再誕の仏陀を信じること自体が悟りである

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幸福の科学 真理問答

2012/08/27  

再誕の仏陀を信じること自体が悟りである

先回来られたEさんが、再誕の仏陀を信じることと、悟りとはどう関係するのか、また、「逆悟り」とは何なのか、それを知りたいと言って、またやって来られました。


以下は、そのときのEさんとの会話の内容です。

【Eさん】 今日は、ずばり「再誕の仏陀への信仰」と「悟り」について聞きにきました。実は、先日、ある人が「逆悟り」という言葉を使っていましたので、まずは、その意味から教えていただけませんか?

【お助けマン】 はい、「逆悟り」という言葉自体は、あまり使われていないようですが、そのように表現する人もいるようですね。

【Eさん】 それで、逆の悟りですから、おおまかには分かるのですが、もうひとつ、 その意味が分からなくて・・・。

【お助けマン】 はい、分かりました。それでは、お話しをさせていただきます。
ところで、Eさんは、「努力逆転」という言葉をご存知ですか?
 
【Eさん】 はい、努力すればするほど逆効果となるので、むしろしないほうがいいという意味ですよね。

【お助けマン】 そうです。努力自体は立派な行為で、これは誰もが認めていることです。しかしながら、その努力の方向性が逆なら、むしろそれをしないほうが良かったという意味です。 例えば、泥棒や振込みサギで努力したり、あるいは強盗や殺人で努力するなどは、まったくやらなかったほうがいいということです。
 ですから、その努力の方向性は、極めて重要なことなのです。
 
【Eさん】 では、「逆悟り」とはどういうことですか?
 
【お助けマン】 逆悟りは、努力逆転の意味を知れば、もうお察しがつかれたことと思いますが、方向性が逆の悟りのことを言います。つまり、努力逆転の悟りなのです。
 ですから、例えば、邪教などで間違った信仰を持って修行をすることや、また正しい信仰である仏陀や救世主を否定したり、批判や中傷することを言います。従って、自分では悟りのためにやっているのだと思っているのですが、修行をすればするほどに悪くなっていくことを意味しています。
 例えば、今どきオウム教を正しいという人はいないと思いますが、そのオウム教で努力して修行をすれば、努力逆転で社会的にも問題を起こすことになりますが、そのようになっていく悟りのことを、逆悟りと思っていただければいいと思います。
    
【Eさん】 なるほどね。間違った信仰で修行するなら、むしろ信仰しなかったほうが良かったということですね。
 ところで、先日いろいろと教えて頂いて、私自身は、大川総裁が再誕の仏陀であることを確信していますが、人によっては、私は神を信じるが、地上に降りられた現成(げんじょう)の仏陀である大川総裁は信じられないと言っている人もいるようですが、これはどう考えればいいのですか?

【お助けマン】 はい、それに対する答えは、すでに大川総裁から教えとして出されています。大川総裁の著書の『仏陀再誕』第7章「信仰と仏国土建設への道」【仏陀への帰依】から、その部分を読んでみます。

 仏陀は仏陀として尊いのではない。
 仏陀は、その力を、その悟りを、その光を、その愛を、その慈悲を、
 偉大なる大霊から授かっているがゆえに、尊いのである。
 たとえ、宇宙の根本仏に対する帰依の姿勢があろうとも、
 たとえ、霊実在界におけるところの
 高級霊に対する帰依の精神があるとしても、
 地上に降りたる仏陀に対する帰依の精神なくば、
 この信仰は偽者(にせもの)である。

  ---(略)---
 自分の都合によって、勝手な偶像を大宇宙の根本神として描き、
 また、実在界にあるところの
 特定の霊を心のなかに描いて、信仰したとしても、
 もし、地上にある仏陀の教えを誹(そし)り、これに背(そむ)く者あらば、
 それは大宇宙大霊の意に反していると言ってよい。
 なぜならば、
 大宇宙大霊はその時代のすべての責任を仏陀に命じているからである。
 仏陀は、すべての権限を持って、地上に降りているからである。

 と、あります。従って、地上に仏陀があるときに仏陀に帰依することが、正しい信仰の形態であり、また正しい方向性でもあるということです。
    
【Eさん】 ほんとうですね。大宇宙の大霊と地上の仏陀とは一体ということですね。

【お助けマン】 はい、そうです。ですから、地上にある仏陀を信じることが、正しい悟りへの第一歩となります。 これを、悟りの言葉で言えば「正信」といい、「八正道」の 「正見」に位置づけられます。
 従って、大川総裁が再誕の仏陀であることを信じることは、もう立派な悟りなのです。 だからこそ、「再誕の仏陀を信じること自体が悟りである」といえるのです。
 また逆も真なりで、再誕の仏陀を信じられない人は、残念だが何も悟っていない人ということです。さらに、仏陀を誹謗・中傷すれば、これこそが「逆悟り」ということです。
    
【Eさん】 非常によく分かりました。この先、私も教えを学んで精進をしていきますが、もし、最初に目指す信仰の方向性が違ったら、すべてが台無しになるところでした。今、正しい信仰を持つことができて非常に感謝しています。今日も本当にありがとうございました。

と言って、Eさんは帰られました。今、2500年前の仏陀の時代、そして、2000年前のイエスさまの時代と同じ奇跡の時代に私たちは生きています。その喜びを改めて感じなければ、何も分かっていないのと同じであると思った次第です。
 それにしても、その喜びにまだ気づいてない人たちや、その喜びを否定しまた批判している人を見るにつけても、その愚かさと哀れさに涙を禁じ得ないのは、天上界とて同じではないでしょうか。 現成の仏陀に感謝。

(終わり)
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