何が起きようとも、信仰を絶対に離さない!

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幸福の科学 真理問答

2012/12/25  

何が起きようとも、信仰を絶対に離さない!

 入会間もないEさんが、少し疲れた様子でやって来られました。どうも色々な出来事が続いたので、どう考えていいのか分らなくなってやって来られたようです。
以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 私は入会間もないからだと思うのですが、幸福実現党が、地球神であるエル・カンターレが下生されて立ち上げられた政党であるにもかかわらず、 また、天上界の神々がこぞって応援して下さっているにもかかわらず、今回の選挙で1人の議員も出すことができなかったことに納得がいかず、 それでやって参りました。
  
【お助けマン】 いやいや、そういうときこそ大歓迎ですよ。信仰には、必ず試しがありますので、一つひとつを乗り越えていくことこそが大事なのです。
 ところで、Eさんが入会されたのはいつでしたっけ。
  
【Eさん】 はい、今月でやっと半年になるところです。

【お助けマン】 そうでしたか。私のところに尋ねて来られて、もう半年が経ったのですね。
 
【Eさん】 はい、三帰誓願式で「正心法語」を頂いてから半年が経ちました。その間に、法友から勧めていただいた大川総裁の書籍については、もう、ほとんど読ませていただきました。

【お助けマン】 いや優秀ですね。半年で主要書は読まれたのですね。
 
【Eさん】 はい、全部で1000冊近くあると聞いていますが、基本の三書(「太陽の法」、「黄金の法」、「永遠の法」)から始めて、 法シリーズの本は、ほとんど読んだと思います。それで、大川総裁が説かれる法については、これはもう人間わざでは絶対に説けない内容であると自分なりに納得させて頂きました。
 しかしながら、その法によって、大川総裁が再誕の仏陀でありエル・カンターレであると信仰まで立っているのですが、 毎度選挙に敗れたり、総裁ご自身が離婚をされたり、色々な出来事が起きるたびに、どっちを信じていいのか分らなくなることがあるのです。

【お助けマン】 分りますよ。私も、信者になった当初は、書籍で説かれた法と、この世的に現れた形との違いから、 ふらふらとしたことがありましたから・・・。

【Eさん】 えっ! お助けマンさんも、揺れられたことがあったのですか・・・。
それで、そのときは、どのようにしてその迷いから脱出されたのですか?

【お助けマン】 そこですよね、大切なのは・・・。実は、私は、いつも「迷ったら法に戻れ」を合言葉にしていました。 つまり、仏陀は、もちろんこの世では人間として生き、また生活されていますが、その本質は「法」なのだということなのです。 少しその部分をご紹介しますと、 『永遠の仏陀』の「あとがき」に、このようにあります。

 仏陀とは、人にして法なり。法にして、人なり。しかして、地域を超え、時代を超えた、最大の愛の顕現でもある。 本書は人類の宝である。至宝である。

 と、あります。
 通常、人を判断する場合どのように判断するかと言えば、見える範囲で言えば、その人の言葉や行いによって判断します。 例えば、その人の言葉や行いが、他人を傷つけていないか、あるいは、世の中の人々から見てどうであるのか、 ウソを言ったり偽善的であったりはしないか、また、他の人から見て違和感を抱かせるようなことはないのか・・・。 おおよそ、そのような観点からその人を判断します。
 しかし、仏陀や救世主の場合は、それだけではありません。その人が偉大なる神の言葉を伝え、また宇宙の普遍的な法を説かれているならば、 その判断は、全てこの部分によってなされることになります。
  
【Eさん】 おしゃっていることが今ひとつ分らないのですが、具体的にはどういうことなのですか?

【お助けマン】 つまり、その人が神の言葉を伝え、宇宙の普遍的なる法を説かれているならば、 それは、仏陀であり救世主であるが故に、その人に対する判断は法によってなされることになります。 従って、自分が一旦それを信じたならば、たとえ、この世的に何が起きようとも、それに振り回されることなく、 どこまでも、法を説く仏陀や救世主を信じ抜くことができるようになるということです。
  
【Eさん】 でも、何ゆえに困難が現れるのでしょうか。

【お助けマン】 それも神仕組みであるとまでは断言しませんが、ある意味で試しであると言えます。 すなわち、「そうであっても汝信じるや」「選挙結果がこうであっても信じるや」「救世主が離婚をしたとしても信じるや」 ということだと思います。つまり、法と、仮に現れたこの世の世界のどちらを信じるのかを問われているのです。
  
【Eさん】 そうだったのですか! 以前に元職員や幹部であった人が仏敵になったということは、 法よりも、この世的なことに惑わされたということですね。

【お助けマン】 そうです。もし、少しでも迷いがあったならば、法に戻らなければいけなかったのです。 ですから、この世的なる側面だけを見ていると、誰でも判断を誤ります。しかしながら、その前に説かれた偉大なる法があるのです。 元信者であっても、かつて、この法に感激したはずです。仏陀と信じたはずです。その感激を忘れた理由は、常に法に戻ってそれを学ばなかったからなのです。
  
【Eさん】 あっ、分りました。それが、仏陀とは人にして法なり。法にして人なりの意味だったのですね。 仏陀は、人間でありながら法であるという、もう一つの側面があるということだったのですね。 通常の人は、この世的なる面だけでもって認識される訳ですが、仏陀は「法」が全てなのですね。それが本当のお姿だということなのですね。 だから「法身」と言われるのですね。
  
【お助けマン】 そうです。よく気づかれましたね。ですから、救世主の人間の姿だけを見て、皆つまづいてしまうのです。 救世主だって人間として生活をしていますので、食事もすれば排泄もします。また、ときには風邪をひくこともあるでしょう。
 だからと言って、通常の人間だと思ったならば、本当の部分を見ていないということになるのです。 それは、仮に現れている部分だけでもって全てを判断してしまうという大きな過ちを犯すことになります。 インターネットのブラックサイトを見てください。元信者で転落した人間や邪教信者であふれています。 また、元信者でなくても下劣週刊誌に下劣インターネット新聞、これらは全て真実の部分を見ずに判断してしまった哀れな姿です。

【Eさん】 今日は、よーく分りました。何か胸のつかえが降りたように思います。
 「迷ったら法に戻れ」ですね。私もこれを合言葉に転落しないように頑張って参ります。 今日は、本当にどうもありがとうございました。これで失礼します。

 と言ってEさんは帰られました。これからも色々な出来事が起きてくることでしょう。だけれども、それらは私たちの信仰心を磨くためのありがたい砥石であり試練でもあります。 信仰とは、試練を通して強くなるのです。ですから、よくぞこんなにも出来事が起きるものだと思いがちですが、実は、天が私たちの信仰心を鍛えるために、 あえて色々な学習の単位を与えて下さっていると思えば、これはこれはありがたいことだと思います。 そうまでして私たちを育ててくださっている主に深く感謝いたします。
 エル・カンターレに感謝。

(終わり)
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