏前で行うことが多いと思います。 ですから、全く信仰心がないとは思っていません。

【Eさん】 そこなんですよ、分らないのは・・・。そのように信仰心がないわけではないのに、なぜ、 信仰や宗教を否定するのでしょうか。
  
【お助けマン】 それについては、大川総裁がご著書の中で随所に述べられていますが、 今日は、私から、 『幸福の革命』の第3章「新しき出発」の中での「戦後体制の最大の欠陥」と題して述べられているところを紹介させて頂きます。

 戦前の日本では、天皇制の下で国全体が思想的に一元化され、それに刃向かうことが許されないような、 全体主義的な思想統一が行われた結果、個人の良心や意思にもとづく、言論や思想の自由が踏みにじられました。
 そして、あのような戦争に至り、国民全体に悲惨な結果をもたらしたのです。こうしたことへの反省から、 国民の「思想・良心の自由」「信教の自由」などを守るための防波堤として、 前述の規定(「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」<日本国憲法第二〇条三項>) が設けられたわけです。
 しかし、公的な学校教育から宗教が排除されたことと軌を一にして、マスコミ系統、特に新聞等では、 「宗教を宣伝的には扱わない」という傾向が続いてきました。 「宗教は表の世界から隠れるべきである」というような風潮が、五十年間も続いてきたのです。

 と、あります。
 つまり、本来、日本人は信仰や宗教に対しては、もともと親和性のある民族であったわけですが、 先の大戦の敗北の経験で、むしろ宗教を避けて通るような社会的風潮をつくり出したとも言えるのです。

【Eさん】 やっぱりそうですよね。たとえマスコミや教育機関が宗教を否定したとしても、 国民は先祖を大切にしますし、また、神社にもお参りに行っていますものね。
では、なぜ、日本人に昔からアニミズムのような信仰形態があったのでしょうか。
 
【お助けマン】 もちろん高等宗教である仏教もありましたが、 アニミズムは仏教が入って来る前から存在していました。しかし、これは何も日本だけのことではなくて、 世界の至るところに現在でも残っています。では、なぜアニムズムがあるのか、 それについては、先ほどEさんに読んで頂いた『繁栄の法』の中にありましたよ。

【Eさん】 あぁ、109ページですね。そこを読んでみます。

 アニミズムも一概に否定はできないでしょうが、それは後(おく)れた宗教であると言わざるを得ないのです。
 もっとも、日本だけが後れているのではありません。インドもそうです。インドでは、仏教はほとんど滅びましたが、 いまも生き残っているヒンズー教を見ると、日本の自然崇拝とあまり変わりません。 ガンガー(ガンジス河)を神として祀(まつ)ったり、 猿などの生き物を一生懸命に崇拝したりしています。これは日本のアニミズムと同じです。
 このように、太古返りをしたような宗教が現在でも根強く生きています。教えに基づく宗教、価値観を教える宗教においては、 「考える」ということが必要になるので、考えることが苦手な人びとは、考える必要のない方向へ、簡単に戻ってしまうのです。
 しかし、それは人間が動物の世界へと押しやられていることを意味しています。 「自然はそのままでありがたい。森がありがたい。山がありがたい。川がありがたい」というのは、 野生動物の考え方そのものです。

 と、しっかりとありますね。
 要は、考えることが苦手であると、考えなくてもいい方向へと逃げてしまうということですね。

【お助けマン】 そのとおりです。その中にもありますように、高等な宗教には「教え」があり、 「この価値観に則(のっと)って生きれば、仏神に近い世界に行くことができ、地獄に堕ちない。しかし、 この価値観に従わずに生きたならば、死後、苦しい生が待っている」という教えを学ぶことができるのです。
  
【Eさん】 分りました。 やはり信仰にも段階があるということですね。アニミズムは一概に否定されることはないが、 それでは動物と変わらなくなってしまうので、やはり人間としての信仰のありかたを理解して、 できるだけ高等宗教を学ぶことが大事だということですね。

【お助けマン】 さすがEさん、理解が早いですね。 だから高等宗教が広まった国には文化や芸術、そして学問の高みが現れるということです。 私が聞いた話しですが、未開のジャングルに住んでいる人たちにとっては、過去は一つしかなく、 昨日も十年前も同じだそうです。それでは現代人は生活していくことはできませんが、 そのような価値判断をするようなところがまだこの現代にあるそうです。

【Eさん】 だからこそ、「教え」を学び、正しい価値観を持つことが大事なのですね。
  
【お助けマン】 そうです。宗教とは、価値観を提示し、物事の正邪を教えるものなのです。 それによって善悪を判断し、善を選び取っていくことができるのです。 これが本来の宗教の使命であると言っていいと思います。
 
【Eさん】 はい、よく分りました。 アニミズムも全面的に否定されるものではありませんが、高等宗教へのステップであると考えれば、 その意味も分るような気がします。
 今日はアニミズムの意味を教えていただきありがとうございました。 それでは、今日はこれで失礼いたします。

 と、言ってEさんは帰られました。
人間と動物を分ける基準として、信仰があるか否かで判断されると言われています。 欧米では信仰を持たない人間は、動物と同じと見なされるそうです。私たちは、動物レベルにならないためにも、 宗教に対する奇怪な偏見を乗り越えて、もっともっと信仰の持つ本来的な意味を広げていく必要があると思った次第です。
 次回も信仰シリーズが続きます。 主エル・カンターレに感謝。

(終わり)
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