なぜ、ブラック・サイト書き込み者に元職員がいるのか

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幸福の科学 真理問答

2012/06/23  

なぜ、ブラック・サイト書き込み者に元職員がいるのか

私の友人のBさんが、ブラック・サイトへの書き込みの中に、元幸福の科学の職員だと名乗っている人間がいることを知って、心配してやってこられました。


以下は、そのときの会話の模様です。

【Bさん】 先日は、サイトへの書き込みに、色々と間違いがあることについて教えて頂いてありがとう。

【お助けマン】 こちらこそ。聞いて頂いて本当に良かったと思います。間違った情報が、そのまま一人歩きすることこそ困りますので・・・。
 ところで、本日お聞きになりたいこととは何ですか?

【Bさん】 いやー、どう言えばいいのか困るのだけど。先日、偶然、検索でブラック・サイトが検索結果に引っかかったので、見ていたら、おたくの団体の元職員だったという人間が、それはそれは、ひどい書き込みをしていたのだよね。読んでいるうちに吐き気がしてきたので、途中で止めちゃったんだけど・・・。

【お助けマン】 そのサイトを見られたのですか。私も、最後までは読めません。途中で、気持ちが悪くなって我慢できなくなります。

【Bさん】 あなたもそうなの。じゃ、自分だけではなかったんだ。ところで、元職員と言えば、出家した人ということだよね。信仰心があって出家までした人間が、なぜ、こうなっちゃうの? 僕には、理解できないんだけど。

【お助けマン】 そうです。出家した人たちです。しかも、初期に出家して職員になった人だと思います。実は、そういう人たちほど、今は、ブラック・サイトで下劣な書き込みをしている人がいます。先ほど信仰心があって出家したと言われましたが、当初出家した人の中には、宗教回りをしてきた人が結構いました。別名、宗教ジプシーと言うのですが、当初は、活動も勉強も熱心にしていた人たちです。

【Bさん】 じゃ、そういう人たちが、なぜ、あんな情けない姿になるの?

【お助けマン】 私も、本人たちと、じっくり話しをしないと分からないところがありますが、これだけは、はっきりと言えます。先ほど、信仰心があっての出家と言われましたが、彼らは、信仰心によるものではなく、早い時点で教団に入って、自分が教団の中で高い位置に付きたいと思ったのでしょう。能力が低いので、一般の社会では自分を認めてもらえないので、宗教の世界に入って自分を尊敬してもらいたい、という思いがあったのではないかと。

【Bさん】 それじゃ、自分のために教団を利用しただけということになるんじゃないの?

【お助けマン】 そうです。不思議なことですが、彼らには共通点があります。教団が小さいときは、出家する前に色々な宗教を回ってきて宗教的知識があるので、他人からも一目置かれて重宝されますが、教祖が法を説かれて皆が勉強し始めると、相対的に自分の宗教的知識が低下して、皆から尊敬されなくなるのです。そこで、色々と教団の不満を言ってみたり、法の一部分をとって批判しはじめます。

【Bさん】 法の一部分とは、どういうことなの?

【お助けマン】 例えば、教祖は、愛を説いているのに、愛がないと言ったりするのです。つまり、自分は、当初から献身的に教団の発展のために尽くした、それなのに、色々な人が出家して入ってくるにつれて、私を重宝しなくなった、これは、愛のない証拠であると。

【Bさん】 でも、それって、自分だけを愛して欲しいと言っているのと同じじゃない。

【お助けマン】 そうです。それは、もはや「与える愛」ではなく、自分を愛して欲しいという「奪う愛」になっているのです。百歩ゆずって、奪う愛でないとしても、愛の発展段階が説かれているのですから、「愛する愛」で、親子や夫婦に対する与える愛から始まって「生かす愛」もあり、愛と言っても種々の発展段階があるので、愛する愛の段階だけで止まっている訳ではないのです。つまり、多くの人々のためのもっと高次の愛があるのですが、これを理解していないのです。だから、愛がないと言ってしまうのです。

【Bさん】 そう言えば、教祖さまの離婚問題も、夫婦の愛よりも高次な、公人として人類を救うという愛を優先されたということだったよね。ところで、なぜ、元職員が、お世話になった団体を、これほどひどく誹謗したり中傷するのかね。

【お助けマン】 それは、本当に人間の弱いところだし、醜いところが出ているのでしょうね。霊的な話し(魔)を抜きにしても、よくある話しとして理解できると思いますよ。 例えば、自分に問題があったにもかかわらず、会社をクビになった人間が、会社をうらんで、ネットに会社の悪口を書いて困らせるとかありますが、そのようなことでしょうね。非常に次元が低いことです。自分では正義ぶっているのでしょうが、自分の個人的うらみが正義になることなどあり得ないです。だから、ブログを読んだ人にとっては、大きな迷惑ですよ。

【Bさん】 そう言えば、ブログのつぶやきであっても大問題となり、書いた本人が、損害賠償を請求される事件も起きているみたいだね。先日、ネット犯罪をキーにして見ていたら、牛丼チェーン店の従業員が、会社の勤務ローテーションに不満があって、気持ちが悪かったので肉鍋に吐いてそのままお客にそれを出したと嘘をつぶやいたら、ブログが炎上して、会社がその従業員に損害賠償を請求するとのニュースがあったけど、会社としては、お客が来なくなって大打撃になるので、当然だよね。

【お助けマン】 そうです。当会の元職員は、自分の個人的な問題を宗教の問題としてすりかえて、自分が還俗(退職)せざるを得なくなったことをうらみに思って、宗教を攻撃しているのです。しかも怖いのは、自分がどれほど罪の重いことを行っているか分かってないのです。もし、分かっていたなら、できないはずです。宗教を単なる会社だと思っているのです。これも勉強不足と言えば勉強不足だと言えます。

【Bさん】 なるほどね。宗教と会社が同じという認識だということは、理解できるね。彼らは、単なる転職だったのか。要するに出家ではなく転職だったんだ。だから、事の重大性が分かってないのだね。

【お助けマン】 そうです。宗教の世界と企業の世界とは違います。それは、もっともっと真剣なのです。例えば、宗教国のインドネシアでは、「神は居ない」とネットで書き込みをしただけで、警察に逮捕されたと聞いています。ましてや、宗教の教祖やその団体が誹謗・中傷されたなら、なおさらでしょう。信仰心ある信者の精神的なダメージは計り知れないと思いますよ。まだまだ日本では、宗教が軽んじられており、そのような書き込みを行っても、相手にされないか、ひんしゅくを買うだけですが、熱心な宗教国では絶対に許されないことなのです。でも、それが国際標準なのです。

【Bさん】 でも、一般信者なら分かるが、なぜ教祖の近くに居た人間が、そんな情けない姿になるの?
 
【お助けマン】 それは、仏に三相あり(『信仰と情熱』第3章「心中の悪魔と戦え」四「ミカエルの章」「仏に三相あり」参照ということが分かっていないのです。つまり、仏には、法身(ほっしん)、報身(ほうしん)、応身(おうじん)があると述べられています。
以下、その部分を引用してお話しします。

 仏典の中にもありましょう。仏の本当の姿、それを「法身(ほっしん)」と言います。私の法身を見ている人は、まだいないのです。
 そして、この法身がさらに姿を変えたものとしての「報身(ほうしん)」と言われるものがあります。この報身とは、本来の法身が、その姿を衆生に示すことができないがゆえに、かりに高級霊のような姿を借りて出てくることを言います。かりに如来だとか、菩薩とかいう名前で現れてくることを言います。釈迦如来であるとか、天照大神であるとか、こういう名を借りて出てくる姿を、報身(ほうしん)あるいは報身(ほうじん)と言います。
 そして、さらにそうしたかたちをとった高級神霊が、地上にごくまれに肉体を持つことがあります。これを「応身(おうじん)」と言います。この地上の三次元世界に合わせて、その姿で出てきているということです。
 仏に三相あり。そして、その三種類の現れ方をします。今、みなさまが見ている私は、この応身の部分です。三次元に姿形をとって出ている部分です。それは、みなさまとそう変わらないものがあります。そう変わらないように生きています。
 しかし、その奥にある報身は、法身は、みなさまがたの目には見えないはずです。これが見えないからこそ、つまずくのです。

 と、すでに1990年12月に、現在のまちがった元職員の姿を予言するかのように、書籍にて出版されているのです。教祖の近くに行けば行くほど、通常の私たちと変わらないように、ご飯を食べられたり、運動をされたりする姿を身近に見るがゆえに、つまずくのです。ですから、教祖の近くに居る秘書を経験した人間ほど、仏は俗人だったとか愚かなことを言って、皆から笑われてしまうのです。

【Bさん】 あっ、本当だ。予言されていたのだ。これも、勉強不足と言えば、勉強不足だね。

【お助けマン】 彼らは、今、自分が、何をやっているか分かっていないのです。
2000年前、人々は、イエス・キリストをはりつけの刑にしました。そのとき、人々は単に罪人を処刑するぐらいにしか思っていなかったでしょう。しかしながら、救世主を処刑するということは、何億倍、何兆倍の罪を持ってきたとしても、もっともっと罪は重いのです。従って、彼らに、これ以上の罪を犯すことを止めさせるためにも、「教導の怒り」 『太陽の法』第3章「愛の大河」が、必要なのです。

【Bさん】 なるほど! 知らないということは、本当に恐ろしいことだね。死後、どこに行くかを分かっていれば、決して割が合わないことなのにね。

【お助けマン】 そうです。だからこそ大川総裁は、『仏説・降魔経』もお説きになって、阿鼻叫喚の地獄に堕ちて悪魔にならないように、警告されているのです。

【Bさん】 よく分かったよ。知らないことが罪であると言う真理がまた分かった気がするよ。今日は、本当にありがとう。

 と言って、Bさんは帰られました。正法が説かれるときに、魔もまた競い立つと言われていますが、そのときに、魔に対してスキを与えないという意味でも、信仰心と謙虚さを堅持することが、さらに大事であることを改めて学ばせて頂いた次第です。合掌。

(終わり)
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